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一世を風靡した新山下のレストラン「タイクーン」の歴史とは?

ココがキニナル!

新山下にある「タイクーン」が来月閉店。バブル時代を彷彿とさせる広い造りにクルーザーのサービスなど魅力は料理以外でもたくさんありました。タイクーンの歴史を教えて!(you5bomさん/メメタンさん)

はまれぽ調査結果!

新山下地区の再開発のなか1989年エスニック料理店の先駆的存在でオープンし2015年5月まで営業。現在は「サマーテラス」を営業中!

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ライター:大和田 敏子

2015(平成27)年5月に閉店した中区新山下のレストラン「TYCOON(タイクーン)」。
 


圧倒的な存在感を放っていた


閉店日の様子。常連客がゆっくりと食事をしていた


閉店以降も、さまざまな企画を行い、独自性のあるスペースとなっている。
 


2015年開催された「肉フェスヴィレッジ」や「かき小屋」


しかし、昔のタイクーンについて詳しく知る機会はなく、キニナルにもタイクーンの歴史を知りたいとの声が多く寄せられていた。

そんななか、今回、特別にタイクーンのオープニングに関わったAさんに顔写真と名前を出さない、という条件にて特別に話を伺うことができた。



1986年、新山下エリア再開発が始動。タイクーン開店へ



まずは、オープンの経緯を伺う。

タイクーンがあるのは、新山下地区の中でも、かつて貯木場で周囲が倉庫群だった臨港地区。
 


1977(昭和52)年、新山下埠頭周辺(横浜市史資料室所蔵広報課写真資料)


1986(昭和61)年11月、新山下臨港地区再開発促進協議会が設立され、新山下地区は再開発エリアとなった。
 


新山下地区区域図(横浜市都市整備局ホームページより)


臨港地区は本来、飲食業や物販を行うことができないエリアであったが、再開発では新たなウオーターフロントの魅力創出が期待される。そこで、そのための「トライアル」として、タイクーンの開業は、横浜市の特例事業に認められた。

まだ、みなとみらい地区の開発が進んでいない時代のことだ。
 


1989(平成元)年、新山下地区~みなとみらい方面(横浜市史資料室所蔵広報課写真資料)


2年弱の計画期間を経て、1989(平成元)年8月、藤木企業株式会社と旧セゾングループの共同事業としてタイクーンをオープン! 1963(昭和38)年に建てられた倉庫を改装した建物だった。
 


かつては倉庫だったタイクーン(提供:藤木企業株式会社)


当時のパンフレットがこちら


1階に800席、中2階に4部屋の個室(5名~40名)。元倉庫の天井高、スケールの大きさは際立っていた。フロアスタッフは、キッチンを含めて50人もいたそうだ。
 


オリエンタルな雰囲気漂う店内


東南アジアの水上レストランをイメージしたエリアも


一歩足を踏み入れれば、まるで海外に来たかのよう。スタッフも日本人だけでなく、中国やタイの方もいたそうで、それも含めて異国の雰囲気が漂っていたのだろう。

料理はシーフード中心のエスニック系。当時、横浜には現地の人が通うような小さなタイ料理屋さんはあったというが、タイクーンのように大規模で日本人向けのエスニック料理店はほかにはなかった。
 


多くの人にとって、初めて出会う料理だったのでは


また、タイクーン開店と同時に、2階にはレストランが併設されたジャズクラブ「BIRD(バード)」もオープン。
 


ホール、レストラン、バーを備えた本格的なジャズクラブだった


「アメリカ映画『コットンクラブ』を見て、かっこいいと思った。これをやるなら、横浜しかないと思った」とAさんは語る。

「横浜発祥のものは数多くあり、戦後で言えば、アメリカの音楽やファッションは本牧から発信された。ジャズクラブを開くなら“怖いけれど憧れる”、そういう特別な存在感を持つ横浜しかない」と。
 


こちらはホール。ちょっと妖しげでおしゃれな感じがたまらない!


オープニングのライブは、今は亡きジャズドラマー、アート・ブレイキー。BIRDでのステージが海外最後の公演だったという。
 


プログラムには、ジャズ界の大物が名を連ねる


ヘレン・メリル、ジャーメイン・ジャクソンなど、そのステージに立った超有名アーティストが次々に話題にのぼる。その名前を聞いただけで、当時の光景への想像がふくらみドキドキしてきた。
 


「ザ・スタイリスティックス」も度々、演奏した


週1回は日本人が演奏していて、日野皓正(ひの・てるまさ)、山下洋輔(やました・ようすけ)などのジャズミュージシャン以外に、メジャーになる前の久保田利伸(くぼた・としのぶ)も出演したことがあるといい、その歌のうまさに観客がざわめき立ったという話も・・・。

テーブル&ミュージックチャージは、海外アーティストでは8800円(前売り8000円)、国内アーティストは4400円(前売り4000円)だった。
 


一流アーティストの演奏をこの空間で独占できるなら、決して高くない!?


レストランで提供されていた料理は、広尾の有名シェフが監修するフレンチの要素が入ったイタリアン。当時、「フランコイタリアン」と名づけていたそうだ。フロアスタッフのスーツは、有名デザイナーにオーダーし、イタリアの生地で作られたものだったという。

さすがバブル期。その華やかな雰囲気を感じてみたかった。

 

当時のレストラン。海の見える素敵なロケーションは今も変わらない


BIRDは、アーティストのギャラの高騰や出演交渉の煩雑さなどにより、2年ほどで営業を終了。フレンチレストランやカフェなどと変遷し、現在は、ウエディングパーティースペース「UNION HARBOR」として営業している。

また、タイクーンを語るうえで忘れてはならないのが、1991(平成3)年12月にオープンした隣のライブディスコ「Glam Slam Yokohama(グラムスラム横浜)」。2016(平成28)年4月に亡くなった、アメリカのミュージシャン「プリンス」がプロデュースしたディスコだった。実際にプリンス本人も訪れたことがあるそうだ。


あの「プリンス」がプロデュースしたとは驚きだ(フリー画像より)


そのVIPルームに、スティーヴィー・ワンダーが、Aさんの知人のつてで、こっそり訪れ、ピアノ演奏をしたこともあった。彼が来店後は、お客さんをシャットアウトしたそうだが、偶然、居合わせたお客さんは、突然のことに大変な驚きようだったそうだ。

「ジュリアナ東京」全盛期のなか、グラムスラムは主に地元の若者が集まるディスコで、ジュリアナから流れてくる客を排除するような雰囲気もあり、ちょっとしたつばぜり合いもあったとか。かつての横浜人のプライドや気質を感じる、興味深い話だ。

お客さんはタクシーで次々に、タイクーンへ、グラムスラムへと乗り付けた。駐車場もいつも満車。駐車場待ちの列が山下公園まで続くこともめずらしくなかったそうだ。

グラムスラムは時流に合わせ3年ほどで閉店。1995(平成7)年にはライブハウス「Bay Hall(ベイホール)」をオープンした。


昨年20周年を迎えたBay Hallは、現在も営業中

 
 
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