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ホテルニューグランドの社名に「、」が入る理由とは?

ホテルニューグランドの社名に「、」が入る理由とは?

ココがキニナル!

横浜で一番伝統と格式の高いホテルニューグランドの社名は「ホテル、ニューグランド」。「、」が邪魔に感じるのですが真相を確認願いたい。また、正式社名から「、」を取る可能性は?(よこはまいちばんさん)

はまれぽ調査結果!

社名に「、」がついている謎は深まるばかり。だが「、」の使い分けはされている。また、社名から「、」を外す予定はない。いっぽう、編集部は執念の捜索の末、数少ない「、」つきの場所を発見!

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ライター:結城靖博

確かにいかなる業種にあっても、社名に「、」をつけるというのはなかなか珍しい。文章じゃないんだから。これは何か深~い訳があるのかもしれない。そんな期待を抱いて今回のキニナル投稿の取材に向かうことにした。

が、その前に、「はまれぽ」ではおなじみのホテルニューグランドだが、ここでもう一度由緒あるこのホテルの歴史をざっとおさらいしておこう。
 
 
 

ホテル名をあやかった「グランド・ホテル」の歴史を紐解く


 
「ホテルニューグランド」の名は、明治・大正期の横浜を代表するホテルとして名を馳せた「グランド・ホテル」を継いだものと言われる。ただし経営母体は関係なく、あくまで「盛名にあやかった」ものだった。

では、ホテルニューグランドの鑑となった「グランド・ホテル」とは、どんなものだったのか。

開港直後、横浜の外国人居留者たちの住環境は劣悪だった。それは神奈川宿近辺を開港場にしたい外国人と、横浜を開港場としたい幕府との間の軋轢(あつれき)で、居留地整備が滞ったためだ。その間、外国人たちは幕府が用意した仮長屋や民家に居住していた。それゆえ、開港場として横浜を確固たるものにするためにも、外国人用ホテルの建設が急がれた。

こうした中、幕末の1860年代にいくつかのホテルが生まれる。経営者の多くは航海中の寝食の経験をホテル経営に生かせる外国人の船乗りだった。だが、いずれも火災などによって短命に終わってしまう。

その後、明治初期に誕生したのが「グランド・ホテル」だ。創業は1870(明治3)年。やはり経営者は、長崎でホテルを営業していた外国人だった。
 


開業当時のグランド・ホテルの華やかさを伝える絵葉書(横浜市中央図書館所蔵)

 
ところで、グランド・ホテルが建っていた場所は、現在のホテルニューグランドとはちょっと違っていたようだ。次の絵葉書からそのことがわかる。
 


絵葉書「横濱谷戸橋及グランドホテル」(横浜市中央図書館所蔵)

 
元町との境、堀川(ほりかわ)に架かる谷戸橋(やとばし)のすぐそばにホテルはあった。いっぽう現在のホテルニューグランドはもう少し北北西の、当時はまだ存在しなかった山下公園通り沿いに建っている。
 


谷戸橋とホテルニューグランドとの位置関係
(© OpenStreetMap contributors)

 
明治中期の1883(明治16)年、横浜にはもう一つ「クラブ・ホテル」という名の外国人向けの大きなホテルができた。しかしこちらは火災、倒産などで1917(大正6)年にはなくなっている。対してグランド・ホテルは、1923(大正12)年9月1日の関東大震災で倒壊するまで、長く横浜のホテル界に君臨した。
 


震災時のグランド・ホテルの惨状を伝える絵葉書(横浜市中央図書館所蔵)

 
なお、「グランド・ホテル」の詳しい歴史を知りたい方は、過去記事「関東大震災で焼失した山下町の『グランド・ホテル』の栄華を教えて!」をご覧いただきたい。