山下公園の氷川丸は浮いている!? 真相を徹底検証!
ココがキニナル!
氷川丸はまとめて報告Vol.49で「浮いている」とのことですが実は固定されているらしい。真相解明お願いします(リョー☆サンさん/寿さん)イベントがあったり喫茶店ができたりしますか?(rincoさん)
はまれぽ調査結果!
氷川丸は浮いている。「氷川丸船上オープンデッキ開放イベント」を不定期で開催、喫茶店の設置については検討の可能性あり
ライター:ほしば あずみ
シアトル航路の定期船として
船内の展示室を金谷船長に案内していただく。船長帽がかっこいい
「氷川丸船上オープンデッキ開放」イベント開催日のみ入れるデッキ
三菱重工業横浜製作所で生まれた氷川丸は、総トン数1万1622トン、全長163.3メートル、船幅20.12メートル、船速18.21ノットという、当時の造船技術の粋を集めた、最新鋭の貨客船だった。
機関室ではディーゼル機関を間近に見学できる
材料の鉄はイギリスから、エンジンはデンマーク製(バーマイスター・アンド・ウェイン社)、内装デザインはフランス製。デザインやインテリアはアール・デコを基調とした。
曲線が特徴のアール・デコデザインは今でも船内のあちこちで見られる
コンペでアール・デコを採用。従来、船内はイギリス古典様式が主流だった
氷川丸は日本郵船の太平洋横断シアトル航路の貨客船として就航した。シアトル航路は1896(明治29)年に日本郵船が設置したもの。当時北米西岸の最大港湾都市は人口35万人のサンフランシスコ。すでに参入の余地がなかった日本郵船は、グレート・ノーザン鉄道と提携できるシアトルに活路を見出した。当時約6000人が暮らす田舎町に過ぎなかったシアトルの発展はのちに「グレート・ノーザン鉄道を父とし、日本郵船を母とする」という言葉で語られる。
「シアトルはサンフランシスコより24時間早く着いたんだよ」と金谷船長
このころの乗船客として知られるのが、喜劇王チャップリンだ。映画『街の灯』完成後に初来日したチャップリンは1932(昭和7)年6月2日に横浜から氷川丸に乗船した。その際、日本橋で食べた「てんぷら」をチャップリンが非常に気にいったため、氷川丸のコックはその店の味を習得し、船内に揚げ台を用意して揚げたてを供したという話が残っている。
長い船旅の楽しみは、美味しい食事や船員の心遣い。一等客室の毛布は美しく飾られた
金谷船長によると、「チャップリンのてんぷらの話は良く知られているけれど、実はカレーも大好きだった」とのこと。カレーは、洗い物を減らすためにフォークで食べ、それが可能なほどもったりと煮込まれた大変美味しいものだったそうだ。
伝説のカレーを基に商品化された氷川丸ドライカリーもある
往時の華やかさを彷彿とさせる社交室
優美な装飾に船内であることを忘れそうになるが、床は海水が排出しやすいようかまぼこ形に傾斜がついている。時化(しけ)の際にはグランドピアノがひっくり返ったと伝えられている。
戦争とその後の氷川丸
太平洋戦争中は、日本海軍に徴用されて主に南方での病院船として用いられ、終戦後は復員輸送のための引き揚げ船の役目を担った。
戦争中に軍に徴用された商船の多くは終戦を迎える前に戦闘や海難で沈んでいき、終戦後生き残っていた外航用の船は氷川丸のほかには数隻のみ。一番大きな船が氷川丸だった。
赤十字マークを船腹につけた氷川丸(『氷川丸物語』高橋茂/1978(昭和53)年/かまくら春秋刊より)
「氷川丸は機雷の攻撃を3度受け4発当たったけれど、軽傷で沈まなかった。強運の船と呼ばれる理由はここにもあります」金谷船長は言う。
氷川丸という船名の由来となったのは武蔵国一宮氷川神社(さいたま市)。船内の装飾にも、氷川神社の神紋が用いられている。
中央階段の手すり部分にデザインされている氷川神社「八雲」の神紋
金谷船長は言う。「神仏の加護っていうのもあるのかもしれないね。昔の船が神社にちなんだ名前が多かったのも、そんな理由だったのかもしれない」
戦後、1953(昭和28)年には11年ぶりにシアトル航路に復帰。引退までに太平洋横断254回、船客数2万5千余名を越えた。
山下公園に係留されたのちは、ユースホステルや観光施設として多くの人に親しまれた(1973<昭和48>年に宿泊業務は停止)。
船上ではミス・コンテストや結婚式も行われた(『氷川丸マリンタワー30年史』より)
幾多のピンチを乗り越え海に浮かび続けた氷川丸とそれを支え続けた人たち。氷川丸は造船史や工芸美術史、近代史的にも価値が大きく、国際的にも海事遺産たりうると2003(平成15)年11月に横浜市指定文化財(一般建造物)に指定された。
キニナル投稿にあったようにリニューアル後に自販機のみで喫茶コーナーなどを設けていないのは、文化財を保護保全していく日本郵船の方針によるものとのこと。しかし、今後は設置検討の可能性があるのだそう。
確かにこんな素敵な空間で食事できたらテンションもあがりそう
でも飲み物は自販機のご利用を(食事は不可)
デッキには椅子も用意され・・・
かつての造船所跡、みなとみらい地区を眺められる
取材を終えて
氷川丸は浮かんでいる。決して固定されてはいなかった。
「だって、浮かんでないと船じゃないでしょ」
金谷船長の言葉は船乗りそのものだった。そう、氷川丸は船なのだ。もう二度と出航することはないが、船長もいる。氷川丸が船であり続ける限り、太平洋の夢を見ながら浮かび続けるのだろう。
―終わり―
氷川丸
オープンデッキ開催予定日
3/29(土)・3/30(日)10:00~16:00(雨天中止)
http://www.nyk.com/rekishi/exhibitions/event/open/
あいぼりさん
2016年09月26日 16時47分
別府航路の客船たちも、保存してくれたら歴史的に氷川丸同様、西の名所になったのに!
マイクハマーさん
2016年05月27日 09時59分
舵とスクリューが取り外された理由がキニナりますね、それと「だって、浮かんでないと船じゃないでしょ」の発言には三笠を否定されたような気がして残念。
∵さん
2016年05月24日 16時48分
氷川丸といえばビアガーデン…と刷り込まれていたけど、これも久しく営業していないのですな