クリーニング発祥の地「横浜」。現存するもっとも古いお店はどこ?
ココがキニナル!
谷戸坂にあるクリーニング発祥の地碑。何か歴史があるの?/高島町にあるクリーニング店、since1918って歴史があるように思いますが、現存する最も古いお店は?(マンジンさん、TEYさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
現存するもっとも古いクリーニング店は、保土ケ谷区峰沢町にある「有限会社宮島クリーニング商会」。碑がある付近は、クリーニングが発展した地
ライター:松崎 辰彦
横浜最古のクリーニング店「有限会社宮島クリーニング商会」
横浜有名西洋洗濯鏡(画像提供:脇澤美紀)
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1897(明治30)年ごろに、横浜のクリーニング業者を記載した「横浜有名西洋洗濯鏡」なる一種の“番付表”が作られた。これを見ると当時の業者がわかるが、この中で、今日までクリーニング店を継続している家系が一つだけ判明している。番付右上、前頭とある宮島濱次郎氏の店である。
保土ケ谷区にある「有限会社宮島クリーニング商会」
保土ケ谷区峰沢町(みねざわちょう)にあるお店で、ご主人の宮嶋渉(わたる)氏にお話を伺った。
宮嶋氏
「宮島濱次郎は私の曾祖父で、愛知の出身です。横浜の元町、今のクリーニング碑のある付近でクリーニング業を始めました。そして自身は1919(大正5)年5月5日、71歳で亡くなりました。クリーニングの仕事は子どもが引き継ぎ、さらにその後が引き継いでと、戦争が終わるまでは続いていたそうです。しかし戦後、一時途絶えました」
では、誰が復活させたのか?
「復活させたのは私の父です。父は日本郵船に勤め、その後、進駐軍関係の仕事をしましたが、定年退職後に片倉(神奈川区)でクリーニング店を始めました。当時貿易商社に勤めていた私もクリーニングの仕事を手伝うようにいわれ、結局会社をやめてクリーニング店を継ぐことになりました」
現在の地に移ったのは1982(昭和57)年であるという。
ご自分のお店が番付にあることに関しては、「横浜にはもっと古いお店があるのではないですか」と笑う。
古い時代のことはよく知らないので、という宮嶋氏だが、横浜最古(あるいは日本最古)のクリーニングの家系(の一つ)であることは間違いない。
西区でもっとも古い店「ドライクリーニング大橋屋」
もう一つ、投稿にあるように高島町駅のすぐそばにsince1918と記した「ドライクリーニング大橋屋」がある。
ドライクリーニング大橋屋
ご主人の近藤信竹氏は1944(昭和19)年生まれ。近藤姓なのになぜ「大橋屋」なのかは、もともと大橋姓の一族だったが、ある代でわけあって“名前だけの養子”で近藤姓になったからとのこと。
近藤信竹氏(右)と英司氏
since1918ということは、大正7年創業ということか。たしかに古いお店であることは間違いない。
1933(昭和8)年の撮影。“ドライクリーニング”という言葉がすでにあったことに驚く
「私の父の信次郎が20歳で創業しました。父は明治30(1897)年の生まれです。当初はこの近所に開店しましたが、何回か移転して、現在の場所に来ました」
近藤信次郎氏。抱かれているのは英司氏(画像提供:ドライクリーニング大橋屋)
現在は息子さんの英司氏(1979<昭和54>年生まれ)とお店を運営している。
「西区では、たしかに一番古い店でしょうね」
老舗であることを認める信竹氏。英司氏も今後、お店を継いでやっていくつもりであるという。
日本にクリーニングという職種ができてすでに100年を優に超えた。横浜の開港とともに誕生した“町の洗濯屋さん”は、いまでは私たちの生活に身近な、欠かせない存在となっている。そこには多くの先人の努力があったことを、谷戸坂のクリーニング碑は教えてくれる。
取材を終えて
今回の取材は、多くのクリーニング関係者の方々にご協力いただいた。心よりお礼を申し上げる。
なお、このたび知った平尾城市という人物は、まことに興味深い快男児であった。ザ・ゴールデン・カップスのリーダーであるデイヴ平尾の父上である。
フジテレビオールスター家族対抗歌合戦に出場(画像提供:平尾富子)
さまざまな逸話のあるこの傑物についても、いつか深く取材してみたい。
横浜初、あるいは日本初のクリーニング店は、残念ながらおそらく現存しないと思われる。
今回は、現時点で最古と思われるクリーニングの家系を訪問させていただいたが、私たちの健康で清潔な生活を支えてくれているクリーニング業界の人々に、あらためて感謝の念を忘れないようにしたい。当り前のことだが、人間は裸では暮らせないのである。
クリーニング組合に加入しているお店であることを示すクリちゃんマーク
(画像提供:神奈川県クリーニング生活衛生同業組合)
─終わり─
〈参考文献〉
平尾城市『忘れのこり昔ばなし』(〈株〉横浜シップスランドリー)
組合沿革史刊行委員会編『神奈川県クリーニング組合沿革史』(神奈川県クリーニング環境衛生同業組合)
ほか
〈取材協力〉
神奈川県クリーニング生活衛生同業組合
http://www.kanagawa-cleaning.or.jp/
ドライクリーニング大橋屋
横浜市西区戸部町7-218
(有)宮島クリーニング商会
横浜市保土ケ谷区峰沢町105-30
他
※キングレコード発行のCD『横浜うた物語』(横浜開港資料館監修)には平尾城市氏が歌う「ポンコツ節」が収録されています。またデイヴ平尾が歌う「ジョー・ジャコミン」も収録され、はからずも親子の共演を聴くことができます。
『横浜うた物語』(キングレコード)
CooCoさん
2017年07月20日 17時37分
横浜市会のサイトを見ていたら、歴代副議長一覧に脇沢金次郎さんのお名前を見つけました(第6代副議長で、任期は明治37年1月25日から翌38年1月31日まで)。記事にあった通り、人望のあるワシマンだったんですね。
がぁこさん
2017年06月25日 12時53分
私、青木屋忠七の子孫ですが?
まさきち557さん
2014年07月19日 01時31分
これを読んで思ったのですが、はまれぽさんでも語源不明と紹介されていたワシン坂って洗濯屋の「washing(ワーシン)坂」なんじゃないんですかね?と言う説を思いつきました。アメリカ人をこのあたり紹介するときに氷川丸を「あの船は今は博物館で動かないが、戦前までシアトル(ワシントン州)へ定期便として動いていたんだよ」と話すと喜んでくれます。ついでに私の新説「ここはワシン坂というんだが語源不明ながら「洗濯屋のwashing坂」だったみたいと説明してみようと思います。ちなみにアメリカ初代大統領ワシントンにより崇高な神の域の名前になってしまってますが、ワシントン自体は(washing:洗う-ton:囲い)土地に住んでいた洗濯関係の庶民的なお仕事してきたのであろう。けど、きっとwashing坂説は正しいと思いたい