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都筑区の佐江戸町の名前は、江戸と関係ある?

ココがキニナル!

都筑区に佐江戸町という町があります。江戸という言葉が含まれていますが、どんな由来でつけられた地名なんでしょうか(こばこばさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

徳川家康が江戸に入る前から存在した地名で、地元には興味深い言い伝えが残っていた。本当の由来は、“道祖神のある処”という説が有力か。

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ライター:田中 大輔

「さぁ、江戸だ!」と気合を入れたから!?



また、佐江戸町に古くからある無量寺というお寺を訪ね、住職にも地名の由来について聞いてみた。
 


中原街道の脇道にある無量寺


無量寺は、開山時期は明らかではないそうだが、鎌倉時代中期には無量寿福寺の名前で存在していたことが書物に書き残されているという、歴史あるお寺だ。
 


無量寺の本堂。真言宗高野山派のお寺だ


住職は「私もハッキリは知らないのですが」と前置きを付けて、「ここは裏街道沿いの町で、(平塚方面から来ると)江戸までもう少しという場所。そこで、“さぁ、(もうすぐ)江戸だ!”というんで佐江戸になったと聞いたことがあります」と教えてくれた。
前出の安部町内会長もこの話を耳にしたことがあるそうだ。

ここでいう裏街道とは中原街道のことで、東海道に対しての脇往還という意味。
中原街道は、徳川の別荘・中原御殿があった平塚市中原から江戸城虎ノ門を結ぶ街道で、公用人馬の通行はなかったものの行商人や輸送ルート、人ごみを嫌う旅行者などに大いに利用された道だ。
 


この中原街道が町内を通っていたことで、町もにぎやかだったのだろう


佐江戸から江戸までは7里、およそ28キロくらいとのこと。まだまだ距離があるような感じもするが……。

実は、この中原街道にはかつて4つの宿駅があった。その4ヵ所とは、用田(藤沢市)、瀬谷(横浜市)、小杉(川崎市)、そして佐江戸だ。
往時は、この辺りが馬次場(馬を交換するところ)であったことが『新編武蔵風土記稿』にも紹介されている。
 


佐江戸交差点。この道がずーっと江戸まで続いていた


この中では佐江戸の宿駅が最も江戸側に位置しているので、ここで一息ついて「さぁ、後は江戸まで一気に行くぞ!」ということから来ているのだろう。



しかし、史料を見てみると……



この興味深い2説は、江戸と当地の関わりを中原街道によって結びつけた地名、という点で共通している。

ところが、だ。
北條氏康が作らせた『小田原衆所領役帳』にも、佐江戸という名前が書かれている。
この役帳ができたのが、1559(永禄2)年。徳川家康の江戸入城が1590(天正18)年のこと。
つまり、家康が江戸に入る30年以上も前から佐江戸は佐江戸だったことになる。
 


小田原衆所領役帳には、町内会長の話に出てきた猿渡内匠助の名前とともに佐江戸の文字が


家康入城以前の江戸は、地方の城下町にすぎず取り立てて重要な場所でもなかった。関東で言えば、後北条氏のいた小田原の方が大都市だったのは当然だ。

また、例の脇往還が中原街道と呼ばれるようになったのは、1604年以降のことと言われている(道自体は存在したようだが、このころに家康が整備したとされる)。

これらの状況を考えると、残念ながら徳川入城以後にできたという“左り江戸”説や、中原街道との関係を示す“さぁ、江戸だ!”説はが佐江戸の由来になっているとは考えにくいと言わざるを得ない。



道祖神が祭られていたからサエド?



じゃあ、なんなのか。

実はもうひとつ説がある。
それは、横浜地名研究会の会長・桜井澄夫さんによるもので、これまでに出た2説とはまったく違った見地からのもの。

桜井氏は、『横浜の町名』の初版で“サエドとは「道祖(サエ)・処(ド)」であり、「道祖神を祭った所」(『地名の語源』)の意であろう”と主張しているのだ。
 


『横浜の町名』初版。最新版とは違う部分が結構ある


最近では少なくなったが、道祖神は道端に立つ石碑のような、石像のようなアレ。
お地蔵様よりも簡素な造りといった趣で、村の守り神のような存在だったのだそうだ。
この道祖神、またの名を“さえのかみ”とも言い、この“さえ”が佐江戸の“さえ”に当たるというのだ。
 


佐江戸町内にあった道祖神。これは街道とは離れた場所にあったもの


町内には今でもいくつかの道祖神があり、街道沿いにも見られた。
さすがに後北条の時代からのものは残っていないが、かなり古そうなものも。
 


こちらは街道沿いに。左の二十三夜塔の裏に「弘化3年 丙午」(1864年)とあった


桜井氏は、古くから街道筋として人通りが多かったことから道祖神が祭られていたと考えられるのではないか、と指摘している。

また、項の最後には“サエノカミ、とかサエドといった地名は全国各地で見られる地名である”との説明もあった。



取材を終えて



こうして見ると、説として最も信憑性があるのは、桜井氏の挙げたものという印象だ。
これが正しい説とすれば、もちろん、それは正しく受け継いでいかないといけないもの。

でも、“左り江戸”説や“さぁ、江戸だ!”説も、いかにも民間伝承といった感じで、話としては面白い内容だ。

いずれの話をとっても、町内を通る中原街道の存在が見え隠れし、いかに重要なものだったかを感じることのできる町だった。
2つの言い伝えも、正確な由来とともに「こんな話もあるんだよ」程度に覚えておくのもいいかもしれない。


―終わり―
  

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  • 桜井説は通説というコメントがありますが、通説ではなく新説です。櫻井澄夫以外に佐江戸は道祖処(さえど)だと書いたものはないと思う。古代地名語源辞典や、地名関係文献解題事典の著者だからこのようなことを書けるのです。

  • サエドという地名は地名としては珍しくない。地元のことだけでなく、全国に眼を向けないと地名の語源は分からない。俗説に惑わされると語源にはたどり着けない。民間語源説には注意しないと。テレビなんかもかなりいいかげん。研究者の真面目な研究を取り上げず、おもしろおかしく使用する。サエドについての道祖土説は非常に説得力がある。

  • 面白いのは、「佐江戸が江戸の左」と言う話。地図で見ても斜め下としか言いようがない。そこが日常の感覚であって、東海道を東へ東へと昇ってきてたどり着くのが江戸だとすれば、その途中は江戸の西=左という感覚がよく現れている。横浜に住んでいると「八王子は上」なんだが、なぜか「16号線を左」に向かうと八王子に着いてしまう不思議 中区と南区、西区なんかの関係にも見られる。

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