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横浜駅自由通路前「赤い靴の女の子」はいつ設置された?

ココがキニナル!

横浜駅自由通路のみどりの窓口前ぐらいに、いつの時期かガス灯と赤い靴の女の子の像は、いつの時期に設置されたのか、また設置された目的が気になります。(teto_teto55555さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

当時、横浜駅には待ち合わせ場所がなかったので“待ち合わせ場所に”と1982年8月に南口に設置された。

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ライター:松宮 史佳

「赤い靴の女の子像」が誕生するまで



帰国後は会社経営などを行っていた松永さん。1970年代の日本は「皆ガツガツと働いていた」時代だった。

そんな折、松永さんは子供のころからの「何もない横浜にシンボルを作りたい」という想いと幼い頃に見た「異国に帰国する金髪の女の子の姿」が重なり、横浜を舞台にした童謡の「赤い靴」の女の子像を建てようと思い立つ。
 


童謡「赤い靴」の歌詞@山下公園


当時、松永さんは40代後半だったが、“やるとなったらとことんやる”という性分のため、即行動し、賛同者を募った。だが、時代に相反する「センチメンタルな歌の銅像を作るなんて」と見向きもされなかったそうだ。

しかし、1973年のオイルショック後に風向きが変わった。

1975年に「赤い靴を愛する市民の会」を設立するとマスコミなどにも取り上げられ、3ヶ月で発起人が5000人集まった。

像の製作は子供の像を数多く手掛けていた彫刻家の山本正道氏に依頼することに。しかし、山本さんはアメリカ在住だったため、諦めかけた。

すると、「赤い靴を愛する市民の会」の事務局長が山本さんの妹さんと同級生だったことが判明!不思議な縁で山本さんに「赤い靴の女の子像」を依頼することができた。



横浜駅にある「赤い靴の女の子像」の正体が判明!



結局、3年半で4万2992人の協力者が集まり、「赤い靴の女の子像」が完成。
1979年11月11日、山下公園にて「赤い靴の女の子像」除幕式が行われた。
 


横浜の顔となった「赤い靴の女の子像」は何を見つめているのだろう


実は当時、「赤い靴の女の子・ミニチュア版」を999個作り、寄付してくれた人に渡していたそうだ。
 


当時、募金者に配った「ミニチュア版」 


なぜ999個なのかというと、「100番台で止めておこう」という考えとその頃流行っていたアニメ「銀河鉄道999」の影響があったらしい。

なお、JR横浜駅は山下公園に「赤い靴の女の子像」を設置する際にPRなど多大なる協力をしてくれた。そこで松永さんは“感謝の気持ちを込めて”「ミニチュア版」を駅に寄贈したのだという。

当時、横浜駅には待ち合わせ場所がなかった。そこでJRの女性職員から「せっかくなのでこの(寄贈された)像を待ち合わせ場所にしてはどうか」という提案があり、“待ち合わせ場所に”と1982年8月に駅の南口に設置されたのだった。
 


横浜駅にて除幕式 真ん中は若き日の松永さん!
 

除幕式当時の写真(左・真ん中) と当時無料で配られていた冊子
 

「赤い靴」復活を報じる各新聞(松永さん提供)




取材を終えて

今回、初めて横浜駅と山下公園にある「赤い靴の女の子像」が「赤い靴記念文化事業団」という団体から寄贈されたことを知り、驚いた。知的でやさしく、物静かだが、とってもパワフルな松永さんの「横浜にシンボルを作りたい」というアツい想いにグッときた。
 


ここにちょっと寄りかかれるようになっている


ちなみに、JR横浜駅の「赤い靴の女の子像」は“ちょっと寄りかかることができる”ように設計されているので、待ち合わせにぴったり!
横浜駅での待ち合わせにはぜひ利用してほしい!


―終わり―
 

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  • もう先に、25年ぶりくらいに横浜駅と上大岡駅に降り立ちました。金沢区の実家には毎度車で帰省するので、なかなか駅を利用することがないのです。今回も車帰省だったのですが、街の変化を見たいと思い立ち京急で出ました。高島屋の前に出ると…なんとガス灯がなくなっている!昔の「暮らしの手帖」に本当にガスで灯っている、と紹介され、さすが横浜モダンだわい、と喜んでいたものですが…。そのガス灯がこうした形で残っていたとは知りませんでした。ガス灯自体を保存してほしかったとの思いとともに、それでもレプリカながら残ったことを喜びたいと思います。上大岡についてはまた別の機会に。

  • 正直な話、横浜に2つも必要ないと思うのですが・・・。

  • 先週中華街に食事いき何とはなしに山下公園に、銅像、赤い靴はいた女の子、恥ずかしながら知らなかった。早速インターネットで検索、読んでいるうちに涙がこみ上げて、私は30年ほどカナダに住んで居ました。現在は日本滞在で75歳に成りますが、もっともっと日本の事を色々知りたい気持ちです。

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