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ココがキニナル!

材木商・高島嘉右衛門を知りたい。インフラ整備に尽力し、「横浜の父」とも呼ばれ、「高島易断」を創り上げ易者の開祖とも。ゆかりの地など巡り、横浜に与えた影響について教えて。(maniaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

高島嘉右衛門は幕末から明治にかけて活躍した実業家。横浜の埋め立てやガス灯建設などで功績を残す。一方で易の達人として多くの政治家をサポート。

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2014年08月20日

ライター:松崎 辰彦

横浜の父・高島嘉右衛門

高島嘉右衛門(たかしまかえもん)は横浜の歴史の中でも重要な位置を占めている。「高島易断(えきだん)」と「横浜市西区高島町」に名を残し、線路用地埋め立ての功績から“横浜の父”といわれることも多く、横浜の近代史の中でも異彩を放っている。
 


高島嘉右衛門(『呑象高島嘉右衛門翁伝(どんしょうたかしまかえもんおうでん)』より)


彼は大きな成功を収めた実業家でありながら財閥を作らず、政治の世界に進出することもなかった。このあたりが全国的知名度がいま一つの要因といえないこともないが、ユニークにも彼はまた易(えき)の専門家として占術を自らの行動の指針とし、親交のあった多くの政治家にも助言していた。
こうした事実が彼にほかの実業家にはない精神性、神秘性を与えている。

日本初の鉄道にかかわり、日本初のガス会社を作り、横浜の近代化に巨腕を振るった高島嘉右衛門だが、今日の横浜の繁栄を考える上であらためて注目したい人物である。彼の生涯をたどり、その実像に迫りたい。



生い立ち──新天地横浜に足を踏み入れる

横浜開港前の嘉右衛門に関しては確たる記録がなく、本人による後年の回想談あるいは言い伝えなどがあるのみで、現時点では私たちもそれらを信用するほかはない。それら資料・通説によれば、彼の青年時代は以下のような波瀾に富んだものであった。

高島嘉右衛門は1832(天保3)年、江戸の材木商である薬師寺嘉兵衛(かへい)の子として生まれた。幼名は清三郎(せいざぶろう)。幼少のころは体が弱く、両親を心配させたが、のちに寺子屋に通い出すと抜群の記憶力を発揮した。
当時の勉強は四書五経(ししょごきょう)など書物の素読(そどく)や暗唱が主だったが、彼は難解な文章も何度か読めば完全に暗記したといわれている。天性の頭脳はこのころから光っていた。
十代半ばから父の仕事を手伝うようになり、事業家としての才覚を発揮する。そして親族が作った巨額の借金を、父の死後に独力で返済した。同じ時期に父の名「嘉兵衛」を襲名した。


1855(安政2)年、家にあった釜が鳴るという怪現象から彼は地震を予見し、大量の材木を買い占めた。そして旧暦10月4日、のちにいう安政の大地震が発生し、材木価格の高騰により莫大な利益を得た。
 


安政の大地震絵図(フリー画像より)


しかし翌年、折からの暴風雨により所有していた材木が流出し、大きな損害を被った。

そうした中で佐賀藩家老・田中善右衛門(ぜんえもん)が嘉兵衛に、佐賀藩の伊万里焼を横浜で販売する新規計画を提案し、嘉兵衛はこの話に応じた。
 


伊万里焼(フリー画像より)


こうして嘉兵衛は、新時代の窓口となる横浜という新天地に足を踏み入れたのであった。



牢獄に入る

横浜で嘉兵衛は「肥前屋」を開店し、佐賀藩の陶器を販売する仕事を始めた。経営も軌道に乗ったが、一方で彼は当時の日本と海外の金銀の交換比率の差を利用して利益を得る闇取引に手を染めてしまう。
今日でも外国為替及び外国貿易法(外為法)違反と呼ばれる犯罪であり、当時であっても法に触れる密売行為で、発覚後に彼は罪人として入牢し、1860(万延元)年から1865(慶応元)年まで獄舎の人として辛酸をなめた。獄舎を出た彼は、名を嘉右衛門とした。

横浜に舞い戻った彼は、勝手知ったる材木商としての活動を再開する。外国人の建物建設を請け負い、独占的な利益をあげたといわれている。

そして彼は横浜に旅館「高島屋」を建設する。明治新政府の大物が宿泊するようになり、彼は多くの情報に接し、日本を動かす男たちとの交流を深めた。高島屋は重要な情報センターならびにサロンとなり、嘉右衛門は権力者を背後から支える一種ブレーン的な役割を演じるようになった(デパートの高島屋とは無関係である)。

