瀬谷の「海軍道路」は米海軍専用道路だったのか?
ココがキニナル!
横浜市瀬谷区に海軍道路と言う直線3㌔の道路がありますが、昔は道路の途中に門があったように記憶してますが、戦後、この道路は米軍の専用道路だったのですか?(hiroyuki _ kondoさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「海軍道路」の海軍とは旧日本海軍のこと! 日本軍の専用道路だったことも、米軍の専用道路だったこともあった!
ライター:田中 大輔
相鉄線瀬谷駅の北側へ伸びる海軍道路。真っ直ぐ伸びた直線道路の長さは約3kmで市内で一番長いと言われている。道路の脇には450本のソメイヨシノが並び、最近では季節になると花見客を迎えてくれる桜の名所としても知られてきている。
そんなきれいで華やかな道に「海軍道路」と、ものものしい名前がついているのはなぜなのか。道路のすぐ脇にはアメリカ海軍の施設があるので、どうにもコイツが絡んでいそうな気がするのだが。
現地入りの前に下調べ
まずはその歴史を調べるべく瀬谷区役所に取材を申し込んだが「詳しい者がいない」という理由で断られてしまった。
仕方がないので、海軍道路から一本奥に入ったところにある瀬谷区立図書館へ海軍道路に関する資料を探すことに。さらには中央図書館にも足を延ばし、いろいろな情報を集め、その上で実際に海軍道路を歩いてみることにした。
瀬谷中学校前交差点から海軍道路が始まる
2つのパートに分かれた直線道路
地図で見た通りのきれいな直線道路である「海軍道路」は、正式には環状4号線の一部だ。アスファルトで舗装された道の路肩には桜の木が並んでいる。
どこまでも続いていそうな美しい直線道路
歩いてみて気付いたのだが、南北2つのパートに分かれている。
南側(瀬谷駅側)は住宅や店が立ち並び、桜も片側にしか植わっていない。逆に北側は、道路の両側に桜があり、瀬谷区の10%を超える面積を占める「米海軍上瀬谷通信施設」が鎮座していて、民家などはほとんどない。
道路の南北の境になるのは、中瀬谷消防出張所の辺り。『瀬谷区の歴史(瀬谷区の歴史を知る会)』によれば、あそこにはキニナルにもある門のひとつ「南門」があった。
瀬谷駅から北へ直線状に真っ直ぐ伸びている
南門があった場所には消防署が
そこが軍用地と民有地の境で、戦時中(太平洋戦争)は銃剣を持った兵隊が警戒に当たっていたそうだ。現在でも南北で様子が違うのは、軍用地がアメリカに接収されたままだからなのだ。
米軍施設であることを告げる看板。後方には広大な土地が
また、『地図で辿る瀬谷の移り変わり(横浜・瀬谷地図くらぶ)』などによれば、「米海軍上瀬谷通信施設」は戦後に接収されたもので、それまではあの場所に旧日本海軍の施設があったというのだ。
道路の脇には「海軍道路」の看板が
その施設は、1940(昭和15)年ごろに造られたが、不思議なことに「第二海軍航空廠瀬谷補給工場」や「瀬谷補給工場火薬庫」、「海軍資材集結所」など、資料によって呼び名が違う。ただ、どの名前からも物資を集めて保管しておくための施設だったことがうかがえる。