源頼朝の墓が破壊されたその後の状況は?
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源頼朝の墓が破壊されたそうですが、どんな状況なんでしょうか? 最新情報をお願いします!(maniaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
壊れたお墓は復旧可能とのことで、現在鎌倉市役所と文化庁で修復に向けて調整中!
ライター:はまれぽ編集部
源頼朝といえば誰もが一度は耳にする人物といっても過言ではない。
そう。「いい国(1192年)作ろう、鎌倉幕府」でお馴染みのあの人だ。
そんな頼朝公のお墓が先日の2月11日、何者かの手によって壊されたという。
そこで現在の状況を調査するため現地へ向かった。
事件のあらまし
事件発生日は2月11日(土)の12時45分頃。神奈川県鎌倉市西御門の白旗神社敷地内で源頼朝のお墓を壊している人がいる、と参拝客の男性が鎌倉署へ110番通報。
警察が確認したところ、高さ180センチある墓石の上部分約60センチが落とされて壊されていたほか、白旗神社の狛犬も被害にあったようだ。
その後、男は400m離れた鶴岡八幡宮の境内で刃渡り約19センチの包丁を隠しもっていたことから、銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕となった。
頼朝公の墓から鶴岡八幡宮までの距離はおおよそ400m
ではその後はどうなっているのだろうか?そこで現在の状況や事件当日の様子を再確認するとともに、今後の修復予定を確認すべく、我々は現地へ向かった。
現地の状況は?
まずは頼朝公が眠る白旗神社へ。
取材日当日(2月14日)は寒空とあいにくの雨のため、参拝客や観光客の姿はほとんど見当たらない。
白旗神社
頼朝公が眠る墓は階段を上ったところにある
息を切らしながら最上段へ辿りつくと、お墓の囲いに取り付けられている扉が閉められ、現在は中には入れない状態だ。
お墓の扉は閉ざされ、中に入れないようになっている
頼朝公の墓は1779(安永8)年に薩摩藩の島津重豪によって建てられたもの。
国の史跡にも指定されている貴重な文化財だ。
囲いの中を確認すると作業はまだ未着手らしく、事件後とほとんど変わらない状態のようだ。
お墓の上部分は倒されたままで、後方下部分に割れた墓の一部が寂しく転がっている。
どこか儚げな頼朝公の墓