──1868年、明治維新。日本も横浜もここに新時代を迎えるのである。



鉄道用地を埋め立てる

高島嘉右衛門の功績で最大のものといえば、東京・横浜間の鉄道建設にかかわった経歴といえよう。
1870(明治3)年、嘉右衛門は大隈重信と伊藤博文に東京・横浜間の鉄道建設の必要性を唱えた。実際に工事が挙行されるにあたり、自身も線路の敷設に必要な土地埋め立てを手がけ、横浜石崎町から神奈川青木町まで陸路を通した。
 


弓なりの部分が嘉右衛門が埋め立てた土地


鉄道用地と国道のほかは報酬として嘉右衛門の私有地とするという条件であり、彼が埋め立てて自らのものとした土地は、高島町と命名された。
 


横浜・神奈川間をショートカットした


1870(明治3)年、外国人領事が日本でガス灯建設をもくろんでいることを知った嘉右衛門は「日本社中」を結成してこれに対抗する。最終的にガス灯設置の権利を得たのは日本社中で、嘉右衛門はフランス人技師の協力も得て1872(明治5)年に横浜にガス灯を灯した。
 


中区花咲町の本町小学校前にあるガス灯記念碑


1871(明治4)年には教育事業に乗り出し、横浜伊勢山下(現在の横浜市西区宮崎町)に洋式学校「藍謝堂(らんしゃどう)」を建設する。通称「高島学校」と呼ばれたこの学舎では、英語・フランス語・ドイツ語などが教育された。その後この学校は横浜町に寄付されたが、1874(明治7)年に火災で焼失した。開校していた期間は短かったが、農学博士の宮部金吾(きんご)や海軍少将の小田享、陸軍大将の寺内正毅(まさたけ)といった人材を輩出した。
この功労により、嘉右衛門は1873(明治6)年に民間人として初めて明治天皇より、勲章に代わり授与される三つ重ねの銀杯一組を下賜(かし)された。

1876(明治9)年、大綱山に隠棲(いんせい)する。
1887(明治20)年、海防費1万円を献納したことにより従五位勲四等(じゅごいくんよんとう。「従五位」とは功績のあった者に贈られる位階)を受ける。
1889(明治22)年、愛知県熱田にセメント製造工場を建設。
1892(明治25)年、北海道炭鉱鉄道株式会社社長就任。

このように社会の表で活動するが、1914(大正3)年、逝去。およそ82年の生涯に幕を閉じたのだった。



嘉右衛門が横浜に残したもの

「高島嘉右衛門を語るうえで重要なのは、鉄道用地埋め立てとガス会社創設と、高島学校の三点です」
横浜開港資料館で、西川武臣(たけおみ)氏は説明した。
西川氏は横浜の近代史の専門家として横浜開港資料館と横浜都市発展記念館の両館の副館長を務める一方、大学の教壇に立ち、若者に歴史のおもしろさを教えている。
「学生には『歴史は決して年号や人名の暗記ではない。ただ、起こった出来事の順番は覚えてほしい』といっています」
 


西川武臣氏。横浜開港資料館で


無味乾燥な知識ではなく、人間の営みが浮き彫りにされている素材としての歴史を見つめる西川氏に高島嘉右衛門についてうかがうと、冒頭の言葉のように三つの重大事業を挙げてその影響を強調した。
たしかにこの三つの事業はのちの横浜のみならず、日本全体への寄与がとくに大きかった歴史的出来事であった。学校事業は期間が短かったかもしれないが、輩出した人材のその後の日本への貢献度を考えれば、非常に高度な、内容ある教育だったといえるわけで、彼のさまざまな業績の中でもとくに評価されるべき事業であることは間違いない。
 


高島学校に学んだ農学博士の宮部金吾(フリー画像より)


そんな高島嘉右衛門であるが、実は案外資料が残っていないと西川氏はいう。
「横浜は関東大震災と横浜大空襲で多くの歴史的資料を焼失しました。高島嘉右衛門の資料も同様で、本当に信頼できる資料は彼の自伝を含め数点しかありません」
のちの人間は残された数点の資料をもとに想像を展開するほかはなく、他者の書いたものにはどうしても推測が混入してしまい、事実との区分けが難しくなると指摘する。
「しかし嘉右衛門は横浜を作った人物であることは間違いなく、我々から見ても非常におもしろい人物であることは事実です」
 


洋装の嘉右衛門


歴史家から見た嘉右衛門の魅力を西川氏にうかがうと、
「エネルギーですね。爆発的なエネルギーを持った人です。非常に能力のある人であり、思いついたら躊躇せずにただちに実行するエネルギーを持ち、手がけた事業を次々に成功させる。そういうところが人を惹きつけるんだと思います」
ただ経済的な利益ではなく、彼は横浜を愛し、横浜を自分の手で創造したかったのでしょうと西川氏。「功(こう)成り名遂げた晩年も横浜を離れなかったことから、彼が横浜に深い愛着を持っていたことが想像できます」と、嘉右衛門の横浜への思いを推測する。
 
 
嘉右衛門は易であの出来事を予見していた?
 

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