綱島駅近くの急階段の上にある謎の石碑の正体は?
ココがキニナル!
綱島駅の東口の綱島街道沿いを東急ストア方面に進むと、途中にやたら急で長い階段があるんです。その頂上に石碑っぽいのがあるんですが、あれってなんでしょうか?よろしければ調べてください(会長さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
階段の上には神明社という神社があり、石碑はかつて建っていた木造の祠に替わって建てられたものだった。
ライター:永田 ミナミ
師岡熊野神社にて
途中で思いがけず横浜3位の坂に遭遇。相変わらず横の建物群は興味をそそる
案の定降り出した雨の下、18度の坂を越え住宅街を抜けていくと、大きな木々に囲まれた熊野神社が見えてきた。
このように反りのある鳥居は明神鳥居という。神明社の直線的なデザインは神明鳥居
社務所で取材内容を伝えると、残念ながら石川宮司は出張中で、資料の有無も宮司にしかわからないということだった。しかし、神明社の由緒について書かれた資料でよければ、と職員の方がコピーをくださった。
取り壊し直前の木造社殿の写真も。石碑の裏に「昭和五十三年」という記載があった
写真から、現在の石碑の基礎部分は木造社殿のころからのものらしいことが分かる。また、「新編武蔵風土記(1830〈文政13年〉年完成)」のころにあったという「百余級の石階」は現在の場所ではないはずだ。
綱島台へと続く綱島街道と反対側の丘陵は1926(大正15)年の東横線綱島温泉駅開業にともない分断され、日吉側の斜面も東急ストアに深く削られているため、階段があった場所を推測するのは難しい。
そういえば鳥居横に別の鳥居の基礎が残っていた。階段は東急ストア側に延びていたのだろうか
思いのほか深まる謎を解くべく、資料を求め図書館に向かうことにした。
港北図書館にて
郷土資料コーナーでいくつか当時の記録を見つけることができた。ほとんどの資料が池谷光朗さん提供のものだった。
東横線開通前の写真。右端の大きな松が立ち並んでいるのが神明社(「わが町の昔と今1」)
この隣に掲載されている1987(昭和62)年の写真では現存する松は1本だけとある
24年後の現在はさらに鬱蒼としているが、確かに左端電柱横に松の先端らしきものが見える
趣き深い山口医院も残っている
「港北百話」に載っていた1881(明治14)年測量の地図
わかりやすく着色してみた。赤い線は旧綱島街道、緑色部分は丘陵地
神明社のほかにも諏訪神社、稲荷神社が記載されている。
取材を終えて
今回、残念ながら池谷光朗さんや石川宮司に会うことはできなかったが、神明社のかつての様子はある程度知ることができた。
さすがに綱島古墳の時代ではないかもしれないが、綱島に人が住みついたころに建てられ、かつては綱島鎮守、そして景勝地としても知られた神明社は現在、三方を深く削り取られ、残る一方は急斜面というギアナ高地のような高台の上にひっそりとある。機会があれば一度、ピーチゴルフで日月桃を買って桃雲台にのぼってみては。
「わが町の昔と今8」に載っていた池谷光朗さん提供の写真。現在の東横線方面を望む
―終わり―
桜100さん
2016年09月19日 21時02分
素晴らしい!!謎が溶けてスッキリしました。今度は、自分でも確かめに行きたいと思いました。ありがとうございます。
海軍少将さん
2016年03月28日 19時14分
昭和七年は皇紀二千五百九十二年である。
円海山さん
2013年08月28日 12時28分
市バス107系統のバス停に「神明前」というのがあって、神明というのはある物を指す名詞だろうけど、何なんだ?とずっと疑問に思っていました。天照大御神を祭る神社が「神明社」なんですね。直接関係無いけど疑問がいくらか解けてありがとうございました。開発によって古いものが淘汰されてゆくのは歴史の必然でしょうけど 惜しい気がしますね。