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かつて西横浜駅界わいにあった歓楽街「新天地カフェ」とは?

ココがキニナル!

西区南浅間町にあった新天地カフェー街と周辺施設の「笹本」という旅館と公設市場。雰囲気がある周辺の歴史など調査して!(町田県民さん、自転車ちりりんさん、濱のリリーさん)

はまれぽ調査結果!

1933年に新天地遊郭が誕生。戦後は「新天地カフェ街」という慰安所になり1958年に終息。市場は1952年ごろに出来たものだった。

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ライター:橘 アリー

廃業届けを出していないだけ!?



「笹本」はキニナル投稿にもあるように、現在は旅館となっている。
 


どのような旅館なのだろうか?
 

茶色に塗られた囲い塀には、お忍びで訪れるイメージが漂う
 

2階の窓の手すりや青い日よけには、一昔前の洋風の雰囲気がある
 

ちょっと入りにくいが・・・
 

意を決して、取材を申し込んだ

 
すると、80代になられるという佐藤静子(さとう・しずこ)さんが現在はお一人で住まわれていることが分かった。数年前にご主人が亡くなられてからは、積極的に営業しているのではなく、廃業届けを出していないだけで、お客もほとんど来ないとのこと。
 


玄関には2ヶ所の扉がある

 
佐藤さんは体調も優れないとのことだったが、差し支えない範囲でお話を聞かせていただけることに。

佐藤さんによると、カフェを営んでいたのは祖母だそうだ。
売春防止法が制定されることにより廃業した後、勤め人であった佐藤さんのご主人が「せっかく部屋があるのだから」ということで会社を辞めて旅館を始めたそうである。
それが何年だったのかは、もう古い話なのではっきりとは覚えていないとのこと。
 


玄関ホールはけっこう広く、立派な石が置かれている

 
旅館といっても、当初は俗にいう「連れ込み宿」であり、泊まるお客もいれば休憩だけのお客もいた。現代のラブホテルの前身のようなものだったそうだ。

経営は順調であったが、横浜駅西口などにラブホテルができ始めると次第に客層が変わり、ビジネス旅館のようになっていったようである。

ご主人が亡くなられてからは、一人で営むのも大変なので、廃業届けを出していないだけの「開店休業状態」となっていると佐藤さんは言う。
 


写真の左側が上り口

 
見せていただけなかったが、部屋の様子は、畳の間にテレビがあるだけで特に変わった設備は無く、風呂やトイレは共同であるそうだ。
 


レトロな丸椅子とテーブルにはキレイな造花が飾られ
 

「開店休業状態」でも、きれいに整えられていた

 
なお、カフェだったころの様子は、祖母がやっていたことでもう古い話なので覚えていない、とのことだった。
 


笹本旅館の周辺には、当時の様子を思わせるような名残は何もない
 

「新天地桜会稲荷神社」の近辺にも・・・
 

閑静な住宅街が広がっているだけだった
 

辺り一帯は個人宅やアパート、マンションなどが建ち並ぶ住宅地となっている

 
「新天地桜会稲荷神社」近辺で「新天地カフェ街」があった当時の様子を聞いてみたが、遊興地であったと知っていても当時の様子まではご存じの方は見つからなかった。



簡単には建て替えが出来ない!?



続いて「公設市場」について調べていく。「公設市場」は「新天地桜会稲荷神社」と八王子街道を挟んで向かい側。
 


八王子街道の高架下を通って「公設市場」方面へ

 
「公設市場」についても資料で調べてみたが、それについて記載されているものを見つけることができなかった。
 


そこで、近辺で「公設市場」について聞いてみた

 
すると「公設」かどうかは分からないが、以前いくつかの商店が入っていた建物があると教えてもらった。そして何軒か訪ね歩いて行く中で、その建物の隣で生まれ育った方にお話しを伺うことができた。
 


写真の右から2番目が市場だった建物

 
お話を聞かせてくださったのは、写真の右側の建物にお住まいの吉野順子(よしの・じゅんこ)さん。
 


吉野さん。モダンでお洒落な方でした

 
吉野さんのお宅は、古くから薬局を営まれていたが、現在、1階は貸店舗としてコンビニエンスストアが入っている。

さっそく市場について伺った。
市場はキニナル投稿には「公設」となっていたが、市や県などが営んでいる「公」のものでは無く、何人かの組合が作った民間の市場であったそうだ。

この市場の建物が建ったのは、1952(昭和27)年ごろのこと。
 


1956(昭和31)年の明細地図で確認することができる
 

この方向から見ると、別々の建物のように見えるが・・・
 

洪福寺交差点側から見るとこんな感じ

 
左右2つの建物の中央が、商店街のアーケードのように繋がれている。ここには青果店、鮮魚店、精肉店、履物店、乾物店、書店などがあり、松原商店街が出来た1952(昭和27)年ごろまではとても繁盛していたそうである。松原商店街が繁盛し始めると、この市場は下火となり、お店はなくなっていった。現在は、お店は1軒もない。

吉野さんから「新天地カフェ街」があった当時の様子も伺えた。

吉野さんは当時子どもだったので、大人たちから「あそこへ行ってはダメ」と言われていたそうだ。それでも、同級生の家がその中にあり、その子が学校を休むと給食のパンを届けに行くことがあった。そんな時は急いでパンを届けて出て来たそうだ。
 


子どもには、「新天地カフェ街」は異世界であった

 
また「新天地カフェ街」の入口には、鳥居のような形をした門と、店の名前が書かれたアーチ形の門があったようだ。そして、日中でも着物の赤い襦袢(じゅばん)姿の女性が店の前に立っていて、それが妖艶な雰囲気でとても印象に残っているという。

大人になってから永井荷風の小説『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』を読み、子どものころに垣間見た「新天地カフェ街」の様子はまさにその小説の世界のようであったと話てくれた。
 


通路は、レトロな趣がある
 

2階部分に、キャットウォークのような渡り廊下も!
 

反対側はこんな感じ
 

昭和の貴重な建築物であるが・・・

 
近くに住んでおられる方からすると、古い建物なので火災などがあると怖いとのこと。

建物は老朽化が進んでいるので、建て替えや補修の必要がありそうだ。しかし、建物がつながっているのにそれぞれの区画で個人所有となっていたり、誰が所有しているのかも分からない部分があり、簡単には建て替えができない状態のようだ。
 
 
 

取材を終えて



戦後の混乱の中、「新天地カフェ街」に身を置いていた人々には、現代に生きる私たちには計り知れない苦労があったことと思う。跡地が、今は平穏な住宅地となっていることに安堵を覚えた。

現存している建物自体は、キニナル投稿にあるように「探偵ものに使える」雰囲気であった。


―終わり―
 

参考文献
『横浜西区史』
『神奈川県警察史下巻」
『占領下の娼婦から見た戦争』
『赤線地帯を歩く』
 

この記事どうだった?

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コメントする
  • 新天地については、山本周五郎さん関係の本を読むと、いろいろと出てくる。少し参考にしては?

  • 玄関の自転車は、長期にわたって定宿にしているお客さんが使うんだそうです。

  • 花街にはお稲荷さんがあります(女性の病気にご利益があるとか)和田町にも楽天地?という赤線街があったと地元の古いタクシー運転手さんに教えてもらいました。

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