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横浜発祥で全国ブランドになった食品店「明治屋」について教えて!

ココがキニナル!

横浜発祥の食品店、明治屋の山下町ストアーが閉店するという噂を聞きました。キリンビールや月桂冠を売り出した店でもあり今も自社ブランドを販売している明治屋の今後がキニナリます(bjさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

東京に本社が移った後も、明治屋の登記上の本社は尾上町だった。今後の明治屋は、食に対する関心の高いエリアに店舗展開をしていく。

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ライター:三輪 大輔

明治屋発の日本初も盛りだくさん!



続いて、投稿にあった月桂冠やキリンビールに関して歴史を振り返ってみる。すると斉藤さんは、「キリンビールや月桂冠の取り扱いはもちろん、コカ・コーラの取り扱いも、明治屋が日本で初めて行いました」と話てくれた。

現在、明治屋では「小売事業本部」「商品事業本部」「海上事業本部」の3つの事業を展開しているが、その始まりは、船の乗組員や乗客向けに食料・資材の納入を行う「海上事業」からであったという。その後、徐々に多角的な展開をしていく中で、以前は卸業も行っていたそうだ。その卸事業の一環で取り扱っていたのが、キリンビールや月桂冠、コカ・コーラなどの商品である。
  


キリンビールの運搬車。1910(明治43)年に神戸支店前で撮影された
 

1915(大正4)年から明治屋が一手販売した月桂冠の壜詰

 
キリンビールは、1888(明治21)年に取り扱いを開始。キリンビールの出荷から販売、代金回収まで全てを請負い、全国に渡る販売網を築き上げたという。そして1915(大正4)年には、月桂冠を一手販売契約を締結し取り扱いを始める。明治時代から、日本の食文化の向上に、明治屋が関わってきたのだ。

「1909(明治42)年には、スコットランドから輸入した宣伝と配達を兼ねたキリンビールの車を市内に走らせていたんですよ」と斉藤さんは話すと、その写真を見せてくれた。
 


1909(明治42)年に街中を走っていた宣伝を兼ねた配達カー

 
現在も街中で、ラッピングカーなどの宣伝用の車を見かけるが、既に明治時代には同じ手法が使われていたのだ。これには、日本で初めてバナナを食べた、初物好きのアバンギャルドな先祖を持つ殿(織田○成のそっくりさん)もびっくり。現在も、こうしたDNAは社内で受け継がれていて、自社商品の開発などを積極的に行っているという。
 


斉藤さんが明治屋の商品について話してくれる

 
「当社ではスーパーマーケットの明治屋は『小売事業本部』が運営しており『商品事業本部』では自社商品の開発を行ったり、洋酒や海外の食品を輸入したりています。しかし『小売事業本部』でも、明治屋独自の商品のリリースも行っているんですよ」

斉藤さんは、そう言うと実際の商品を交えながら詳細な説明をしてくれた。
 


明治屋ストアー推奨品について解説をしてくれる斉藤さん

 
「明治屋ストアー推奨品とラベリングされているアイテムは、信頼関係のあるメーカーと明治屋の『小売事業本部』がコラボレーションをして開発した商品なんです。高品質でかつ価格がリーズナブルである商品を店頭でお客様へ自信を持ってお勧めしています」

商品ラインアップは現在230アイテムほどあるそうだ。この日は信頼関係のあるメーカーと開発した「飲む林檎酢」や「飲む紫芋酢」、そして有明産の生海苔を使用した「生のり」などの商品を実際に見せてくれた。どれも明治屋のストアーのみでしかと購入できないアイテムになっている。
 


この日、ご紹介いただいた「飲む林檎酢」、「飲む紫芋酢」、「生のり」
 

食品カタログにもさまざまなジャンルの商品が掲載されている

 
「同じ推奨品で柿ピーがあるのですが、明治屋の売れ筋上位の商品になっています」と、小売の実際の現場に詳しい須藤さんが言うと、さらに説明を付け加えてくれた。「私たちは西洋などの商品を多く扱っているイメージがありますが、実は和の商品も多く扱っているんです」

