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横須賀・ドブ板通りで生まれたスカジャンの歴史

横須賀・ドブ板通りで生まれたスカジャンの歴史

ココがキニナル!

スカジャンはドブ板通りで産まれたそうですね。スカジャン誕生の歴史と今でもドブ板通りで着ている人はいるのか調査お願いします。(たこさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

占領軍の土産物としてドブ板通りで生まれたスカジャンは、日本人に根強い人気を誇る横須賀の代名詞的存在。戦後史を物語る文化的遺産に、職人不足という課題も立ちはだかる今、新たな展望も拓きつつある

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ライター:結城靖博

「スカジャン」といえば、ド派手な背中の刺繍、ヤンキー、ツッパリ、リーゼント・・・、そんな不良っぽいイメージを連想しがちだが、その誕生と発展の歴史を紐解けば、戦後史があぶり出されるような貴重な文化的遺産でもある。
 


これぞモノホンのスカジャン! 老舗「ファースト商会」店内に並ぶ逸品たち

 
 
 

そもそもスカジャンの由来とは?


 
スカジャンの「スカ」はもちろん横須賀のスカ(ただし、厳密には諸説あり)。そもそも第二次世界大戦後、横須賀に駐留した米兵たちが、母国へのお土産物として、基地近くのドブ板通りに店を構えるテーラーに生地を持ち込みジャンパーの仕立てを頼み、そこに龍や虎、鷲などオリエンタルな刺繍を施してもらったのが事の始まり。なんと最初期に米兵たちが持ち込んだ布は、落下傘の生地(シルク)だったという話も。
 
ところで、そのドブ板通りは、なにゆえ「ドブ板」と呼ばれたのか。それは、そこにかつてドブ川が流れていたから。その川が通行の邪魔になるからと、大日本帝国海軍工廠(だいにほんていこくかいぐんこうしょう)から鉄板を提供してもらいドブにフタをしたことから、「ドブ板通り」と呼ばれるようになったという。
戦前は帝国海軍横須賀鎮守府(ていこくかいぐんよこすかちんじゅふ)の門前町として栄え、戦後は進駐軍、そしてその後の米軍横須賀基地(ベース)に駐留する米兵のための土産物店、バー、飲食店、テーラーショップなどが建ち並ぶ商店街として繁栄する。
 
そんな経緯から、当初スカジャンは米兵たちの間で「スーベニール(土産物)ジャケット」と呼ばれていた。それが横須賀発のオリジナル・ジャンパー「スカジャン」と名を変えていくのは、1960年代のロカビリーやロックンロールブーム、70年代のヤンキーブームなど、日本の新たな若者文化とのリンク、それによる米兵から日本人へと客層の転換があったからだ。
 
こうした戦後昭和史を背負ったスカジャンの、今日のご当地事情はいかがなものか? 「たこさん」のキニナルに応えるべく、令和も明けた5月半ば、ドブ板通りを訪ねた。
 
 
 
商店街振興組合理事長に「スカジャン発祥の地宣言」から1年余の今を尋ねる
  

ドブ板通りへの道 
 
ドブ板通りは汐入(しおいり)駅から徒歩3分。東西にのびる全長300メートルほどの商店街だ。
実は、昨年2018(平成30)年2月12日、ドブ板通り商店街では「スカジャン発祥の地宣言」というイベントが催された。上地克明(かみじ・かつあき)横須賀市長や小泉進次郎(こいずみ・しんじろう)衆議院議員もスカジャンを着て壇上で演説をおこない、大盛況だったという。
そのとき作られた記念プレートは、今、ドブ板通りの地面に埋め込まれている。
 


通りに埋め込まれた「スカジャン発祥の地宣言」記念プレート

 
そのイベントから1年余りが経った現在のスカジャン事情を伺うべく、ドブ板通り商店街振興組合理事長・越川昌光(こしかわ・まさみつ)さんのお店を訪ねた。
越川理事長はドブ板通りの入り口そばにある「双葉(ふたば)貸衣裳店」を経営している。同店は創業70年を超える老舗店だ。
 


