「英連邦横浜戦死者墓地」はどうして横浜につくられた?
ココがキニナル!
横浜にあるけどあまり知られていない外国人墓地、「英連邦横浜戦死者墓地」って、なんで横浜にあるんですか?
はまれぽ調査結果!
終戦後、英が横浜を管轄しており、犠牲となった戦死者を葬るため! なお、英では戦死者の遺体は現地で埋葬するという原則がある!
ライター:松崎 辰彦
横浜はイギリスの管轄下にあった
この墓地を管理しているのは英連邦戦死者墓地委員会。その日本人マネージャーである小林賢吾氏が説明してくれた。
英連邦戦死者墓地委員会マネージャー・小林賢吾氏
「英連邦では1917(大正6)年に、戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬するという原則が決まり、英国王室憲章でも承認されました。この原則の下、英連邦戦死者墓地委員会が設置され、世界中にある英連邦戦死者の墓地を管理しています。
英連邦戦死者墓地は世界に2,500ヶ所、墓碑が一つや二つといった所を含めれば21,000ヶ所あります」
世界各国にある中でも、横浜の墓地はとりわけ広いもののようである。
約8ヘクタールの広大な敷地は、隅々まで美しく管理されている
埋葬されている戦死者の大半は、第二次世界大戦中に日本の捕虜となり、没した人たち。
1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦後、日本は占領した地域の敵国軍人や民間人を捕虜としたが、彼らは1942(昭和17)年のシンガポール陥落の後に日本に送られ、各地の炭鉱や工場で使役された。赤痢のような疫病、栄養失調などで多くの捕虜が命を落とし、また空襲の犠牲にもなった。
戦後、日本は進駐軍に支配され、東京はアメリカ、横浜はイギリスの管轄下に入る。犠牲となった日本各地の英連邦戦死者を葬るために、イギリスは児童遊園地だった横浜市保土ヶ谷区の広大な土地を墓地とすることを構想した。
1956(昭和31)年に正式に日本政府と英連邦が協定を結び、英連邦が墓所として管理することを条件に、日本は土地を1000万円で譲渡することが決定した。
これが英連邦横浜戦死者墓地の発祥である。
イギリス区、オーストラリア区、カナダ・ニュージーランド区、
インド・パキスタン区、戦後区の5区に分けられている
戦争の記憶を風化させないために
イギリスの要人は来日すると、この地を訪れる。1975(昭和50)年に来日したエリザベス女王も1991(平成3)年に来日したダイアナ妃も、姿を見せた。
山手の外人墓地ほど有名ではないが、それに関して小林氏は「観光地化したくはありません」と述べる。「墓地の雰囲気を保つことが大切です」と。
しかし客人を嫌うわけではない。
区画ごとにある十字架が戦死者を見守る
「戦争の記憶を人々の中で風化させないためにも、英連邦戦死者墓地委員会がこうした活動をしていることを、多くの人に知らしめることが大切だと思います」
墓地は日々清掃され、芝生にも人の手が掛けられている。毎年11月に追悼礼祭が開催され、そのときは多くの人が集まる。
取材を終えて
燦々(さんさん)と降り注ぐ陽光に、永遠の沈黙を守る死者。静謐(せいひつ)な時間が流れる。
平日のせいか、入園者はほとんどいない。
まもなく8月15日である。
多くの将来ある若者の命を奪う戦争。私たちはナショナリズムを超えて、現在生きていることの意味を問うためにも、ときにこうした場所を訪れて、墓標一つひとつの背後にあるものに思いを寄せるべきかもしれない。
―終わり―
参考文献
『保土ケ谷区史』保土ケ谷区史編集部会(1997〈平成9年〉10月1日発行)
◆英連邦横浜戦死者墓地(参観無料)
住所/横浜市保土ケ谷区狩場町238
電話/045-731-4208
参観時間/AM8:00~PM5:00
アクセス/JR保土ヶ谷駅からバスで20分、「児童遊園地前」下車
cdkさん
2016年10月12日 17時54分
記事を書かれた方へ1000万円で譲渡は間違いでしょう。30年ごとに更新の無償貸与となってます。1955年外務省の日本国における英連邦戦死者墓地に関する協定http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S38(1)-013.pdf
夏兒さん
2015年03月27日 18時46分
当時日本領だった台湾の国営金鉱山でもイギリス兵捕虜の使役がありましたが、使役が国際法違反という意識はあったため、いざという時は生き埋めにして証拠隠滅するための用意をしていました。苛酷な扱いの内には未必の故意を狙う意図も含まれていたかも知れませんね。
mimichanさん
2014年12月16日 11時21分
笹本妙子さんという人が『連合軍の墓碑銘』という本を書いている。全国の連合軍の墓地についての調査だ。とても参考になる。なおこの人は、その後、英国から勲章をもらっている。