検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

  • 36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!
  • 神奈川県内の横浜家系ラーメン店がどこにあるか地図からすぐわかる!横浜の観光情報「よこはまっぷ」
  • イベント開催、店舗オープン、新商品発売などリリース情報を配信したい方へ
  • はまれぽ.comにあなたのお店・会社を無料で掲載しませんか?

天王町イオンの隣に自動車教習所があったって本当?

ココがキニナル!

昔、天王町イオン(旧サティ)のとなりに、自動車教習所があったそうですが、いつごろからあったのでしょうか?気になりました(きらめきまんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1964~68年ごろに作られ、1996年ごろまで営業していたと推測される「保土ケ谷モータースクール」。途中で「保土ケ谷ドライビングスクール」に変わった。

  • LINE
  • はてな

ライター:橘 アリー

自動車教習所ができる前はビン置き場だった!?



自動車教習所があった川辺町には、天王町商店街(シルクロード天王町)が隣接している。この日は平日の午前中だったので、人通りはまばらだ。商店街の中ほどまでくると、地域の集会所である「天王町コミュニティセンター」があった。


右がコミュニティセンターの建物。通りの後方に、跡地に建ったマンションが見える


そこにお勤めの女性に、お話を伺った。20年くらい前、この自動車教習所で運転免許を取得されたそうだ。当時は運転免許を取りたいという人が多く、教習の予約を取るのが大変だったという。残念ながら、自動車教習所がいつごろからあったのかまでは分からないとのことだった。

次に、商店街で古くから経営されているという文房具店と家具店でお話を伺った。


自動車教習所跡地の方向から見た商店街の様子


自動車教習所があった場所には、戦前、紡績工場があったという。横浜大空襲で焼失した後は接収され、接収が解かれた後は日本硝子のビン置き場になり、その後、自動車教習所ができたそうだ。

国道16号沿いの会社や商店などでも聞いてみたが、やはり、何年ごろに自動車教習所ができたのかは分からなかった。しかし、以前はビン置き場になっていたという印象は強く残っているようであった。

近隣でお話を聞いて、自動車教習所があった場所は、その用途が時代の流れによって移り変わっていったと分かった。次に、教えていただいたことを参考に、図書館の資料で自動車教習所ができたのはいつごろなのか調べてみることに。



最初は「保土ケ谷モータースクール」という名前だった!

川辺町が時代によって移り変わった様子は、数冊の資料に記されていた。


左から、「保土ケ谷区史」「八十年わが町保土ケ谷」「フォトアルバム想い出の保土ケ谷」
「写真集 保土ケ谷 いまむかし」


現地で教えていただいた紡績工場というのは、富士瓦斯(がす)紡績株式会社の保土ケ谷工場のこと。1923(大正12)年の関東大震災以前からあり、土地や建物の被災は少なかったそうだ。戦時中には、北辰電気という軍需工場になったようである。


昭和戦前期の富士瓦斯紡績株式会社の様子(出典:横浜市史資料室)


1945(昭和20)年の横浜大空襲で軍需工場は焼失し、あたり一面が焼け野原となった。戦後は米軍に接収され、この土地は「モータープール(広い駐車場)」として使われたようだ。

接収が解けてからは、しばらくの間、日本硝子株式会社のビン置き場となっていた。高度成長期で周辺地域が開発されていくのに伴い、この場所に「保土ケ谷モータースクール」という自動車教習所が作られた。

「保土ケ谷モータースクール」は、年代は不明だが、その後「保土ケ谷ドライビングスクール」と名前が変わり、住宅の明細地図で調べてみたところ、1996(平成8)年ごろまで営業していたようだ。


「自動車教習」について書かれているページの様子


写真左が「八十年わが町保土ケ谷」で、右が「保土ケ谷区史」。「八十年わが町保土ケ谷」には「保土ケ谷モータースクール」があったころの様子が、「保土ケ谷区史」には「保土ケ谷ドライビングスクール」があったころの様子が載っている。

ちなみに、「保土ケ谷ドライビングスクール」は、営業を終了した後もしばらく壊されることなくそのままになっていた。近隣では、跡地にディスカウントストアができるという噂があったそうだが、結局は、パークシティ横濱という名前のマンションが建った。

自動車教習所がいつできたのかについては、近隣での聞き込みでも分からず、資料にも載っていなかったが、住宅の明細地図でその年を推測することができる。1964(昭和39)年発行の地図には載っていないが、1968(昭和43)年には載っていたのである。なお、昭和40年、41年、42年には地図が発行されていない。
 


保土ケ谷モータースクールが載った明細地図
<クリックで拡大>


調査した年月は明記されていないが、図書館の方の説明によると、昔は調査してからそれほど期間をおかないで発行していたようだとのことなので、それらを考慮して推察すると、自動車教習所は、1964(昭和39)年から1968(昭和43)年の間に作られたのではないかと思われる。



取材を終えて

実は、今回の取材で、「保土ケ谷モータースクール」で教官をしていたという方にお会いすることができた。残念ながら詳しいお話を伺うことはできなかったのだが、当時としては関東で一番大きな自動車教習所だったのではないか、とだけ聞くことができた。

現在は「公開空地」という空間が設けられているので、この場所が移り変わっていった様子に思いをはせながら散歩してみてはいかがだろうか。


―終わり―
 

この記事どうだった?

  • LINE
  • はてな
コメントする
  • 昭和53年ここで免許とりました。校舎は建て替えたばかりのようで綺麗でしたが、教習車は年季の入ったクラウン(クジラ)、待ち時間は隣りにできたばかりのニチイで過ごしました。外周の直線コースは50キロ制限で、前車がいないとき45キロ以上出さないと加速不良で減点されたような。

  • ここで免許取りました。関東の人にモタモタスクールなんて言われてた。休日はニチイの臨時駐車場でした。

  • 私も保土ヶ谷モータースクールで免許を取りました。懐かしいですねー。

もっと見る

おすすめ記事

かつて中区大和町に巨大な射撃訓練場が存在していた!?

人間力を重視し将来に役立つ力を育てる年中~小学生のサッカースクール。仲間と楽しみながら基礎技術向上!

  • PR

かつて横浜市内を走っていた「トロリーバス」って?

40年以上続く経験豊富で頼れる社会保険労務士事務所「社会保険労務士法人 横浜中央コンサルティング」

  • PR

「アロハヨコハマ2011」で発生した食中毒事件の状況は?

リフォームも、新築も。良い家をつくり、まもり続けて40周年、進化を続ける横浜市栄区の地域密着型工務店

  • PR

横浜の坂を克服できる? 京急の「電動小型低速車」は体感的に高速!

神奈川県で2年連続解体工事件数ナンバーワン!ユニークなマスコットキャラも魅力の横浜総合建設株式会社

  • PR

こんな記事も読まれてます

青葉区は古墳だらけって本当?

【I☆DB】カフェで試合も見られる「THE BAYS」、一般の人はどうやって使ったらいい?

ちょっとややこしい!? 中区の根岸町と港北区の岸根町の由来とは?

横浜駅周辺の津波対策を教えて!

京急の駅名表示がハングル表記なのはなぜ?

西区戸部町にある黄色い球体シェルターを作るガレージは何?

ガラガラなのに、10年待ち!? 横浜駅東口駐輪場の謎に迫る!

「アロハヨコハマ2011」で発生した食中毒事件の状況は?

新着記事