京急線の「旧平沼駅」って今後はどうなるの?
ココがキニナル!
京急の横浜―戸部の間にある旧平沼駅について詳しく知りたい!今後の予定は?(balsamicoさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
京急電鉄によれば、今後については「全くの未定」。ただ、営業再開することはないようだ。
ライター:山根 まひろ
京急本線の横浜―戸部間にかつて「平沼駅」という駅があったことを知っている人はどれくらいいるのだろうか?
1931(昭和6)年、横浜駅から695m、戸部駅から435mという近接した位置にアーチ状の鉄骨上屋を持つ相対式ホームが設けられた。それが旧平沼駅だ。
赤い点が旧平沼駅。相鉄線平沼橋駅、市営地下鉄高島町駅とも非常に近い
旧平沼駅の歴史
1931(昭和6)年12月26日に開業した旧平沼駅は、当時の平沼商店街から強い要望があり、それに答える形で開業した。
横浜駅が近く、電車が横浜駅を出て坂を登りきったところにあるため、京急電鉄によれば「駅を作りたくなかったのが本音」だったそうだ。
戦前は盛況を誇ったという平沼商店街
しかし間もなく戦争が始まり、もともと横浜駅と近かった平沼駅は1943(昭和18)年6月30日、戦時対策として営業を休止し翌年の1944(昭和19)年11月20日には正式に廃止が決まってしまう。実質営業期間わずか11年半という短命の駅だった。
そして1945(昭和20)年4月4日~5日未明にかけての空襲、また同年5月29日の横浜大空襲で被災し、壊滅的な被害を受けるも、戦後は横浜の空襲被害を伝えるモニュメントとして、60年以上経った今も残されているそうだ。
そんな旧平沼駅、現状はどうなっているのだろう? 早速現地へ行ってみた。
平沼駅の今は
まずは、駅の周りから観察してみるが、駅施設の部分は全て閉じられており、中の様子を伺うことはできない。
ホームの面影を下から
随所に見える欠損は戦災によるものか、老朽化のためか…
駅施設だったと思われる部分はすべて鉄板で取り囲まれている
中の様子を伺うため、近くのビルの方に許可をいただき、階段から撮影させてもらった。
閉ざされた高架下。駅舎の面影はほとんどなく、支柱が残るのみ
階段は残っているが、途中で途切れている
さらに上にのぼり、ホームを確認。これは京急線に乗って注意深く観察すれば見える部分だ。改札へ下る階段が見えるが、それと比較するとかなり狭いホームが特徴的。
線路の両脇に、朽ちてはいるが相対式ホームの面影が残る
空襲によって焼けてしまったという旧平沼駅。その爪痕を垣間見ることができた。
しかし、この旧平沼駅が営業していた当時はどんな様子だったのだろう?