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横浜の人間文化財! 匠の技を持つ「横浜マイスター」ってどんな人たち?

ココがキニナル!

「横浜マイスター」という制度は、さまざまな手仕事に熟達した職人の中から選定し、技能の普及や後継者育成を推進してもらうというもの。どんな人たちがいる?(はまれぽ編集部)

はまれぽ調査結果!

「横浜マイスター」は横浜の傑出した技能を持った職人に贈られる名称。高橋畳店と神取石材店を取材した。

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ライター:松崎 辰彦

横浜マイスターとは



マイスター(Meister)とはドイツ語で「親方・師匠」の意味。英語のmasterに当たる。
この言葉は最近、日本でもよく使われるようになった。いわく「かわさきマイスター」「温泉マイスター」など。多くは一つの分野で卓越した技術と見識を持つと見なされる人に贈られるタイトルのようなもので、検定試験を課せられる場合もある。

今回注目する「横浜マイスター」とは、一つの分野の手仕事・手作業に熟練し、卓越した技能を持った横浜在住のプロフェッショナルへ、横浜市から贈られる称号である。
これは勲章として見せびらかすものではなく、技能の普及発展、後継者の育成を請け負うという、なかなか責任ある立場を意味する。
 


横浜マイスターのロゴマーク(画像提供:横浜市経済局)


横浜マイスター制度を所管する横浜市経済局市民経済労働部雇用労働課長の渡辺政一(わたなべ・せいいち)氏にお話を伺った。
 


渡辺政一氏


「横浜マイスターは1996(平成8)年に創設された制度です。技能技術の継承・普及、後継者の育成といった活動を通して、最終的には技能職の振興が目的です」

また、渡辺氏は「横浜マイスターは制度発足当時から『手仕事・手作業』を中心とし、技術習得に長年の経験と熟練を必要とする技能職者を対象にしてきています」と説明する。横浜マイスターは一般市民の日常生活に密着した、より親しみやすい趣があるのが特徴である。
 


平成26年度版 横浜マイスター事業ガイドブック ハマに「技」あり
(画像提供:横浜市経済局)


横浜市が発行している『平成26年度版 横浜マイスター事業ガイドブック ハマに「技」あり』を開いても、美容師、和裁士、畳工、調理師、竹細工、陶磁器制作といった私たちの日常に深くかかわる分野が多い。



マイスターの条件



1996(平成8)年に創設された横浜マイスターだが、2015(平成27)年1月現在、マイスターに選定されたのは49人(うち12名が逝去)。
マイスターは自薦・他薦による推薦、調査員による実地調査、選考委員会による選考、そして横浜市による選定というプロセスを経て決定される。
 


マイスターの選考(画像提供:横浜市経済局)


選定要件としては
「市内在住の技能職者」
「継承を求められる貴重な技能を有すること」
「卓越した技能を有すること」
「おおむね25年以上の経験年数を有し、技能検定がある職種は、1級または単一等級、その他公的資格のある職種は技能検定1級、単一等級に準じる資格を有すること」
「後継者育成に意欲を有し、技能伝承の能力に優れていること」
「技能・技能職業を広く一般にアピールする意欲と能力を有すること」
「横浜マイスターにふさわしい人格と事業管理能力を有すること」
「横浜マイスターとしておおむね5年以上の活躍が見込まれること」
以上の項目が要求される。ちなみに選考委員は6名だが、その顔触れは非公表で、公正な選考環境を維持しているとのこと。
 


マイスターの役割(画像提供:横浜市経済局)
 

毎年「横浜マイスターまつり」が開催されている (画像提供:横浜市経済局)


卓越した技術を持った横浜マイスター。その素顔を拝見したい。
今回は、先代から伝わる技術を受け継いだ2人のマイスターを取材した。



有職畳の評価で高い評価を得る──高橋畳店



横浜市鶴見区。駅からしばらく歩いて着いた下末吉(しもすえよし)。家や商店が並ぶ中に、創業130年の高橋畳店を見つけることができる。一見して年季の入った店構えで、地元で長く仕事をしていることが窺(うかが)える。
 


畳が積まれている


「マイスターになったのは平成12年度だった。組合からの推薦だよ」
こう回想するのはご主人の高橋弘さんだ。1936(昭和11)年生まれ、今年で79歳。
 


高橋弘さん


高橋さんは畳店の5代目。すでに息子さんが6代目を継いでいる。高橋さんご本人は「長ければいいというものじゃないよ」と笑う。

高橋さんは畳業界の技能検定試験の検定委員を務めるなど、一貫して技術力を高く評価されてきた。畳には一般家庭用の畳と、神社仏閣で使用する有職(ゆうそく)畳があり、高橋さんは有職畳の技術で高く評価されている。
 


