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キニナル水着女子2017
横浜に根ざした舞台を中心に活動する、五大路子さんを徹底解剖!
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花火大会特集2017

Question みんなのキニナル投稿

投稿の中から、はまれぽ編集部もキニナルことを調査してお答えします!
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みんなのキニナル

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横浜のココがキニナル!

私立横浜高等女学校は中区の元町にあり、その校舎には女優の原節子が通っていたって本当でしょうか?また山月記を書いた中島敦が教師としていたそうです。詳細知りたいです。(Yokoyokoさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

原節子は横浜高女の生徒だったが、中退しているので資料がない。教師だった中島敦は生徒たちの人気者だった。

ライター:松崎 辰彦 (2014年12月01日)

横浜高等女学校とは

投稿にある私立横浜高等女学校とは、現在横浜市磯子区にある私立横浜学園高等学校の旧名である。かつては女学校だったが、2000(平成12)年より男女共学になった。
 


横浜学園


誕生は1899(明治32)年。実業家の田沼太右衛門(たぬま・たえもん)が創立した。
 


田沼太右衛門(『ゆかりの白梅』より)


早くから女子教育の必要性に気づき、その主張を繰り返していた太右衛門は、このとき県議会議長を務めており、県立女学校の設立を議会に提言した。

横浜学園の建学の精神には“女性としての特性を伸ばす” “世間の為、人の為になれ”“慎み深く、真心をもって事にあたれ”などが挙げられるとのこと。

当時、彼の胸中には“いずれ母親となる女子は未来の担い手であり、幼少期から女性の特性を意識し、伸ばすことが重要である。そしてそのためには女性にも学問・教育が必要”、という確固たる理念があったものと想像される。
 


横浜学園校歌。「女子のまなびや開かれぬ」と女子教育を謳っている
(『ゆかりの白梅』より)


しかし、その頃の日本には「女子に学問は不要である」という風潮があり、太右衛門の主張も時期尚早として否決された。

そこで太右衛門はみずから私立女学校の設立を決断する。費用面が懸念されたが、有力な後援者を得て1899(明治32)年1月26日、県知事より学校設立の認可を得た。

2月1日から生徒を募集したものの、当初は11名しか集まらず、開校式を順延するなどの措置をとらざるを得なかったが、その後の再募集で96名の応募があり、総計107名の生徒が第一期生となった。

(日本人経営者による)横浜初の女子教育機関「横浜女学校」は4月16日、横浜市中区日之出町で開校式を挙行した。

1905(明治38)年、「横浜女学校」は「神奈川県私立横浜高等女学校(以下、横浜高女)」となり、翌1906(明治39)年に横浜市中区元町に移転する。1908(明治41)年には「財団法人私立横浜高等女学校」となり、体制が整った。
 


明治末期の卒業記念写真(『ゆかりの白梅』より)


1945(昭和20)年の横浜大空襲で校舎が全焼し、1947(昭和22)年に磯子区岡村町に移転する。名称も「横浜学園」と変えた。

2000(平成12)年より共学になり、今日に至る。



汐汲坂の両脇にあった横浜高女

1906(明治39)年から1947(昭和22)年まで、横浜高女は横浜市元町にあった。現在、そこには横浜学園附属元町幼稚園がある。
 


現在の汐汲坂


元町幼稚園がある


汐汲坂というなだらかな登り坂の両脇にある幼稚園だが、この場所がほぼそのまま当時の横浜高等女学校だった。もとより現在のフェリス女学院よりやや手前から、すべて横浜高女の土地だったという。校舎が汐汲坂をはさむようにして、両脇に並んでいたのである。
 


かつて汐汲坂の両脇にあった校舎
(『昭和九年三月 第三十三回 卒業記念帖』〈横浜高等女学校〉より)


かつての校舎は、横浜大空襲で焼失した。その後に建てられたのが現在の幼稚園である。
運動場などが手狭になったので、横浜高女は移転を決めたようである。

また戦後、フェリスが米軍に接収されていて、米兵のいる近くに女学校があるのは望ましくないという判断もあったようだ。

しかし、この元町時代(1906-1945)には、横浜高女は教員に各界の逸材を集め、教育機関として充実した陣容を誇ったのである。今回はそんな横浜学園の豊富な人材から、原節子、中島敦に注目したい。




資料が残っていない“永遠の処女”

原節子―“永遠の処女”といわれ、今日では伝説的な存在となっている横浜出身の女優である。
 


原節子(フリー画像より)


1920(大正9)年、現在の横浜市保土ケ谷区に誕生する。本名・会田昌江(あいだ・まさえ)。私立横浜高等女学校に入学するが2年で中退して映画界に入る。そこには家の経済的な事情があったともいわれている。
 


すでに伝説化された存在である(フリー画像より)


1935(昭和10)年6月28日付けの横浜貿易新報(現神奈川新聞)には、横浜高女から映画界に入る彼女の記事が掲載されている。“近代的魅惑の美少女”と銘打たれ、ハーフのような美しい外貌を伝える写真が掲載されている。
 


横浜貿易新報1935(昭和10)年6月28日付け


この記事には彼女の本名が「会田昌江」であること、横浜高女の2年生だったが、学校を中退して日活に入社したことなどが記されており、映画界入りの段階から注目されていたことが窺える。

そんな彼女だが、学園にはどれほどの資料があるだろうか?

「学園は戦時中に空襲を受けて、その際に昔の資料を焼失しました。原節子さんの資料も、それで残っていないのです」

そう説明するのは横浜学園理事長の田沼光明(みつあき)氏。田沼太右衛門から数えて6代目になるという田沼氏は、学園理事長であると同時に中学・高等学校長、そして元町幼稚園園長という文字通り学園の主である。
 


田沼光明氏


「原さんに関しては、何も資料がありません。中退されているので、卒業アルバムにも写真がないのです」

学園に在籍したことは新聞記事からも確かだが、どのような生徒であったかなどは、空襲、そして80年という歳月により今日のわれわれにはもうわからない。引退したご本人は今年94歳で、マスコミの取材をすべてシャットアウトしている。

「学校にあった資料が焼けてしまい、疎開させていた段ボールから重要な資料が発見されたというケースが多いんです」
田沼氏はいう。
原節子に関する資料は、何も現存しないとのことである。
 


 

 

残念ながら、彼女の資料は残っていない(フリー画像より)


原節子はたしかに、横浜高女に通っていたが、現在の横浜学園に彼女の記録を求めることはできない。戦争という人災、そして歳月という抗いがたい事情を、受け入れるしかないようである。
 
 
たしかに「横浜高女」の学生だった原節子。一方、教師として勤めていたのは・・・ ≫

 

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