横浜市と鎌倉市の境に飛び地ができたわけとは?【前編】
ココがキニナル!
隣接している戸塚区影取町と鎌倉市関谷では、関谷の中に影取町の飛び地が1か所、影取町の中に関谷の飛び地が3か所あります。一体なぜなのか、理由や現地住民はどう思っているのか(だいさん/ふわとんさん)
はまれぽ調査結果!
今回の飛び地の場所一帯は鎌倉郡に属していた。影取町は1889年に横浜市となったため、隣接する鎌倉市関谷との間に飛び地が生まれた可能性がある。
ライター:小方 サダオ
市の境目にある飛び地
飛び地のあるあたり(赤丸)(Googlemapより)
投稿には「関谷の中に影取町の飛び地が1ヶ所、影取町の中に関谷の飛び地が3ヶ所あります」とある。
地図で確認すると、確かに西側の横浜市影取町に東側の鎌倉市関谷の飛び地が3ヶ所、鎌倉市関谷には横浜市影取町の飛び地が1ヶ所あった。
今回は前編と後編の2部構成で、横浜市影取町と鎌倉市関谷の飛び地について調査を行っていく。
影取町の中にある関谷の飛び地(青矢印)と関谷の中の影取町の飛び地(赤矢印)がある
そもそも飛び地とはなにか、辞書で調べてみると「ほかの区域の中に離れて存在するものの行政上は主地域に属する土地」とのことだった。
また、浅井建爾(あさい・けんじ)著書の『日本列島飛び地の謎 地図に秘められた意外な歴史!』によると「1889(明治22)年に市制町村制が施行。7万以上の町村が1万5千程度に統合され、飛び地も解消された。1953(昭和28)年に施行された町村合併促進法、さらに平成の大合併もあり現在は1800にも満たない」とあった。
少なくなっている飛び地がこの市の境に残っている理由はなぜだろう。
そこで現地の状況を確かめてみることにした。
最初に訪れた場所。影取町内の関谷の飛び地(青矢印)
国道1号線の影取町交差点を曲がり、大船方面へと進むと、湾曲したカーブがある。ここはまだ影取町であるが、地図上ではこのカーブのあたり一帯が関谷になっている。またこのカーブの突き当りにも影取町に飛び出している部分がある。
影取町交差点
この前方一帯が関谷だ
信号の先の道路周辺も関谷だ
続いて南にある飛び地に向かうことに・・・。
国道1号線を南下し、藤沢バイパス出口を藤沢駅方面に左折、すると施設内が影取町と関谷の飛び地にまたがっている場所を発見した。
影取町内にある関谷の飛び地(青矢印)
藤沢バイパス出口を藤沢駅方面に左折
施設前には市の境界線がある
そして先へ進むと、影取町から関谷に入ってすぐのところに、関谷内の影取町の飛び地があった。
先ほどの飛び地(青矢印)と関谷の中の影取町の飛び地(赤矢印)
関谷内にある影取町の飛び地は畑になっている
飛び地内の工場の看板には「戸塚区影取4」とある
どちらの場所も道路や住宅や施設、畑や駐車場などが範囲に含まれているが、飛び地になっている理由を示すようなものは見当たらなかった。