11月23日に行われた「生麦魚河岸まつり」は、どんな様子?
ココがキニナル!
11月23日に行われた「生麦魚河岸まつり」の様子を、詳しく教えてください。(あみゅーずさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
生麦に魚河岸があることを知ってもらう為に、昨年から始まったイベント。マグロ解体ショーなどをはじめとした盛り沢山の内容だった!!
ライター:河野 哲弥
普段、魚を食べない人たちに魚料理を楽しんでもらいたい
一方、「山幾」の店内では、サバを使った魚のさばき方教室が開かれていました。
普段魚を食べ慣れない人に、もっと手軽に魚料理を楽しんでもらおうというのがその狙い。
別の店では、魚のさばき方教室が
見事な三枚卸の完成
参加した宮田さんご夫婦によると、「今までなんとなく刃を入れていたが、正しい場所が分かったのでやりやすくなった」と、手応えを感じているようでした。
まだまだ続く、復興支援ブースやサザエ釣りなど
一方、福島から駆けつけていたのは、福島県県南農林事務所の皆さん。以前から出展できるイベントを探していたところ、横浜市の観光課を通じて紹介があったそうです。
県産のお米や自慢の銘酒を販売していました。
地酒「千駒(せんこま)」の試飲もできる、ブースの様子
「有機米ひとめぼれ」は、1kg 800円
また、お子さん向けのこんなアトラクションもありました。
「ヨーヨー釣り」ならぬ、「さざえ釣り」です。
100円で1分間釣り放題、大人も夢中の様子
サザエには色の着いた針金がゆるく巻かれていました。これにフック状の釣り針をひっかけて釣る仕組みのようです。
中にはアワビも混ざっていて、釣り上げたサザエにくっついてくるボーナスも続出。平均で3個程度の釣果が出ていたようです。
こうした催しの中には、利益どころか、どう見ても赤字としか考えられないようなものがあります。なぜ、こんなことが可能なのでしょうか。
その辺の事情を、生麦魚介商組合役員の内海さんに聞いてみました。
生き字引が語る、生麦魚河岸の歴史とは
現役で「内長」という小物屋(すしネタなどの切り身や貝などを扱う業種)を営む内海さんによれば、生麦の最盛期は、戦後の昭和20年代初頭だったそうです。戦争中は漁業ができなかったこともあり、この近辺の魚や貝が、猛烈な勢いで繁殖したのだとか。
今昔の生麦を語る内海さん
戦後、そのうわさは東京湾内に響き、千葉からも漁師がやってきたそうです。そうした漁師たちは、鮮度が落ちて値も安くなる地元の港よりも、この生麦を選んで荷揚げしたのだとか。
当時は、約250mの商店街に、150軒あまりの魚介商が軒を連ねていたといいます。
ところが東京湾内の公害が問題となりだし、国がその漁業権を買い上げるようになると、魚河岸は一挙に機能を失っていきます。今ではわずか30軒程度まで、商店の数が減ってしまったとのこと。また仕入れ先も、東京築地市場に移っていきました。
安さと目利きの良さが、魚河岸の誇り
このままでは、受け継がれてきた「技」と、人情に満ちた「町」が失われてしまう。
そう感じた内海さんたち生麦魚介商組合は、近辺の商店街などと協力して費用を捻出し、今回のイベントを成り立たせたそうです。
また、年末の一カ月前という日程も、これを機に「生麦に魚河岸アリ」という事実を知ってもらい、暮れに多くの人に利用して欲しいからなのだとか。
年末の風物詩は、何も「アメ横」だけではない。「生麦」があるじゃないか。
目指すのは、そんなかつてのにぎわいなのかもしれません。
かつてはプロ向けの卸専門でしたが、今では一般客も大歓迎とのこと。内海さんいわく、「イワシ一匹、貝一個」でも構わないそうです。
クロウト好みの海産がシロウトでも手に入る町、生麦
この日、鶴見署の推定によれば、約3,500人の利用客が訪れたとのこと。
すれ違う人の中には、「鶴見ではじめて人混みを見た」などとつぶやいている人もいました。
確かに、道が人で埋まった3時間でした。
来年の生麦魚河岸まつりでは、ぜひ皆さんも暮れ支度や普段使いとして、利用されてみてはいかがでしょうか。
―終わり―
※『生麦魚河岸まつり』にいらしていた素敵な方々の写真はこちら!
【イベントフォト】「生麦魚河岸まつり」に訪れた人たち
つじどさん
2013年02月11日 22時26分
生麦にこんなイベント(?)があるなんて、知りませんでした。あなごの天婦羅とあさり飯、食べてみたいです。