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25周年を迎えた「シネマ・ジャック&ベティ」で振り返る横浜と映画館の歴史とは? 前編

ココがキニナル!

伊勢佐木町のミニシアター、JACK&BETTYが25周年だそうです。横浜の映画館やミニシアター、また映画の歴史なんかレポートしてください。(Kane-gonさん、マサスーンさん)

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2016年12月に開館25周年を迎えたシネマ・ジャック&ベティ。記事の前編は横浜の映画史と、ジャック&ベティの歴史を紹介

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ライター:紀あさ

横浜市中区若葉町のミニシアター「シネマ・ジャック&ベティ」が25周年を迎えた。映画の歴史が横浜の街にどう続いているかを想うにはいい機会だ。今回は前編で横浜の映画の歴史を中心に、後編でジャック&ベティのことを中心にお届けする。



横浜の映画ことはじめ



ずっとずっと昔から、街にあったような気がする映画館だが、実は映画の歴史は今より120年ほど前にやっと始まる。

「エジソンが一人で見る映画を発明し、リュミエールがみんなでみる映画を作った」というように言われるが、トーマス・エジソンらが箱の中を覗き込んでみる形の「キネトスコープ」を発明したのが1891(明治24)年。

その後リュミエール兄弟によりスクリーンに撮影機兼映写機「シネマトグラフ」から投影する形で世界初の商業映画が一般公開されたのは1895(明治28)年12月28日とされている。
 


キネトスコープ(開けて内部構造を見せた状態、Wikimedia Commonsより)

 
発明後さほど時を待たずして、1896(明治29)年にキネトスコープが、1897(明治30)年にシネマトグラフが、それぞれ日本に初輸入される。横浜では同年3月に、中区住吉町「港座」でシネマトグラフが公開され、横浜での映画上映の歴史が始まる。
 


上映中のシネマトグラフ(同)

 
横浜最初の常設映画館は1908(明治41)年12月にオープンした「Mパテー電気館」。1911(明治44)年のクリスマスには日本最初の洋画専門館といわれる「オデヲン座」が賑町(にぎわいちょう:現在の伊勢佐木町)に創業した。

ジャック&ベティの前身となる「横浜名画座」(のちに東映名画座、以下名画座)は、そのちょうど41年後、1952(昭和27)年の同じく12月25日に始まった。
 


開館時の新聞広告。若葉町の接収が解除され、米軍の飛行場跡地にオープン

 
時が過ぎ、ビルが老朽化で建て替えられ、1991(平成3)年12月21日に名画座を引き継ぐ形で「シネマ・ジャック&ベティ」(以下ジャック&ベティ)としてリニューアルオープン。2016(平成28)年の12月21日に開館25周年を迎えた。

現地を訪れてみよう。
 


京急線黄金町駅から徒歩5分(Googlemapより)


一見普通のマンションだが


1階が映画館の入口

 
階段を上って右がジャック、左がベティ。
 


ブルーの客席がジャック、レッドはベティ


出迎えてくださったのは支配人の梶原俊幸(かじわら・としゆき)さん(39歳)と


副支配人の小林良夫(こばやし・よしお)さん(36歳)

 


ジャック&ベティと横浜の映画館の歴史



ジャック&ベティが名画座だったころには、通りを挟んだ向かいに姉妹館の「横浜日劇」(以下日劇)があり「洋画は日劇、邦画は名画座」と言われた。
 


名画座と日劇が向かい合う当時の若葉町

 
伊勢佐木町界わいには数多くの映画館があった。若葉町だけでも、ほかに千代田劇場、横浜大勝館と計4劇場があった。
 


伊勢佐木町界わいに約40ものスクリーンがある時代もあった

 
一般社団法人日本映画製作者連盟の日本映画産業統計によると、全国的な映画館数(スクリーン数)の最盛期は1960(昭和35)年の7457。そこから徐々に減り、最も少なくなるのは1993(平成5)年の1734スクリーン。その後、少しずつ増えて、最新発表の2015(平成27)年末では3437スクリーンとなっている。
 


推移図(同統計より作成)

 
こうしてみるとジャック&ベティがオープンした1991年というのは、映画館がどんどん消えてゆく難しい時代だ。