「財政難」という横浜外国人墓地の財政状況はどうなっているの?
ココがキニナル!
「横浜外国人墓地」が財政難に陥っており、埋葬されているスイス人時計師の一族が創業した会社が、墓地の整備と募金活動をしているらしい。ハマっことしてこれはキニナル。(brooksさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜外国人墓地は財政難ではなく財政不安定状態。スイスの有名時計ブランドであるジラール・ペルゴを販売する会社が、募金活動の広報に協力している
ライター:松崎 辰彦
横浜外国人墓地の財政状態
横浜の名所の一つである外国人墓地。面積約1万8000平方メートルの敷地の中に、3000基の墓石があり、およそ5000人の亡き人々が眠っているといわれている。
さまざまな墓がある外国人墓地
その発祥は1854(安政元)年、来日中のペリー艦隊の一つであるミシシッピー号のマストから24歳のロバート・ウィリアムズ2等水兵が墜落死し、その遺体を埋葬する地として現在の元町1丁目付近にあった「増徳院(ぞうとくいん)」の境内の一部が選ばれたことに始まる。
横浜外国人墓地の憲章
3ヶ月後、ウィリアムズの遺体は伊豆下田に移送されるが、横浜開港そして日本の開国に伴い、生麦事件のような外国人が犠牲者となる事件も起こり、その埋葬場所としてウィリアムズの先例がある同地付近に遺体が葬られた。
その後も外国人用の墓地として遺体が埋葬されたが、やがて諸外国との交渉のすえ墓域が拡張され、1866(慶応2)年に締結された「横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書」により、ほぼ現在の墓域が定まったとされる。日本の鉄道の父といわれるエドモント・モレルや、日本初のビールを醸造したウィリアム・コープランドなど、重要な人物の墓所も多い。
コープランドの墓石。ビール会社の社員がビールを供えている
こうした歴史を振り返っても、この墓地が歴史上重要な、価値ある場所であることは万人が認めるところである。しかしこの墓地が投稿者によると財政難に陥っているという。
実情を取材した。
財政難ではなく財政不安定
「“財政難”──ではないです。いうならば“財政不安定”です」
横浜外国人墓地のマネージャー、樋口詩生(しせい)さんは説明する。
樋口詩生さん
現在、横浜外国人墓地は樋口さんと数名の作業員の方で現場の管理を行っている。
運営の主体は「公益財団法人横浜外国人墓地」。メンバーの多くが外国人で、3分の1ほどはすでに仕事を引退された方々という。理事・評議員・監事といった役職があるが、現場の方々以外は報酬はなく、ボランティア精神で支えられている。
「昨年は1000万円の黒字が出ました。しかし今後はどうなるか、わかりません」
外国人墓地の収入源は2方面しかない。一つは墓地使用料。新区画を開設した場合は75万円、既設の墓所において追加の埋葬をする場合は30万円という料金額が設定されている。
当然ながら多い年もあれば少ない年もある。
もう一つは募金。公開募金と年次募金の2種類がある。公開募金とは、土日に限り外部の人にも墓地を公開しているが、そのときに入場料代わりに200円以上の募金に応じていただくというもの。一回200~300円が平均のようである。
横浜外国人墓地
年次募金とはすでに埋葬された方の遺族や関係者に対して寄付金を募るというもので、1年に1回手紙を送ってお願いするので年次募金という名称になった。ほかにも資料展示室に募金箱を置くなどして、収益の増加を図っている。
一方で当然ながら支出もある。電気、水道、ガス、通信費、事務用品費といったこまごました経費がかかるのは一般企業と変わらない。のみならず墓所の損傷の激しい部分などは修繕しなければならず、そのための費用も発生する。
ちなみに2005(平成17)年から2013(平成25)年までの年間支出の平均額は1811万2190円、年間収入の平均額は3013万9470円であった。参考に2013年度の収支表を例にあげるとこちらになる。
2013年度の収支表(画像提供:横浜外国人墓地)※クリックして拡大
こうした収入と支出のバランスをとりつつ、横浜外人墓地は運営されているのである。
2008~2013年度の収支差額表(2010年は一個人より5000万円の寄付金があった)
昨年は1000万円の黒字が出た、という言葉からもわかるように、現在同墓地は危機的状況というわけではない。ただし不安定であることは事実である。募金、墓地使用料とも年度によって推移がある。
「公益法人は関連性のない営利行為はできません。皆さんのご理解、ご協力をお願いしています」
70年代、たしかに財政難で、資産が減っていくばかりの時代があり、それを契機に墓地の公開に踏み切ったということである。
では投稿者のいう“埋葬されているスイス人時計師の一族が創業した会社が、墓地の整備と募金活動をしている”とはどういうことであろうか。
「『ジラール・ペルゴ』という時計ブランドを販売している『ソーウインド ジャパン』という会社があります。その社員の方々が、ジラール・ペルゴを幕末に日本に持ち込んだ人物“フランソワ・ペルゴ”の墓がここにあることにちなみ、募金に関する広報活動に協力して下さり、またフランソワ氏の墓地の整備もボランティアでやってくださっています」