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「環2を走ると必ずラーメン屋が見える」横浜の謎道路、その秘密に迫った!

「環2を走ると必ずラーメン屋が見える」横浜の謎道路、その秘密に迫った!

ココがキニナル!

環状2号線の下永谷辺りは、ラーメン街道と呼ばれるくらい横浜の中でもラーメン激戦区ですよね。どうしてこの辺りにラーメン店がひしめき合うことになったのか、是非経緯を知りたいです!(てるみこさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

環状2号線の下永谷〜上永谷周辺が「ラーメン街道」と呼ばれるようになったのは、道路整備による車アクセスの良さと、家系ラーメンの名店が集まったことが大きな理由でした。

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ライター:新はまれぽ編集部

横浜市内を車で走っていると、気になる道路がある。

環状2号線、通称「環2(かんに)」。磯子区から鶴見区まで横浜市内をぐるりと回る24.5km の幹線道路だ。

この道路を走っていると、あることに気づく。




雨の日の車内から撮影しています

「なんか……ラーメン屋、多くない?」

特に港南区の下永谷から上永谷にかけてのエリアは異様だ。少し走るたびにラーメン店の看板が目に飛び込んでくる。家系、つけ麺、二郎インスパイア……ジャンルもバラバラだ。

地元の人々はいつしかこのエリアを「ラーメン街道」と呼ぶようになった。

でも、なぜ?

鉄道駅から離れたこの場所に、なぜこれほどのラーメン店が集結したのか。疑問に思った読者から投稿があった。

「環状2号線の下永谷辺りは、ラーメン街道と呼ばれるくらい横浜の中でもラーメン激戦区ですよね。家系だけに留まらず、多彩なラーメンを楽しむことができます。しかし、そもそもどうしてこの辺りにラーメン店がひしめき合うことになったのか、是非経緯を知りたいです!」

さっそく調査してみた。

全ての始まりは「道路の開通」だった


ひまわりトンネル東側

まず「環2」の歴史を紐解いてみよう。

環状2号線の都市計画決定は1950年(昭和25年)。しかし実際の整備は長年にわたってのろのろと進み、全線が開通したのはなんと1998年(平成10年)3月。計画から実に48年の歳月が流れていた。

さらに、下永谷周辺を通る「港南ひまわりトンネル」を含む区間の完成は1999年(平成11年)3月。鎌倉街道や笹下釜利谷道路とのアクセスが一気にスムーズになった。

ひまわりトンネル西側

この開通が、「ラーメン街道」誕生の伏線となる。

環2は横浜市内の主要な幹線道路だが、沿線の多くは住宅地や農地で、大きな商業施設は少ない。しかしその分、広い土地を確保しやすく、駐車場付きの大型店舗を出しやすい立地だった。

「車で来て、駐車場に停めてラーメンを食べる」 この郊外型のスタイルに、この道路は打ってつけだったのだ。

家系ラーメンとは何か? そのルーツを辿れば横浜に行き着く


家系総本山 吉村家

もうひとつの鍵が、横浜が誇る「家系ラーメン」だ。

1974年(昭和49年)、横浜市磯子区新杉田。元長距離トラック運転手の吉村実氏が、10坪ほどの小さな店を開いた。全国を走り回る中で食べ歩いた「九州の豚骨」と「関東の醤油」——この2つを組み合わせた、濃厚な豚骨醤油スープのラーメンだ。

これが「吉村家」、家系ラーメンの総本山だ。

移転後の吉村家

近隣の工場労働者やトラック運転手の間でまたたく間に評判となり、吉村家で修行した弟子たちが次々と独立。「〜家」と名前をつけた店が増えたことで、いつしか「家系(いえけい)」という一大ジャンルが生まれた。

そして、この家系ラーメンの歴史の中で、下永谷という場所が重要な舞台となる出来事が起きる。

「御三家」の一角、本牧家が下永谷にやってきた


1986年(昭和61年)、横浜市中区本牧間門に「本牧家」が開業した。吉村家の2号店として誕生したこの店は、のちに「家系御三家」の一角として語られるほどの存在になっていく。

その歩みのなかで、大きな転機として知られているのが1988年だ。当時店長を務めていた神藤隆氏が独立し、「六角家」を開店。本牧家と吉村家の関係も、この時期を境に変化したとされている。

当時の詳しい経緯には諸説あるものの、本牧家はその後、営業体制を立て直して営業を継続。そして1999年、環状2号線沿いの下永谷へ移転した。

後に「ラーメン街道」と呼ばれるようになる環2エリアに、本牧家が店を構えたことは、その流れを語るうえでも象徴的な出来事のひとつといえる。

「刺客」出現! 環2ラーメン戦争の勃発


しかし、ここからが本当のドラマだ。

本牧家が下永谷に移転した翌年の2000年(平成12年)12月、環2沿いの本牧家からわずかな距離に、もう1軒のラーメン店がオープンした。

その名は「環2家(かんにや)」。

吉村家直系の名店だ。

この出店はラーメンファンの間で衝撃を持って受け止められた。何せ、吉村家と本牧家の間には、1988年の独立騒動に端を発する因縁がある。そこへ吉村家直系の店が、本牧家の目と鼻の先に乗り込んできたのだから。

「吉村家による本牧家への刺客ではないか」

そんな噂が口コミで広がり、ラーメン業界と全国のラーメンファンを騒然とさせた。

これが俗に言う「環2ラーメン戦争」だ。

本牧家(本牧家系・クラシック派)vs 環2家(吉村家直系) 二大名店が至近距離でしのぎを削るという、前代未聞の状況が生まれた。

激戦が「激戦区」を生んだ


マップ上で確認できたラーメン屋は6店舗

こうして環状2号線の下永谷エリアは、全国のラーメンファンが注目する「聖地」として一躍有名になった。

名店が争えば、ファンが集まる。ファンが集まれば、需要が高まる。需要が高まれば、新たなラーメン店が参入する 。

この好循環(?)が、現在の「ラーメン街道」を形成していった。

つけ麺の名店、二郎インスパイア系…続々と多様なジャンルが環2沿いに出店し、「家系の激戦区」は「ラーメン全般の激戦区」へと進化したのだ。

そして、2023年_本牧家、閉店


ひとつの時代が終わった。

2023年5月7日、本牧家が閉店した。

店主の高齢化を理由に、37年の歴史に幕を下ろしたのだ。閉店を惜しむファンが行列を作り、地元メディアでも大きく報道された。かつて下永谷を全国区の「ラーメン激戦区」にした名店の消滅は、多くのラーメンファンの心に深い喪失感を残した。

跡地には現在、次郎インスパイア系の「豚山 環2下永谷店 」が営業している。

一方、「相手」だった環2家は今も元気に営業を続けている。


ちゃっかり食べる。

まとめ:道路が拓き、名店が集め、ドラマが広めた

「なぜ環2沿いはラーメン激戦区なのか?」その答えは、3つの要素が重なった結果だった。

  1. 1998〜1999年の環状2号線開通 → 車アクセスが良く、駐車場付き大型店舗に最適な立地が誕生
  2. 1999年、本牧家(家系御三家)の移転 → 名店が「この場所はラーメンの街だ」という認知をつくった
  3. 2000年、環2家の出店→「環2ラーメン戦争」 → ドラマが全国的な注目を集め、激戦区のブランドが確立した

普段何気なく走り抜けるあの道路に、これほどのドラマが詰まっていたとは驚きだ。

次に環2を走るとき、きっとラーメン店の看板が違って見えるはず。

着丼。
個人的にショウガ+お酢の味変が好きでした(安田)

ー終わりー

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