右側の補聴器店のあるビルの3階が双葉貸衣裳店。左手に見えるのが「ドブ板通り」

 
越川理事長によれば、「宣言」以来、市外・県外からもスカジャンを求めて訪れるお客さんが増え、ドブ板通りの外の近隣店でもスカジャンを仕入れるようになったという。宣伝効果は、やはり大きかったようだ。
組合では、この機運に乗じて、さらに積極的な取り組みを進めている。たとえば、来年の東京オリンピックに向けて現在製作中の、オリンピック・エンブレムの刺繍入りスカジャン。これは行政と一体の企画だという。
また、スカジャン柄が描かれたオリジナルTシャツも作り、現在、ドブ板通りのインフォーメーションセンター兼アンテナショップ「ドブイタステーション」で販売されている(税込2700円)。
 


「スカジャンTシャツ」を広げて見せてくれた越川理事長

 
スカジャンの今後についても話を伺った。
「スカジャンといっても今はピンからキリまである。安いものなら1万円以下でも手に入るし、上物だと5万円ぐらいするものも。何でもありきになってきている中、我々組合としては差別化を図っていきたい。やはり、本物志向のお客さんが求めている『唯一無二の手縫いのスカジャン』を応援していきたいですね」
とはいえ、高度な縫製技術を必要とする職人さんたちが、今、減少しているという。そこが大きな課題のひとつであるようだ。
 
 
 
ドブ板通り沿いのスカジャン専門店を巡る
 
双葉貸衣裳店をあとにして、さっそくドブ板通りへ足を踏み入れた。
 


大型連休が明けた平日昼下がりのドブ板通りは静かな雰囲気

 
まずは「スカジャンTシャツ」を置いているという「ドブイタステーション」を覗いてみる。
 


「ドブイタステーション」店頭

 
入り口には先ほど見せてもらった「スカジャンTシャツ」が吊るされ、観光案内のガイドブックやマップが置かれていた。そして店内には、さまざまなタイプのオリジナルTシャツや海軍カレー、横須賀銘菓、小物雑貨といったお土産物が販売されている。
特に目を引いたのが、入って左手の壁に飾られた「横須賀今昔物語」と謳った写真額だ。
 


横須賀市内各所の過去と現在の写真がたくさん並んでいる

 


そこにはもちろんドブ板通りの写真もあった

 
そのドブイタステーションの左隣りに、スカジャンをショーウインドーに飾るウッディなお店があった。
 


ショーウインドーの中のスカジャン

 


ドブイタステーションに隣接する店

 
この店こそ、越川理事長が「応援していきたい」と言っていた本格的なオリジナル商品を取り扱うスカジャン専門店のひとつ、「MIKASA vol.2」だった。創業は、サンフランシスコ講和条約が発効し日本が主権を回復した1952(昭和27)年。老舗である。
さっそく店内に入り、店長の一本和良(ひともと・かずよし)さんから話を聞く。
越川理事長いわく、一本さんは「発祥の地宣言」はじめスカジャン活性化に尽力する立役者の一人でもあるという。
 


店内の様子。奥にいるのが一本さん

 
一本さんによれば、確かに「発祥の地宣言」以降売れ行きは順調だが、そもそもそれ以前に、2016年のパリコレでグッチやルイ・ヴィトンがスカジャンを起用し国内外の脚光を浴びたことも大きいという。以来、ファッション誌やテレビで取り上げられる機会が増え、「ふつうファッションは1~2年で流行が変化するものだが、スカジャンの需要は安定していて、完全に人気が定着してきた感がある」という。

一本さんに、店で特に人気の商品はどれか尋ねてみた。教えてくれたのが下の写真の商品。一番人気のオリジナル・デザインのスカジャンだという。
 


一番人気のスカジャン。値段は1万8000円(税別)

 
また、自慢の逸品も見せてもらった。
 


唯一無二のフル・オーダー。こちらは5万円ナリ(税別)

