【横浜の名建築】横浜郵船ビル(日本郵船歴史博物館)
ココがキニナル!
横浜にある数多くの名建築を詳しくレポートするこのシリーズ。第20回は、横浜郵船ビル(日本郵船歴史博物館)。豪華客船が次々横浜港を航行していた時代を彷彿とさせる、威厳に満ちた建物だった。
ライター:吉澤 由美子
現在も日本の海運業界を代表する企業である、日本郵船株式会社。
1885(明治18)年に設立され、当時、欧米の名門海運会社が独占していた世界の主要都市への航路を短い期間で開設し、以後、世界有数の海運業者として歴史を重ねている。
風格のある重厚な外観の横浜郵船ビル
日本郵船歴史博物館は、2003年に横浜郵船ビルを竣工当時の姿にリフォームして併設された施設。
近代日本海運の黎明期から今日に至るまでを紹介する常設展の他、さまざまな企画展が行われている。
博物館入口。氷川丸も日本郵船の船だ
建物を案内してくださったのは、日本郵船歴史博物館で学芸員をされている海老名熱実(えびなあつみ)さん。
建物にまつわるエピソードや推理を楽しそうに紹介してくれた海老名さん
竣工当時の横浜郵船ビル
重厚で威厳のある横浜郵船ビルは、1936(昭和11)年、日本郵船株式会社創立50周年を記念して建てられた。
設計したのは、金沢出身の和田順顕(わだじゅんけん)。東京美術学校(現:東京藝術大学)図案科を主席で卒業し、アメリカ各地を視察して当時の建築を学んだ建築家だ。当時、日本郵船に金沢出身の重役がいて、その関係から抜擢されたのではないかと伝わっている。
機能優先のシンプルなモダニズムが台頭してきた時代に建てられた、ギリシャの神殿を思わせるアメリカ古典主義様式のこの建物は、前面に16本並んだ列柱が圧倒的な存在感を放っている。
列柱は角度を変えて見ると、その場所によって印象がかなり違う
列柱の並ぶ姿は当時の銀行建築に似ているが、日本郵船株式会社が船荷証券を発行していたこともあってこのデザインに決まったのではないかと言われている。
海運会社が発行する船荷証券は、船会社が船荷を預かったことを証明するもの。貿易上、重要な役割を果たす証券を発行する場所だけに、その建物にも銀行のような威信が求められたと考えられる。
竣工当時の姿が残る1枚の写真がある。それを見ると、列柱の上にある帯状のエンタブラチュアにロゼットがあることに気付く。ロゼットはバラの花を模したもので、太陽の象徴とも言われる意匠。現在、前面には残されていないが、横に回ると右側の壁にのみロゼットが残されている。
竣工された当時の横浜郵船ビル※日本郵船歴史博物館所蔵
この頃は、海外旅行といえば客船に乗って行くものであり、豪華客船は海運事業の華。
横浜郵船ビルの3階には、豪華客船の従業員を教育する施設があった。英語などの語学の他、料理、マナーなどの授業も行なわれていたらしい。
豪華客船の楽しみの中で、食事はかなり大きなウエイトを占めている。昔は船上の娯楽も現在に比べ少なかったので、食事の重要性はさらに高かった。
客船の厨房施設を入れたコック養成所では、フランスから招いたシェフがコックたちに本格的なフレンチの作り方を伝授し、サービスの仕方に至るまで実践的な教育が行われていた。
パンを焼く講習中と思しきコック養成所※日本郵船歴史博物館所蔵
昭和初期という時代にこれだけ充実した施設を社内に持っていたからこそ、豪華客船にふさわしい一流のサービスを提供できたのだろう。
建物の裏手には、現在解体中の煙突がある。これも船に石炭をくべる火夫がその練習に使ったのではないかと言われている。
威厳に満ちた外観と、機能的な中に華やかさがある室内
正面に並ぶ列柱は、細身で柱頭にアカンサス(葉アザミ)の飾りを持ち、小さな渦巻きが入ったコリント式。
鋭い切れ込みが入ったアカンサスは西洋建築の伝統的な意匠
建物の2階以上にまたがる柱は大オーダーと呼ばれ、それが16本も並ぶ様は威風堂々とした威容を誇っている。
創建当時はコの字型だったが後に増築され、現在の四角い建物になった。
海岸通りと大さん橋通りに面した部分は櫻山石が貼られている。この石については、産地などの詳細が伝わっておらず、「浅黄色にて下等なれど丈夫なり」というコメントのみ残されている。ロゼットの残った右側の横壁は人造石だ。
ロゼットの残っている人造石の壁面