横浜市民もあまり知らない横浜寒緋桜、作ったのは誰?
ココがキニナル!
ハマ固有のサクラが有ると聞く。その名は「横浜寒緋桜」寒緋の種。ハマ人でも知らぬ人多し。誰が作り何処に原木があり・見所及び時期のお薦めは?(yamaさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
横浜寒緋桜を作ったのは、港北区在住の白井勲さん。原木は本牧山頂公園にあり、見ごろは今がラストチャンス!
ライター:吉澤 由美子
横浜緋桜の原木は本牧山頂公園にあった!!
(続き)
ひざくらの丘に入ってすぐ右側、説明プレートを従えて、すんなりと大きな樹形の枝に花をつけていた。
そう、これが横浜緋桜の原木だ。なお、この原木は、横浜市中区制七十周年記の平成9年(1997年)11月12日に作者の白井さんから寄贈されたもの。
隣にある大きなソメイヨシノ(?)に守られているような横浜緋桜の原木
風が吹くと、ひらひらと花びらが落ちる。桜吹雪も大きな魅力のひとつ。
横浜緋桜の濃いピンクの花びらが風に舞う光景は、凛としたソメイヨシノとはまた違う甘美な風情がある。何本か植えられた白っぽい桜の近くには、緑の芝生の上に白とピンクの花びらが散り敷かれて、これも本牧山頂公園の見どころのひとつ。
空の青と木々の緑に挟まれて、ピンクから白の花がより引き立つ
緑の上にピンクと白の水玉模様。広い芝生一面に花びらが積もっている
しかし、なぜ桜の名前に「横浜」という地名がついたのだろうか。
そこで、横浜緋桜を作った白井さんにお話を伺ってきた。
白井勲さんにインタビュー
港北区のご自宅で、花に囲まれた白井勲さん(83歳)
―横浜緋桜に、「横浜」の名を冠した理由とは?―
ソメイヨシノっていうでしょ? 染井という名前の村が江戸時代にあって、そこからソメイヨシノと名付けられています。
要するに、桜の名前には出生地を頭につけているものもあり、 横浜でできた桜だから、横浜緋桜というのです。
―横浜緋桜を誕生させる際に、一番苦労されたところは?―
どうやったらできるかを考えることです。決して偶然にできるわけではなく、かなり整然とした数学的理論に基づいてできるんです。
―横浜緋桜の一番の魅力と思われるところはどこでしょうか?
魅力なんかないです。いくら言ってもきりがないですし、これで満足だ、というものは絶対できませんからね。
横浜緋桜は、白井さんの緻密な理論と情熱によって生み出された。しかし、魅力にあふれたこの花にも白井さんは満足していないという。お年を召されてもなお、厳しい求道者のまなざしで花を語る。その凛としたたたずまいに襟を正される心地がした。
横浜緋桜を見るなら今しかない!!
細かいところまで可愛くて、なのに全体の印象はあでやか。ソメイヨシノのようなワビサビはないけれど、横浜緋桜には力強い美しさを感じた。もっと強くありたいと願う2011年の春に、パワーをわけてくれそうな気がする。この桜に横浜の名を冠してくださった白井さんに感謝。
横浜緋桜の見ごろはもうすぐ終わってしまうので、ぜひとも見に行っていただきたい。
なお、横浜市環境創造局のホームページによると、横浜緋桜があるのは、岸根公園(港北区)、清水が丘公園(南区)、こども植物園(南区)、農と緑のふれあいセンター(保土ヶ谷区)、岡津田向公園(泉区)、野毛桜道(中区)、柏尾川堤(戸塚区)、走川プロムナード(金沢区)など。
そこで写真を撮ったら、現在開催している「桜フォトコンテスト」にどしどし投稿してほしい。
花びらが落ちた後のガクのフォルムが星形なのもなんだかかわいい
― 終わり―
かにかまぼこさん
2016年01月29日 19時40分
三ツ池公園にも結構ありますよ。
yamaさん
2015年07月23日 06時47分
横浜緋桜を増やしていこうとはあまり思っていないのでしょうか>横浜市。なんかあちこちにぱらぱらと点在するだけであまり増やしていないような気がする。例えば川津桜や熱海桜は三浦や熱海の重要な観光資源として頑張っていますし、この差はどこから来るのか。寿命を迎えた染井吉野の代わりに増やしていけばいいのではと素人考えに思うのだが、何か権利関係とかでめんどくさいことがあるのだろうか。
モザさん
2015年03月25日 06時40分
東横線の跡地の反町駅から横浜に向かう緑道にある桜は、この横浜緋桜ですか?