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昭和の香りがする鶴見線国道駅を特集して!

ココがキニナル!

旧平沼駅の記事がありましたが、鶴見線国道駅も、銃撃の痕等、戦時中の爪痕が残されているそうです。その他にも昭和の香りのするこの駅を詳しく特集して欲しいです。(jbさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

昭和初期、国道駅の高架下には臨港デパートがあったようだが、その当時の様子を伺える資料は残っていなかった。

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ライター:吉川 ゆこ

開業当時の雰囲気を今に見る (つづき)



改札口は位置が変わっているようだ/提供:鶴見臨港鉄道株式会社
 

スイカは使えるが、レトロな無人駅


開業当時から高架駅だったので、線路の下のスペースをテナントとして貸し出していた。現在も高架下を使ってテナントが入っている。
 


当時の高架線下貸室案内/提供:鶴見臨港鉄道株式会社


驚いたのは国道駅の高架下に「臨港デパート」という商店が入っていたということ。
古い沿線案内を見ると、臨港デパートでは食品や文具、玩具、洋服から日用雑貨に至るまで、さまざまなものが販売されていたと記されている。

しかし、今回貴重な資料を提供いただいた鶴見臨港鉄道株式会社の方も臨港デパートそのものを写した写真は見たことがないそうだ。いろいろ調べたが、臨港デパートの写真は見つからなかった。
 


長年鶴見線を走り続けたタンコロことクモハ12/提供:鶴見臨港鉄道株式会社


そこで、鶴見区の歴史を研究している鶴見歴史の会の松澤常男さんに話を伺ってみることにしたのだが、開口一番、「鶴見臨港鉄道時代の国道駅や臨港デパートについては、はっきりわからないんですよ」と松澤さん。
 


松澤さんには他のキニナル調査でもお世話になっている


まず鶴見臨港鉄道時代についての資料が非常に少ない。そして臨港デパートがどんな様子だったかを読みとれる資料は皆無に等しい。
デパートと名がついているからといって、私たちがイメージするようなデパートといえるほどの規模のものが、国道駅の高架下のスペースに入っていたとは思えない。日用品や食料品を中心とした中規模のスーパー程度であったと思う。

そして、臨港デパートが存在していた期間もはっきりしない。
「開店したけれど思ったよりも悪かった(盛況ではなかった)んじゃないかな?臨港デパートは売場を貸すだけだったので、鶴見駅の京浜デパート(戦時中に京浜百貨店と改称)が開業した昭和10年頃には廃業したのでしょう」(松澤さん)

京浜デパートは豊富な品揃えとサービスが功を奏し、川崎、鶴見の工場や鶴見高台の高級住宅地の住人の支持を得て、鶴見のデパートとして戦後まで賑わっていた。また2階の食堂は東京で名の知れた一流の店が入り、大盛況だったという。

松澤さんと一緒に話を伺った地元にお住まいの大沢さんは、京浜百貨店の中に入っていた食堂で、生まれて初めてホットケーキを食べたそうだ。「いまだにあの味を超えるホットケーキを食べることができない」とおっしゃる。華やかだった当時の様子が伺えた。

しばらく話を聞いてみたが、やはり国道駅や臨港デパートについての話は出てこなかった。国道駅は、例えば鶴見駅のように鶴見線の中で主要な駅というわけでもなかったのだと思う。今の国道駅があまりにもノスタルジックだからついエピソードを求めてしまうが、当時としてはごく普通の駅であったのだろう。



取材を終えて



今回は国道駅をメーンに調べてみたが、鶴見臨港鉄道の沿線周辺は、興味深い歴史の宝庫だ。今は埋立地となっている扇島周辺は海水浴の人気スポットで相当な賑わいであったし、鶴見の海では魚が獲れ、アサリの養殖が盛んだった。
魅力ある路線・鶴見線。一度その歴史を洗いなおしたいと思った。


― 終わり ―


参考文献
『郷土つるみ 第2号』鶴見歴史の会編 鶴見歴史の会刊
『鶴見懐かしの写真集』鶴見区制70周年記念誌編集委員会編 鶴見区制70周年記念事業実行委員会刊
『鶴見線物語』サトウマコト著230クラブ刊
 

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  • 私のおじいちゃんが生きていたらいろんな事を知っていたと思われます。 毎日鶴見線で通勤していたからナァ…。 よく混雑時に電車のドアのガラスが割れたという話をしてました。おじいちゃんの話ではそのくらいしか覚えてません。 おじいちゃんに会いたいな。

  • ホームに上る階段の写真が出ています。今(カラー)と昔(モノクロ)を比べると何となく変に感じますが、カラー写真は今の下り線側、モノクロ写真は上り線側のモノのようです。開業当時は下り線と上り線と両方に階段と改札がありましたが、その後、階段の途中に歩道橋を設け、改札を下り線側に統一したようです。

  • この電車ですがクモハ12ではありません。鶴臨社形の100型で、銚子電鉄でデハ301として最近まで走っていました。

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