2015年6月30日に返還が決まった「上瀬谷通信施設」の今後はどうなる?
ココがキニナル!
上瀬谷通信施設が返還されますが、跡地利用はどのようになるのでしょうか?(ちぐさんさん、あっくんしょうちゃんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
「農・緑・防災の大規模な野外活動空間」がコンセプトだが、詳細は未定。地域住民からは中核病院や地域活性のために大学誘致などを望む声
ライター:はまれぽ編集部
65年ぶりの返還
横浜市瀬谷区と旭区にまたがる米軍基地「上瀬谷通信施設」が2015年6月30日(火)に返還されることが決まった。
返還が決まった上瀬谷通信施設と周辺の地図
上瀬谷通信施設は1951(昭和26)年3月15日に接収され、在日米海軍厚木航空施設司令部の管理下に置かれてきた。
その後、2003(平成15)年に哨戒(しょうかい:敵機が一定の空域や水域に侵入するのを監視すること)偵察部隊司令部が青森県の三沢飛行場に移転。翌2004(平成16)年には日米両政府が返還に合意した。
さらに2008(平成20)年には上瀬谷通信施設内の住宅や関連施設が閉鎖され、2014(平成26)年4月に開かれた日米合同委員会で返還日が正式に決められた。
ただし立ち入りは制限されている
上瀬谷通信施設は横浜市内にある米軍施設としては最大規模で、その総面積は約242ha(242万平方メートル、横浜スタジアム約92個分)にもなる。
広すぎてピンと来ない
返還後、この広大な敷地の利用についてどうなるのか。横浜市政策局基地対策課の片川智文(かたかわ・としぶみ)担当課長と鈴木浩(すずき・ひろし)担当係長に聞いた。
お写真NGということで
はまれぽでも過去にお伝えした通り、上瀬谷通信施設の跡地利用については横浜市が2006(平成18)年に策定した「米軍施設返還跡地利用指針」に基づき「農・緑・防災の大規模な野外活動空間」というテーマを定めた。
テーマはさらに以下の4つに分けられている。
1.広域の防災活動拠点・広域機能の立地
2.「緑」を享受する首都圏郊外型の自然レクリエーション空間
3.持続的で魅力ある都市型農業の振興
4.交通利便性の向上に資する基盤整備
上瀬谷通信施設の跡地利用概念図
現在は「農業専用地区」として多くの人がトウモロコシなどの栽培をしているが、高齢化などから引き続き農業を行いたい人とそうでない人が、まちまちだという。
さまざまな作物が栽培されていた
片川課長によると、横浜市としては物流施設や教育研究施設などの誘致も検討しているが、市有地は道路や水路などでまとまった土地がないため、地権者らとの調整が必要になる。
現在の上瀬谷通信施設の土地所有状況
6月30日に返還された以降の対応については、防衛省が土壌汚染物や地下埋設物の調査・撤去に着手する。その後、跡地利用基本計画(マスタープラン)を策定し、実際に跡地の活用に入るが、具体的な時期については現時点では未定とのことだった。
上瀬谷通信施設の跡地利用の今後の流れ