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『宮本武蔵』で知られる横浜出身の国民的作家、吉川英治の自叙伝に登場する明治期の面影がある場所を徹底調査!

ココがキニナル!

「三国志」「宮本武蔵」で有名な国民的作家・吉川英治氏の自叙伝「忘れ残りの記」を読むと横浜の記述がたくさん出てきますが、いまも明治期の面影を残す場所があるんでしょうか。(エルコラソンさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

『忘れ残りの記』に出てくる明治時代の面影を残す場所は、関内ホール前のガス灯のみ。ほどんどは名前しか残っていない。

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ライター:橘 アリー

赤門町や戸部にある名残りは?



関係する章は、「春の豆汽車」「みどりや雑貨店」「『梅暦』読み初めし頃」「喧嘩」「或る日酒父像」「小さい筆禍(ひっか)」「赤煉瓦(あかれんが)」「父帰る」「白い行商手帳」「わが盗児像」「小俳人」「横浜異景」(78~255ページ)。

吉川英治が9歳のころ、「家は南太田の赤門前の横浜市南太田清水町一番地に越し、それにより転校して、南太田尋常高等小学校に通うようになった」とある(91ページ)。
 


赤門とは東福寺のこと

 
本文では住所が清水町一番地となっているが、吉川英治記念館の学芸員の方のホームページによると、さまざまな記録などと照らし合わせると正しい住所は清水町四丁目なのではないか、という説もあるそうだ。 
 


家があったと思われる「清水町四丁目」の現在の様子

 
そして通っていた学校の正式名称は、南が付かない、太田尋常高等小学校のようである。
この学校は、現在の横浜市立太田小学校(南区三春台42)の前身で、吉川英治が通っていた当時は英町(はなぶさちょう)にあったようだ。
 


現在は、学校があった面影はない

 
続いて、同じく9歳のころ、父に連れられて杉田の梅林に梅見に行った(99ページ)とあるが、ここは、現在の杉田梅林ふれあい公園(磯子区杉田5-621-2)のこと。
当時は茶屋がいくつかあったようだが、現在は無い。

さらに、本文に沿って、出て来る地名や名前などを順に現地を見て行く。
「鉄(かね)の橋を渡って、関内の或る待合の門までくると」(100ページ)という部分に出て来る「鉄の橋」とは、現在の吉田橋のこと。
 


吉田橋の様子。明治期の面影は全くない
 

橋が完成した当時の様子を説明する看板が立っている
 

104ページに出て来る「普門院」

 
「普門院」の住職夫人が、一週間に何度か、吉川英治の妹たちの踊り稽古に来ていたそうだ。

また、149ページに住吉町の川村印房という印章店に奉公に出たとあるが、現在同じ住吉町にある印鑑店で聞いてみたところ、川村印房は戦時中に閉店してしまったとのこと。

この当時、家は清水町から西戸部へ引っ越し、西戸部で住まいを転々としていて、このころはとても家計が苦しかったようだ。

196ページに出て来る岩亀(がんき)横丁と花咲橋は当時の面影は無いが、名前は残っている。
 


岩亀横丁入口の様子。この近くに小間物行商の店があったようだ

 
続いて、場所は中区になるが、209ページに出て来る義理の兄の子どもを棺に入れて運んだという吉川家の菩提寺である蓮光寺は、中区石川町3丁目128になる。
 


蓮光寺

 
ここでも、橋や通りの名前は残っていて、神社や寺院は当時のままではないにしても、境内が同じ場所に残っていると分かった。

続いて調べていくことに。



貧乏のドン底から未来へ?



関係する章は、「横浜異景」「木靴の仲間」「十九の春」「上京記」「人生中学通信簿」(242~323ページ)。

その後、家は西戸部から尾上町2丁目に越し、家計は一時、持ち直している。
桜木町駅から大江橋を渡った左側にあったという「日進堂」という会社を父が譲り受けたためである(244ページ)。
しかし、それも一年余りのことで、再び家計が悪化して西戸部へ越している。
 


現在の大江橋の様子。当時の面影は全く無い

 
245ページに出て来る「日進堂」の真向かいにあったという教会堂は
 


指路(しろん)教会のこと
 

指路(しろん)教会についての解説板

 
そして255ページにある、年齢を偽って勤めだした「横浜船渠(ドック)」は、ご存じの方も多いと思うが、2号ドックが改装されてみなとみらいのドックヤードガーデンとなっている。
 


みなとみらいのドッグヤードガーデン
 

ドックについての解説

 
ドックに勤めているころ、家は少し持ち直し、吉田町2丁目に越していて、相当な構えの家だったようだが、現地に当時の面影は全く無い。

19歳のころ、ドックで仕事中に事故にあって運ばれたという野毛山の十全病院(273ページ)は、現在の浦舟町にある横浜市大病院の前身のようである。


取材を終えて



関東大震災や横浜大空襲で大きな打撃を受けた横浜には、明治時代の名残りはあまり残っていない。
それでも、お寺やお墓などは、改装されてもおなじ場所にあり、橋や坂なども名前が残っている。
今回紹介したほかにも、場所などの名前がいくつか出て来るので、当時の様子を思いながら、『忘れ残りの記』に出て来る場所を散策してみてはいかがだろうか。


―終わり―
 

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  • 吉川英治が横浜出身だということ初めて知りました。「忘れ残りの記」読みたくなりました。それから、指路教会は「しろん」ではなく「しろ」だと思います。

  • 名残はなくても、場所を特定してくださっただけでとても興味深かったです。ライターの方に感謝します。

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