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ココがキニナル!

オデオンの最盛期にはオデヲン座で映画を見て、先生堂書店、ラッキー模型を巡りました/オデオンが無くなるの本当?何か復活する秘策は?(poporonさん/碧猫@雑種さん/象の鼻さん/miyukidさん)

はまれぽ調査結果!

日本初の洋画封切館「オデヲン座」の跡地にできたオデオンビルはなくならない。10月末にドン・キホーテがテナントに入り、空きテナントは減少

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2014年11月02日

ライター:大和田 敏子

筆者が横浜で暮らし始めた20年ほど前、オデオンビルの中には映画館があって、何度か足を運んだことがある。その後、みなとみらいや桜木町の映画館に行くことが多くなったこともあり、オデオンの中の映画館がなくなったことに気づいたのは、閉館して随分たってからだった。

今も伊勢佐木町に行く機会は多々あるが、そういえば、オデオンビルに立ち寄ることは、最近は一切ない。かつては伊勢佐木町の待ち合わせスポットの定番だったというオデオンの存在感は、確かに薄くなっているように思うのだが・・・。

実際の様子はどうなのだろう。また、投稿にあるように、オデオンがなくなる・・ということがあるのだろうか。
 


ニューオデオンビル(2014<平成26>年10月7日)

 


オデオンビルの歴史は、映画館「オデヲン座」から始まった!

まずは、歴史を振り返ってみる。
現在、オデオンビルのある場所には、その名前の元にもなった映画館「オデヲン座」があった。

オデヲン座が開館したのは1911(明治44)年。日本初の洋画封切館で、「封切」という言葉の発祥地になったとも言われる。世界では映画製作が本格化したものの、国内の常設映画館がまだ100館に満たないと言われたころのことだ。
 


大正初期の伊勢佐木町。芝居小屋や映画館が集中し、横浜市内最大の娯楽街に発展
 

上の写真と同時期、手彩色絵はがきによるもの。国内で1、2を争うにぎわいだった


1923(大正12)年9月、関東大震災によって、劇場や映画館はことごとく壊滅したが、復興は早くオデヲン座は、翌1924(大正13)年1月には再開した。

1934(昭和9)年の調査によれば、横浜市内には26の映画館があり、中区が一番多く13館だった。特に伊勢佐木町には多くの映画館があった。
 


1935(昭和10)年ごろのオデオン座(資料提供:横浜市史資料室)


中でも、1936(昭和11)年に改装したオデヲン座は、館内に絨毯を敷きつめ、ロビーにシャンデリアを飾り、「白亜の殿堂」の威容を誇り、全国から洋画ファンが押しかけるメッカとなったといい、有数の情報の発信地としての役割を果たした。
 


1941(昭和16)年、「白亜の殿堂」と言われたころのオデヲン座


太平洋戦争が始まると、敵性語追放(敵対国や交戦国の言語〈英語などの外来語〉を排除しようとする動き)が促された。オデヲン座は真っ先に槍玉にあげられ、1942(昭和17)年には、「横浜東亜劇場」に改称させられた。さらに戦後は米軍に接収され、「オクタゴンシアター」と名称を変え、米軍専用の劇場となり、運営されるようになった。
 


オクタゴンシアター時代


1955(昭和30)年に接収が解除され、「横浜松竹映画劇場」として営業が再開され、1973(昭和48)年まで営業された。閉館後、その跡地に建てられたのがオデオンビルだ。



イセザキのランドマーク、オデオンビル誕生!

オデオンビル誕生から、現在、そして今後の展望について、協同組合伊勢佐木町商店街事務局長の永井実さんにお話をうかがった。
 


オデオンについてお話してくれた永井さん


1975(昭和50)年、オデオンビルが建設された。オデヲン座時代は、映画館機能だけだったが、商業が急速に伸びていく時代の中にあって、そこにショッピング機能を持たせようとしたもので、多くのショップや飲食店が入った施設だった。

ちなみに、ビルの名称だが、当初は「オデヲン」だったようで、1980年代の商店街の発行物では、「ファッションプラザ・オデヲン」といった記載になっているとのこと。その後オーナーが代わって、「ヲ」の字は使われなくなり、「オデオン」となった。さらに2000(平成12)年ごろ、再度オーナーが代わり、屋上看板も白からオレンジ色にリニューアルし「NEW ODEON(ニューオデオン)」となり、壁面ロゴにも「NEW」の文字が付け加わった。

 

オレンジ色で目立つ屋上の看板
 

オデオンビルオープン当初から、テナントとして営業を続けているのは、1階にある宝石・貴金属の「貴石(KISEKI)」のみ。同店は、「JEWELRY SHOPS 信用ある日本の宝飾店200選(柏書店松原、1998<平成10>年)」にも選ばれた、地域に愛される老舗の宝飾店だ。同店の社長で長年、オデオンの商店者会の会長を務められた、林光宏さんと奥さまから、オデオン開店当時のお話をうかがうことができた。
 


現在のKISEKI店舗。オープン当初は、1階の中ほどに店があった


オープン当初、1、2階は有名ブティックが占め、「三愛」や「キャビン」など若い女の子に人気のショップが軒を連ねていたという。3階はミナトスポーツがワンフロアを占め、4階には生地屋さんや仕立屋さんなどが入っていた。5階には大きな呉服店が2軒入っていたが、3、4年後には撤退し、「先生堂書店」が入った。

7階は、喫茶店やカレー屋、ラーメン屋などがある飲食店街、8階には銀座のしゃぶしゃぶの店「高松」(現在はオデオン向かいにある)、9階には、しゃぶしゃぶの「瀬里奈」(現在は関内ホール近くにある)などの高級店があり、屋上ではビアガーデンも行われた。
 


伊勢佐木町店の「高松」
 

JR関内駅近くの「瀬里奈」

横浜西口よりも伊勢佐木町が栄えており、みなとみらいもなかったころのこと。東京からのお客さんも多かったそうだ。
 


1982(昭和57)年、オデオンビル7周年のころ


1985(昭和60)年には、映画館「横浜オデオン座」も開館した。オープン当時から平成の始めくらいまでのオデオンは、複合型のショッピング施設のはしりのような存在だった。
JR「関内」、横浜市営地下鉄「伊勢佐木長者町」、京浜急行「日ノ出町」のいずれからもアクセスの良い伊勢佐木町の中心地でもあり、人を集める施設としての役割を十分に果たしていたようだ。
 


1991(平成3)年12月の伊勢佐木町。中央にオデオンの看板

 

 
 

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