瀬谷の「海軍道路」は米海軍専用道路だったのか?
ココがキニナル!
横浜市瀬谷区に海軍道路と言う直線3㌔の道路がありますが、昔は道路の途中に門があったように記憶してますが、戦後、この道路は米軍の専用道路だったのですか?(hiroyuki _ kondoさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「海軍道路」の海軍とは旧日本海軍のこと! 日本軍の専用道路だったことも、米軍の専用道路だったこともあった!
ライター:田中 大輔
海軍道路は昔、海軍「線路」だった!?
ところで、旧日本海軍施設があったころは、瀬谷駅から施設までの引き込み線が敷設されていたそうだ。
これは北に向かって道路の右側に設置されていたらしい。
海軍道路沿いに40年以上お住まいというタケウチさんによれば、「砂利道だったころから知ってるよ」とのこと。
道幅も今よりもせまかったそうで、現在のきれいな道路とはまるで違ったそうだ。
自宅の前で涼んでいたタケウチさん
例の引き込み線について聞いてみると、「オレが来たころはもうなかったけど、ずっとここいらに住んでる友達に聞いたことはあるよ。戦後、線路がはがされる前はトロッコに乗って遊んだもんだって言ってた」。
この線路に関して相模鉄道に問い合わせてみたが、残念ながら資料が残っておらず、詳しい人もいないとのこと。ただ、線路の敷設を行ったのは、現在の相鉄路線の元を造り、後に相鉄に吸収合併された神中鉄道で間違いないということだった。
線路のあった側の歩道を北側から撮影
海軍道路の真相とは・・・
さて、そろそろ核心に進もう。
海軍道路は、先述の日本海軍施設を作る際に一緒に造られた、言わば軍用道路 。道路が直線なのも、滑走路としての使用も視野に入れていたためだそうだ。
横浜市道路局の『愛称道路』という本にはその名前について、物資輸送のため造られた海軍用道路であることから付いた名称だ、と書かれている。つまり、海軍道路の「海軍」とは今いる米海軍ではなく、旧日本海軍のことだったのだ。
今でも残る日本軍の遺構。草に覆われて見えづらいが貯水槽だったそうだ
では、戦後、米海軍専用道路だった時期はあったのだろうか。
瀬谷区の土木事務所に確認をとったところ、実は海軍道路の敷かれている土地自体は現在も米軍に接収されたまま。その上に、日米共同使用の協定に基づいて海軍道路が作られ、横浜市が管理している状況なんだとか。
昭和50年代までは日本側の通行は認められていなかったということから、米海軍施設用の道路だったこともあったようだ。
取材を終えて
今回は区役所にも相模鉄道にも、取材を断られてしまった。
これは単に古い話だから分からない、ということだけじゃなく、軍が絡んでいたからという理由もあるような気もする。
昔も今も、主は違えど軍の管理下にある土地のため、区レベルや民間会社には資料が少ないのかもしれない。
もし皆さんの中に、この瀬谷の戦争の歴史を見続けていた道路に関する資料や情報をお持ちの方がいれば、ぜひ編集部までご連絡を頂きたい。
―終わり―
みゆたんさん
2015年10月22日 16時46分
ぜひ府中 武蔵国分寺を通って中山道まで再開して欲しいですね
みゆたんさん
2015年10月22日 16時44分
http://www.asahi-net.or.jp/~AB9T-YMH/touzando-m/tm-flm41.html
みゆたんさん
2015年10月22日 11時39分
http://www.isekiwalker.com/iseki/236008/ ゆめが丘駅の辺りのようです