実は須藤さんの実家には、幼いころから明治屋の商品があり、ずっと慣れ親しんできたそうだ。そして須藤さんの挙げた「MYジャム」や「イチゴシロップ」などの商品に、殿(編集部・小島)も食いついて、「横浜あるある」のような話題に発展していった。

斉藤さんが「MYジャムの発売は1911年で、明治44年になります」と言うと、これらの商品の詳細について説明を加えてくれた。
 


1911年に発売された明治屋の「MYジャム」

 
「1989(平成元)年には、復刻版も発売されたんですよ。イチゴシロップも含め、これらは『商品事業本部』で開発を行っていて、全国の量販店に置かれています。もっと私たちの商品を知ってほしいという想いの元、市場調査に基づいて商品開発を行っているんです」
 
実物を紹介してくれた缶詰は、コンビニエンスストアにも置いてある商品とのことだ。パッケージの側面には、どのお酒と合うかも書かれていて、おつまみとしても重宝されている。
 


コンビニエンスストアでも手に入るという明治屋の商品事業本部が作る缶詰

 
『商品事業本部』では、洋酒の輸入も行っていて、そのラインアップは実に幅広い。ワインだけでも、イタリアやフランスはもちろん、スペイン、ポルトガル、ドイツ、オーストラリア、アメリカなど世界各国から取り寄せている。お店以外にもパーティー会場や飲食店にも提供しているので、珍しい銘柄も多くあるのだそうだ。
 


多彩なワインが並ぶ明治屋のパンフレット

 
明治屋の今後について、斉藤さんがこのように語ってくれた。

「明治屋のベースにあるのは『フロンティアスピリット』です。現在、健康志向の高まりや、食文化の多様化など、時代によって食に求められていることは変化してます。こうした時代の変化に対応していくことで、これからも『いつも いちばん いいもの』を提供し、お客様に選ばれるお店であり続けていたいと思っています」
 


斉藤さん、須藤さん、どうもありがとうございました!


今後も明治屋は、食に対する関心の高いエリアに店舗展開をしていくそうだ。1つひとつの地域を大切にし、本当にこだわった商品を陳列しているからこそ、ほかのスーパーと一線を画し、愛される店舗になっていくのだろう。斉藤さんと須藤さんの話しぶりからも、明治屋を愛していることが伝わってきました。ありがとうございました!

もっと明治屋を知るためにお借りした『明治屋百年史』。明治屋の原点「フロンティアスピリット」を探るため、130年前にタイムスリップしてみたいと思う。



明治屋の創業者の磯野計



525ページに及ぶ明治屋の歴史をまとめた社史『明治屋百年史』。創業100周年の節目の年に編纂(へんさん)された書籍の第一章には「創業の時代」というタイトルが記されている。その第一節は「横浜と明治屋」。同社と横浜の歴史の深さを物語っている。そこで最後に、創業者の磯野計(いその・はかる)と明治屋の誕生について少し触れてみたい。
 


「明治屋百年史」に掲載されている創業者・磯野計の写真(右上)

 
明治屋の創業は、1885(明治18)年10月。創業者の磯野計が、横浜万代町(ばんだいちょう)で船舶納入業を行ったことからスタートする。ちょうど明治屋の誕生と時を同じくして、郵船汽船三菱と共同郵船が合併し、日本郵船となった。

実は、磯野はこの郵船汽船三菱に、1885年5月まで在籍していた。また磯野は、当時唯一の大学であった東京帝国大学を卒業していたため、政財界に多くの知り合いがいたのだそうだ。そのため、日本郵船設立の話を早い段階でキャッチしおり、同社へ雑貨納入権獲得の交渉を行い、その見通しが立った上での創業であった。

磯野の創業者精神を支えていたのは「丈夫たる者、すべからく独立してことにあたるべし」という考えである。この考えが熟成される土壌を育んだのが、故郷の津山であった。磯野は1858(安政5)年、現在の岡山県津山市で生まれる。津山藩は佐幕(さばく:幕府を補佐する)派であり、蘭学の盛んな土地であった。そのため磯野も、国家の要職につくよりも民間で旗揚げする考えを持ち、蘭学は封建主義から欧米思想へ彼の視点を変化させた。
 


