JR桜木町駅周辺に存在した幻の島「姥島」って!?
ココがキニナル!
横浜の浮世絵や古地図にある、埋め立て前の桜木町辺の「姥島」という島。今は埋立て地ですが現在のどのあたり?痕跡などは?(象の鼻さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
姥島があったのは現在のJR桜木町駅周辺だが、埋め立てにより痕跡はない。もっとも、姥島に祀られていた神は、現在、伊勢山皇大神宮に祀られている。
ライター:ナリタノゾミ
風光明媚で、「家に帰るのを忘れるほど」楽しい観光地
開港直後の横浜は、日本・諸外国の人々から大いに注目を集め、観光地として発展する。現在の観光都市・横浜の礎(いしずえ)は、この頃に築かれたといってもよい。
姥島を含む地域一帯が、観光地として親しまれたゆえんについて迫りたい。
観光地としての魅力を引き立てた要素として、野毛の浦の対岸にあった「弁天社」の存在が挙げられよう。
弁天社、通称「清水弁天」は、1649(慶安2)年に村の鎮守となった神社だ。
同社を囲む松林の森は、野毛の浦や姥島と一体になり、風光明媚な景色を形成していたという。そのため、上述のように、野毛の浦、姥島、弁天社はセットで描かれることが多い。
弁天橋から、かつて弁天社があったであろう馬車道方面を望む
現在の弁天通。その名称は「弁天社」にちなむ。当時、この一帯は砂洲であったという
宿場のある神奈川から湾を横切り、船で訪れる観光客も多かったという(「新編武藏風土記稿」より)。湾から望む景色が一番美しかったのかもしれない。
松林に囲まれた弁天社(イメージイラスト:ナリタノゾミ)
太田屋新田(⑤)には、横浜の観光地としての地位向上に大きく貢献した施設があった。
浮世絵師・歌川国芳が、「(ひとたび足を踏み入れたら)有頂天にのぼり、更に家に帰へるを忘るべし」と謳ったほどの魅力を持つその施設は、幕府の政策により、1859(安政6)年、太田屋新田の沼地(⑩)を埋め立てて開業した港崎(みよざき)遊郭である。
同地は、現在の横浜公園にあたる。
沼地を埋め立て、江戸の吉原遊郭を模して建設された
開港直後の横浜は、日本人はもちろん、諸外国の商人や、横浜に駐留するイギリス・フランス軍隊に所属する者などでにぎわった。
港崎遊郭には、約1万5000坪もあったといわれる「岩亀楼(がんきろう)」をはじめ、五十鈴楼、岩里楼などが軒を並べ、それぞれ20~30人ほどの遊女が所属していたそうだ。
当時、港崎遊郭でナンバー1の店舗・岩亀楼での遊興費は江戸吉原の4~5倍といわれ、開港にともない両替で暴利をむさぼった外国人が連日のように豪遊していた。
岩亀楼内には大きな舞台が設けられており、娘の手踊りが名物であったとか。
岩亀楼内イメージ図。舞台では蝶の舞が披露されている(イラスト:ナリタノゾミ)
横浜公園には、岩亀楼にちなむ灯篭が設置されている
なお、港崎遊郭は、1866(慶応2)年の大火(通称「豚屋火事」)により、周辺地域の建物もろとも焼失。観光地を盛り上げるための大役を担っていた同施設は、開業から約7年で同地から姿を消すこととなった。
大火後、同地は公園として再出発することとなる
姥島とともに出現した観音を祀る神社
姥島の跡は埋め立てにより消失してしまっているが、島の存在を忍ばせる祠(ほこら)が伊勢山皇大神宮の境内にある。
「新編武藏風土記稿」によると、姥島には「姥神社」なる神社があり、十一面観音が祀られていたという。
伊勢山皇大神宮
姥神社に祭られていた神は、「姥姫」と称され、横浜の総鎮守伊勢山皇大神宮の末社・杵築(きつき)宮内に祀られている。
子之大上(ねのおおかみ)や住吉三神(すみやしさんじん)などが祀られる祠
もとは海に祀られていたことから海上での安全、そして姥島が別名「夫婦岩」と呼ばれていた経緯から夫婦円満が祈願されたに違いない。
伊勢山皇大神宮から見下ろす。かつては白波の寄せる浜辺が見えたのだろう
取材を終えて
開港とともに目まぐるしく変化した野毛の浦一帯。
「姥島」と呼ばれた、奇妙だけれど、どこか愛らしい石の存在は、激動の時代の中で忘れ去られていったのだろう。
野毛の浦・姥島が埋め立てられると、そこには初代横浜駅(現・JR桜木町駅)が建設され、日本で初めての鉄道が走る。同地は引き続き、激動の時代を突き進むことになる。
―終わり―
参考文献
・「江戸名所図会」
・「新編武藏風土記稿」
・「横浜西区史」(横浜西区史編集委員会編)
・「ものがたり 西区の今昔」(西区の今昔編集委員会編)
・「横浜・中区史」(中区制50周年記念事業実行委員会編)
・「近郊散策 江戸名所図会を歩く」(川田壽著)
・「横浜浮世絵」(横田洋一著)
・「横浜開港庶民録」(小寺篤著)
※本文のイラスト・地図は、以上の文献を参考に作成しています。
BANDO_ALFAさん
2013年09月11日 13時59分
サザンの歌で有名な烏帽子岩も、正式には姥島というんですよね。まああれは茅ヶ崎沖だから管轄外ですけど(笑)
象の鼻さん
2013年09月11日 13時59分
キニナル投稿者です。姥島だけでなく、野毛の歴史や岩亀楼等についても調べて頂き感激です。他の方も言われているように、とても丁寧に「はまれぽらしく」取材されていますね。残念ながら痕跡は見つかりませんでしたが、島のあった場所が初代横浜駅というのは現代との不思議なつながりを感じます。横浜を知らない人に桜木町駅で「この下には島があったんだよ!」と言ってみたくなりました。今も昔も横浜は海の景色が自慢なんですね。
aquviさん
2013年09月11日 13時30分
最後の方に出てきた岩亀楼というのは、雪見橋から戸部4丁目の信号の方に続く、岩亀商店街とは何か関係が有るのでしょうか。岩亀の名を冠したサウナやお稲荷さんもあるようですが、港崎遊郭が大田屋新田の沼のあった位置だとすると、伊勢山よりも東側にある、現在の岩亀商店街は岩亀楼とは無関係の地名なのでしょうか。サウナなどお風呂関係もあるところを見ると、何となく関係が有りそうに思えるのですが。今後こちらも調査していただけたら嬉しいです。