環状2号線上永谷付近、封鎖されたまま渡れない橋がある理由は?
ココがキニナル!
環状二号を戸塚から磯子方面へ走っていると、永野小学校下の交差点のすぐ先に、渡れない橋があります。なぜあるのか?残してあるのか?撤去する予定はあるのか?気になります(ひろくんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1995年前後に環状2号線整備の道路拡張で閉鎖後、撤去せずにそのままの状況に。撤去予定はないが現状を生かしたまま移設の可能性はある
ライター:岡田 幸子
「はし(端)」が渡れないなら、「真ん中」を渡ればいいじゃない・・・。
ともいかない橋が、横浜市港南区を走る環状2号線「永野小学校下」交差点のすぐそばにあるという。
今回の現場は横浜市営地下鉄「上永谷」駅から徒歩約5分だ
このあたり
「上永谷」駅から北西に1kmほど、環状2号線中央分離帯を流れる「平戸永谷川(ひらどながやがわ)」に架かる橋だ。付近を訪れると、当該の橋はすぐに分かる。
これでは「端」も渡れそうにない
無用の長物「渡れない橋」が生まれてしまった経緯と、撤去できない理由、そして橋の今後について調べてみた。
「渡れない橋=上永谷人道橋」とは?
「人道橋」の名が示す通り、もとは歩行者用の橋であったと思われるこの橋。現在ではその両側が厳重に封鎖され、利用されている形跡はない。右折車線も入れると両側4車線にもなる環状2号線に阻まれ、近づくことすら難しくなっている。
雑草や木が茂ってます
「昔は普通に渡れたんだよ。道も砂利道で、こんなに車も通らなかったからさ。渡れなくなったのは・・・昭和の終わりごろかな?」とは通行中の初老男性。自身は付近在住ではないというが、古くからこの辺りに住んでいるという方をご紹介いただけた。
付近に長くお住まいのSさんによると、以前「上永谷人道橋」は通行可能で、小学生の通学路としても利用されていたという。
道路を横断し、橋を渡って対岸の永野小学校へ通学していたそう
「正確な時期は分からないけれど、確か子どもが道を横断中に自動車にひかれる事故があって、そのころから歩道橋を渡して封鎖にしたんじゃなかったかな? 環状2号線を通る車の量も格段に増えたし、どんなに気をつけるように言っても子どもだからね。道を渡る必要がなくなって、親御さんも安心したと思うよ」と話してくださった。
現在はすぐ側に架かる歩道橋が通学路とか
車びゅんびゅん・・・わが子にここを横断させたいとは思えない
上永谷人道橋と歩道橋の位置関係
いつ? なぜ? 封鎖された「渡れない橋」の生い立ちに迫る
さらなる「渡れない橋」の情報を求めて訪ねたのは、横浜市道路局建設部橋梁課の樽川正弘(たるかわ・まさひろ)係長と居山拓矢(いやま・たくや)さん。
樽川係長(左)と居山さん。「はまれぽ取材は今年度4回め(笑)」
早速大きな地図を広げると・・・
「これですね。『上永谷人道橋』」
この地図、「横浜市橋梁位置図」といって市内の橋がすべて掲載されているというシロモノ。
地名より橋名の方が目立つマニア垂涎の1枚
「昭和の時代にかけられたようですが、いつ封鎖されたのかはっきりとは分かりませんでした。手元の資料で分かるのは、1991(平成3)年の時点では通行可能であったことと、1996(平成8)年の時点ではすでに閉鎖され、現在と同じ状態だったことのみですね」
1991(平成3)年。おお、普通に渡れている!
「上永谷人道橋」の栄光時代
1996(平成8)年。無情にもがちゃりと・・・雑草はまだない
1991(平成3)年にはなかった歩道橋も1996(平成8)年には存在
これらの写真はすべて橋梁課で保存されている記録写真だ。橋梁課では5年おきに市内の全橋梁を撮影し、状態を保存しているという。全部って・・・?
「およそ1700本ですね。そのなかでも『上永谷人道橋』のように封鎖状態のまま保存されている橋はちょっとほかに思い当たりません」
「道の真ん中にぽつん」はさすがにレアケース!?
「上永谷人道橋」は「永野小学校下」交差点と自動車専用の「上永谷橋」にとても近い。もともとは「上永谷人道橋」のたもとに信号があって、歩行者が横断できるようになっていたが、短い区間に信号が連続するため渋滞発生の原因になりかねない。などの理由で、県警と横浜市の協議により歩行者用信号の撤去と橋の封鎖が決められたようだ。