有職畳


「普通の畳は親父から習ったけど、有職畳は自分で独学した。だって親父も教えてくれなかったから」
そういう高橋さんは“さいころ畳”や“二畳台”、あるいは“拝敷(はいしき)”など、一般の畳店が作らないような畳の作品を創作している。
 


二畳台(画像提供:横浜市経済局)
 

さいころ畳


「二畳台、拝敷はお寺の坊さんや神主さんが座るためにある。こういうものは宗教施設の多い京都などでしか需要がないから、ここらあたりの畳屋ではやらないよね」

父親から畳の技術を習ったという高橋さん。昔の職人といえばさぞや厳しい頑固親父を想像するが、高橋さんは「オレは親父から怒られなかった。親父はオレのやることに文句をいわなかった。ただ全部やらせてみて、最後に直すべきところを指示した」というやり方だったという。

「職人だって人それぞれだよ。そりゃ厳しい人もいるだろう。でもいろいろな人間がいるんだから、厳しい人もいればそうでない人もいる。だからオレは、検定委員として若い職人の仕事を見るときも、途中で口を挟んだりしないで、まず全部やらせて見て、そして終わってから急所の部分を指摘するよ」
 


 

畳職人のためのさまざまな道具(画像提供:横浜市経済局


高橋さんは、後輩にとってあまりコワい先輩職人ではないようである。
「あまり最初から怒られたら、おもしろくないじゃん。でも、後になって“怒ったほうがよかったかな”と思うときもあるけどさ(笑)」
後進の指導法も、人それぞれということであろう。



一人前になるには10年かかる



昔は日本の家屋は畳が当り前だったが、今はフローリングも多く、畳の需要も大きく減った。
高橋さんは嘆く。
「オレが畳屋を始めたのは1952(昭和27)年だけど、そのころには鶴見区だけでも畳屋が50軒あった。今は20軒だ。昔の畳屋は子どもに畳屋を継がせたんだけれど、今は昔より状況が厳しくなっている。昔は2間のアパートがあれば、その2間は必ず畳だった。今は洋間が多くなった」
 


大きな機械も使う(画像提供:横浜市経済局)


時代の変化は、容赦なく職人の世界にも襲いかかる。
「だから若い子が『畳屋をやりたい』といっても『ああいいよ、教えてやるよ』とはいえないな・・・」

そういう高橋さんだが、学校で子どもたち相手に畳屋さんの仕事を見せることも多いという。
「学校は多いよ。子どもたちの前で話をしたり、実演したりするんだ」
 


第16回横浜マイスターまつりでの高橋さん(画像提供:横浜市経済局)


そうして畳屋という職業を紹介する、と。
「よく、学校に行くと先生から『こういう仕事は学校を出てからやった方がいいんですか?』と聞かれるんだよ。オレなんか中学もやっとだったから、あまり読み書きできない。今の世の中、読み書きができないとな。学校出てからでも間に合うよ」

畳の製作では卓越した技術を誇る高橋さんだが、やはり学校で学ぶことは大切と考えているようである。

「一人前になるには10年かかる。昔は年季奉公だったが、今は畳の学校があるんだ。そこを出た子は即戦力になる。畳職人の腕の違いというのは、ていねいにやるかぞんざいにやるかの違いだ。中にはしっかり縫わないでホチキスでごまかす“素人”も出てきた」

伝統技術の世界にも技術革新の波は著しく、畳表(たたみおもて:畳の表につけるござ)もイグサのみならず和紙でこしらえたもの、あるいは化学繊維で作ったものなどが出現している。また最近は畳の内部にワラではなく発泡スチロールを入れて重さの軽減を図った畳が主流を占めているとのことで、職人さんも畳の重さから解放されて喜んでいるという。
 


畳も時代によって変わる


「藁の畳は35~40kgある。そんなものを2階まで運べますか(苦笑)」
最近の畳は軽いものになると10kg程度というから、扱いやすくなったわけである。腰痛に苦しんできた畳職人には、いい時代といえようか。
「自分の縫った畳が部屋にぴちっと入ったとき、その家の主人から『きれいに入った。ありがとう』といわれたときが、一番うれしいね」
職人は、やはり自分の技術が人の役に立ったことを実感するときが、一番うれしいようである。

「横浜マイスターになったからって、別にどうってことないね。でも人前でしゃべってほしいという依頼が多くなった」

マイスターという重責も、淡々とこなしているようである。