本町1丁目13番地(現:神奈川県庁近く)にあった明治屋本店の洋館社屋

 
そして、その後のイギリス留学が、創業者精神を確固たるものにした。「英国商人の信義」「優雅な食料品がもたらす生活」「民主的な政治体制」など、イギリスの文化に共鳴し、創業者精神はフロンティアスピリットとして実際の行動に移されていくことになる。「いつも いちばん いいもの」という、明治屋の今日まで続く企業理念も、このイギリスでの生活で源泉が培われたそうだ。

1886(明治19)年には明治屋の屋号を用い、本拠地も北仲通4丁目59番地に定め、本格的に事業展開を開始する。ちなみに「明治」という屋号を社名に用いたのは「明治生命」が最初で、明治屋は2番目であるそうだ。
 


現在の北仲通4丁目59番地付近の様子

 
その後、事業は「船舶納入業」「輸入業」から多角的な展開を見せ「卸業」「小売業」「代理店業」と、どんどん拡大を続けていく。その間に、会社の所在地も変遷を続け、1891(明治24)年には本町1丁目13番地(現:神奈川県庁近く)に横浜本店が完成する。

ここは、1923(大正12)年の関東大震災まで明治屋の本拠地であり、震災後も再建され営業を続けた後、1976(昭和51)年に尾上町に移されることになる。紙袋には明治屋の1号店の店が印刷されているが、卸業から始まり多角的な事業展開をしていたので、本当の1号店かどうか定かではない点もあるとのことだ。
 


明治屋の紙袋にデザインされている第1号店の様子


そして1888(明治21)年にキリンビールの総代理店になる。このキリンビールの販売に関して、明治屋の宣伝は他社を圧倒していた。新聞・雑誌などの広告は絶えず行い、キャッチコピーやスローガンも当時としては奇抜なものが多くあったそうだ。磯野のフロンティアスピリットは、事業経営の面だけでなく、宣伝活動においても発揮されていた。
 


キリンビールの宣伝に使用されたポスター


その後、明治屋は「船舶納入業」と「キリンビール」の2つで事業を磐石なものとし、更なる飛躍を遂げた。しかし、磯野計は1897(明治30)年12月14日に急逝する。39歳の若さであった。明治屋の創業からキリンビールの代理店になるまで、そのほとんどが磯野の20代のうちに行われたことであったのだ。

当時の明治政府の3大方針は「富国強兵」「文明開化」「殖産興業」である。明治屋は、西洋の食文化を日本に紹介する「文明開化」と、事業発展において「殖産興業」に貢献した。士農工商が廃止された後の横浜には、武士や農民出身の商人が多く溢れていたそうだ。同時に開港の地・横浜港には多くの外国船も入港していた。

明治屋に横浜を感じるのは、もしかしたら創業者の磯野計の生き様があるからかもしれない。



取材を終えて



今回は、先方がお忙しい中限られた時間の中での取材だったが、快く取材に対応してくださり、できる限りのご回答をいただけた。

明治という日本の夜明けの時代に、一人の男の理想によって築き上げられた明治屋。その歴史を紐解いていくと、興味深いエピソードが数多くあった。創業者のマインドを次世代に着実に繋いできたからこそ130年の歴史があり、その理念からぶれることがなかったからこそ創業の地・横浜の雰囲気を感じさせるお店になっているのだろう。

ちなみに明治屋には、自宅で本格的なカレーを作れる「カレー粉セット」が置いてあるらしい。店内にはスパイス類も充実しているそうだ。早速、出かけていって、殿(編集部・小島)も喜ぶカレーを作ってみようと思う。


―終わり―
 

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  • 明治屋と横浜とのつながりがよく分かる記事でした。出来れば「シップチャンドラー」という言葉を入れてほしかった。

  • ザ・提灯記事。異論有りますか?

  • 明治屋のチョコレートクリームが生産中止になって10年以上経ちますが、未だにそれ以上のものに巡り会えません。生産再開を切に願います。

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