 
ところで、スカジャンのバックには「Yokosuka」と書かれたものと「Japan」と書かれたもの、さらに両方とも書かれたものもある。米兵のお土産物としては「Yokosuka」では場所がわかりづらいので「Japan」と入れるようになったが、一本さんは「Yokosuka」という表記にこだわっている。
 
その後、お母さんであるこの店の社長、一本玲子(ひともと・れいこ)さんにも、客層の変化について話を伺うことができた。
今でも土産物としてスカジャンを買いに来る米兵はいるのか尋ねると、「港に軍艦が寄港したときは買いに来る人もいないことはないが、ふだんはほとんど日本人」とのこと。一方、最近は観光客の外国人も増えてきたという。飛行機の中のガイドブックに店が紹介されていたと言って来る外国人もいるそうだ。
 
老舗以外のタイプのちがう店にも取材したいと思い、さらにドブ板通りを奥へ進むと、左手にキッチュな構えのお店を発見。
 


スカジャンを着た子どものマネキンが、なんともキニナル

 
店内に入ってみると、そこにいたのは陽気な黒人男性だった。ここ、HIPHOPカジュアルショップ「ACTIVE SOUL」の店主、エマニュエルさんである。
エマニュエルさんは17年前にナイジェリアから来日して、すぐにここドブ板通りで今の店を始めたという。
 


ずらりと吊るされたスカジャン。店の奥には種類豊富な帽子もある

 
「ボクも写すの?」と案外シャイなところもあるエマニュエルさんに、この店の品揃えを伺う。
店頭でマネキンに着せていた子ども用のスカジャンは4000円程度からあるが、主流は1万円ぐらいとか。高いもので2万円台。その一着を見せてもらった。
 


バックに桜の刺繍を施したスカジャン

 
2万6000円(税込)のその商品は案外シンプルなデザイン。どうして高いのかというと、リバーシブルになっているから。
 


裏返すと絵柄がない。これならどこでも着れそうだ

 
最近の売れ行きを尋ねると、やはり好調だそうだ。客層は圧倒的に日本人が多いが、ここでも外国人観光客が増えているという。
実際、取材を終えて店を出てから間もなく、白人の外国人男性4人が店の中に入っていった。ずいぶん長い時間店の中にいたかと思うと、ようやく外に出てきた4人。そのうちの最後の一人が店の紙袋を提げていた。
 


「ACTIVE SOUL」から出てきた4人

 
彼らが去った後すぐにまた店に戻りエマニュエルさんに訊いてみると、「1万2000円(税込)の龍と虎の刺繍のスカジャンが売れたよ」と嬉しそう。4人は米兵ではなく、たぶん観光客だろうという。
 


今買っていったものと同じ柄のスカジャン

 
 
 

ドブ板通りのスカジャンの歴史上、決して外してはならない店へ


 
その後ドブ板通りから逸れて、国道16号線沿いの大通りへと向かった。そこに、越川理事長から再三名前が挙がった、スカジャンを語るうえで決して外せない店があるからだ。
その店の名は「ファースト商会」。「スカジャン発祥の地宣言」でも、長年の貢献から感謝状を授与された松坂良一(まつざか・りょういち)さんが営む、唯一無二のフル・オーダー製品を昔ながらの手縫いで仕上げる、ドブ板通り商店街の中に残る貴重な店だ。
 


青色のテントの店がファースト商会

 


正面から見るとこんな感じ。シブい!

 
店の前にたどり着いたちょうどそのとき、スカジャンを着た一人の若者が店から出てきた。
常連客にちがいないと思い声をかけると
「はい、お客でもありますが、習ってもいるんです」と言う。
えっ、どういうこと?と思い、さらに話を伺うと、横浜・黄金町で刺繍アートのアトリエを持ちながら、松坂さんに縫製技術を学んでいるという。お名前は、ヤマガミ・ダイスケさん。とりあえず名刺交換をしてお別れした。
 


松坂さんに刺繍を習っているというヤマガミさん