横浜刑務所の塀にある「オブジェ」の正体は?
ココがキニナル!
港南区役所そばの横浜刑務所の裏側で高い塀と道との間、まさに堀の様になっているところに、石と鉄らしきもので出来たオブジェが数点ありますが、一体あれはナニ? 有名芸術家の作品ですか?(massy2さん)
はまれぽ調査結果!
オブジェは現在の横浜刑務所の塀を建設した当時、職員の方が作ったオリジナルの装飾品。刑務所の西側に計5点が設置されている
ライター:はまれぽ編集部
区庁舎の銘板になった刑務所塀
オブジェとともに設置された現在の刑務所の塀。以前の塀はほとんどが取り壊されているのだが、唯一その一部が残されているの場所がある。
こちらは現在の塀。見るからにしっかりした造りだ
それは刑務所敷地の北側向かい、新しくなった港南区総合庁舎。
2017(平成29)年に現在の場所に移転した
その総合庁舎の入り口に・・・。
ベンチや駐輪場が整備された一角
この銘板!
「港南区総合庁舎」の名前が書かれた銘板こそが、かつての刑務所の塀そのものなのだという。
銘板の背後には解説文も付いている
この銘板の設置の経緯について、港南区総務部区政推進課にうかがうと、「現在の庁舎が建っている場所は、移設前まで区役所の駐車場として使われていた場所でした。そして、そこにはかつての刑務所の塀が残されていたのです。当時の塀は関東大震災で発生したレンガのかけらが使われたとされており、歴史のあるものなので、庁舎移転に当たって一部を残すことになりました」と説明いただいた。
根岸刑務所の痕跡であるレンガ片が確認できる
横浜刑務所が港南区にやってきたのは、1936(昭和11年)年のこと。それ以前には磯子区に設置され「根岸の監獄」とも呼ばれていたが、1923(大正12)年の関東大震災で大きな損害を被った。
被害の大きさもあり翌年には刑務所移転の事業計画が立てられ、震災から13年後にここ港南区笹下に再建されたという経緯がある。
明治末ごろの旧横浜刑務所の写真(過去記事より)
それ以降、港南区とともに歩み続けている横浜刑務所。その歴史は意外なところで目にすることができるようだ。
取材を終えて
刑務所の塀というものは、やはり堅牢さが求められ、無骨な印象になってしまうもの。そこに添えられた職員のオブジェは、街の中にある施設として塀の外側に発信した柔らかなメッセージだったのかもしれない。
区庁舎の銘板にもなった塀が持つ、地域の歴史を感じることができた。
塀に沿って季節の花が植えられていた
ー終わりー
ベルデさん
2019年04月16日 20時36分
実にはまれぽらしい。◎
Kitkatさん
2019年02月15日 23時34分
塀のそばのあの物体は何?から、根岸の監獄まで遡っての話の展開で、ほんのちょっとといえばほんのちょっとなんだけど、まさに地元に密着したはまれぽらしい記事でした。面白かったです。