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史跡と現代の名物を巡る旅。はま旅Vol.36「保土ケ谷編」

ココがキニナル!

横浜市内全駅全下車の「はま旅」第36回は、江戸時代には東海道の宿場町として栄え、現在も街のさまざまな場所に史跡が残る、保土ケ谷駅。

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ライター:吉澤 由美子

今回は、JR保土ケ谷駅と聞いて、まず気になったのが地名に入っている『ケ』。

調べてみると保土ケ谷区のホームページに、「保土ケ谷区では、これから、『「保土ケ谷区」の「ケ」は大きな「ケ」です!』と宣伝していきます」と書かれていた。

条例で大きな『ケ』と決まっているとのこと。
 


JRの駅名表示も「ケ」が大きい


iPhoneでは、「保土ケ谷/保土ヶ谷」と2種類の候補が出るけれど、ほかの携帯電話の変換では「保土ヶ谷』と小さな『ヶ』だけしか出てこないものもある。

「もっとがんばれ、大きな『ケ』の保土ケ谷」エールを送りながらJR保土ケ谷駅(西口)に降りる。
 


駅前にあった、箱根駅伝のカラーマンホール




東海道の宿場町 保土ケ谷



保土ケ谷は、東海道五十三次の4番目で、武蔵国最西端の宿場町。
日本橋から、品川宿、川崎宿、神奈川宿ときて、保土ケ谷宿。この先は相模国の戸塚宿に続く。
 


西口近くの車止めは、チョンマゲに裃をつけたお侍さんの姿


江戸時代、大名は参勤交代で定期的に自領から江戸に来る義務があったため、各街道の宿場町には大名のための宿「本陣」があった。
 


駅周辺の歩道にはこんな表示もある


保土ケ谷宿は、本陣に加え、本陣と同じような機能を持つ予備的な施設「脇本陣」が複数あり、さらに「旅籠(はたご)」と呼ばれる一般の宿が約50軒ほど並ぶ華やかな宿場町だったらしい。
 


歴史散歩道には、点在する史跡に説明プレートがある
 

本陣跡には、古びた門や説明プレート


このあたりは旧東海道と国道一号線が合流している。国道一号線を整備する際、旧東海道を7m広げたので、宿の門や前庭、建物がなくなってしまったらしい。

現在は、風情のある大きな日本家屋の旅籠「本金子屋跡」が残っている。
 


明治2年に建てられたこの建物は、東海道の旅籠の雰囲気が残る


「本金子屋跡」には、道路拡張で外された門が外壁として使われているのも見どころ。

旧街道の風情を味わったところで、あたりを見渡すと面白いものを見つけた!
「水屋」という脇本陣の跡地が、保土ケ谷消防署本陣消防出張所になっている。

  


脇本陣「水屋」跡。消防署に水はつきもの


収まりのよさに感心しつつ駅に戻る途中で、旧東海道とJR東海道線がクロスする踏切を渡る。
 


ここの踏切の住所表記は『保土ヶ谷』?! ケは大きく!!


踏切を越えたドミノピザの交差点も歴史的な場所。

ここには、「金沢横町道標」が四基残っている。東海道と「かなざわ・かまくら道」という重要な街道が交差する追分(おいわけ)だった場所だ。
 


金沢、鎌倉、浦賀、円海山、杉田、富岡などに行けることを案内する道標
 

それぞれの道標を解説した説明がある


実はこの日、「はまれぽ.com」を取材するためケーブルTVの『J:COM』クルーが同行していた。
 


道標前でインタビューされる吉田編集長


いかにも史跡らしい道標の前で、雰囲気のあるインタビューになってひと安心。

せっかくなので、かなざわ・かまくら道を歩いてみる。先は坂道になっていて、左に石垣があった。

この石垣がなんとブラフ積み。山手あたりに残る明治初期の工法で、長方形の石を長辺と短辺交互に並べて積み上げるもの。さすがに古い街道筋だけあって、こうしたものがさりげなく残っている。
 


ブラフ積みの石垣

どんどん急になっていく坂を上ると、ここにも史跡。
 


花に囲まれ、瓦で作った小路がキュート


ここは、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻、北条政子が化粧直しに使った「御台所(みだいどころ)の井戸/政子の井戸」。
 


蓋をめくってみたら、井戸は埋められていた


タイプの違う史跡を回ったので、次は保土ケ谷名物を探したい。
そこで、坂道を降りて国道一号線と環状1号が三叉路になっているあたりまで戻ってみる。