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「ちぐさ」と「GOKURAKU」の壁画作家は同一人物?

「ちぐさ」と「GOKURAKU」の壁画作家は同一人物?

ココがキニナル!

野毛の旧・ジャズ喫茶「ちぐさ」の外壁に描かれていた超個性的な絵と、白楽のレコード店「GOKURAKU」外壁の超個性的な絵は同じ作者なのでしょうか。調査お願いします。(さぼてんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

比べてみると確かに似ている。両店を取材すると、すぐに作者が同一人物であることが判明。その人物とは、東横線桜木町駅高架下から始まる横浜のウォール・ペインティングの先駆者「ロコ・サトシ」だった!

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ライター:結城靖博




まずは両店の壁画を比較検証すべく白楽の「GOKURAKU」へ





すでに過去記事で報告した通り、野毛のジャズ喫茶ちぐさはリニューアルオープンに向けて旧店舗が解体されているので、もはや外壁を見ることはできない。

そこで、今なお壁画が存在する白楽のレコード店「GOKURAKU」を取材することに。


店舗は東横線・白楽駅西口を出てすぐのところにあった



目の前を横切る旧綱島街道



ここを右に曲がれば


わずか徒歩1分足らずで目的地に到着。


© OpenStreetMap contributors)


なにしろ商店街の中にあって、ひときわ異彩を放つ外観なので迷うことはない。


言うまでもなく赤い自販機が据えられた店が、そこ!



店舗を真正面からとらえた景観



側面を見ると、ここも絵で埋め尽くされている


キニナル投稿者「さぼてんさん」が言うように、「超個性的な絵」だ。

さっそく店内に足を運び、話を伺うことにした。
ご対応くださったのは現在の店主・粕谷(かすや)みどりさん。35年以上前に店を開いたご主人が他界したのち、この店を守り続けている。


店内にはロック系を中心としたレコードがぎっしり


新品・中古、国内盤・輸入盤と幅広い品揃えの中で、何よりの特徴はそのおよそ8割がレコードで、CDは2割程度ということ。昔ながらの「レコード店」の佇まいを頑なに貫いている。

粕谷さんが教えてくれた外壁の絵の作者の名は、「ロコ・サトシ」。

なぜその人がこの店の壁画を描くことになったのか、その経緯を尋ねると、

「この店の開店準備をしていた1984~85(昭和59~60)年、たまたま店の前を通りかかったロコさんが、まだシャッターが降りていて外壁も真っ白だった店舗を見て『ちょっと絵を描いてもいいか?』と声をかけてきた」のだという。

粕谷氏のご主人も、店の外観が派手になれば好都合なので、ロコさんの申し出に応じたそうな。

…ただし、このエピソードについては、後日ロコさん自身に直接確認してみると、ちょっと首をひねったあと「ま、そういうことにしておきましょう」と言って笑った。

いずれにせよ、作者の名と制作年代が判明! と思ったら、実は90年代に作風が変わった(と、これも店主の見解)ロコさんは、1991(平成3)年に新しく描き直したのだという。今見られる壁画は二代目なのだった。


正面の壁画右下にサインと日付が記されているが、確かに「1991」とある


ところで、この絵を外壁に描いてもらってよかったと思うことは?と粕谷さんに尋ねると、「とにかく目立つので、お客さんに店の場所を説明するのに便利」とのこと。なるほど~。



続いて「ちぐさ」に幻の壁画の作者を問う




「さぼてんさん」が指摘する壁画が描かれていたジャズ喫茶ちぐさは、二代目の店舗だ。


© OpenStreetMap contributors)


下の写真は、今回、ちぐさの関係者に壁画について尋ねるちょうどひと月ほど前、たまたま旧店舗の前を通りかかったときに写した跡地の光景。


2022年12月15日時点での二代目ちぐさ跡地


この様子を見ると、野毛の地でのちぐさ復活はもうしばらく先になりそうだ。

それはともかく、今回も過去記事でお世話になった一般社団法人「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」代表理事の藤澤智晴(ふじさわ・ともはる)さんにお話を伺った。


こちらは過去記事取材時の写真


右が藤澤さん、左は今回も写真提供などでご協力いただいた同財団ディレクターの新村繭子(しんむら・まゆこ)さん。

ところで、今はなき二代目ちぐさの壁画とは、どのようなものだったのか。新村さんからご提供いただいた写真からその姿を偲ぼう。


こちらが店舗全貌(写真提供:ジャズ喫茶ちぐさ)



正面にもう少し近づいて(写真提供:ジャズ喫茶ちぐさ)



そして側面にも寄ってみる(写真提供:ジャズ喫茶ちぐさ)


上の写真をよぉ~く見てみると、正面にも側面にも作者のサインと制作年が記されている。

次の写真は正面の外壁をさらに拡大したものだ(見づらいかもしないが、同じ画像をただ拡大しただけなので、これ以上トリミングすると画質がもたない)。

腕のような図柄の下を注視してみると――


「©2012 YOKOHAMA ROCCO」とある(写真提供:ジャズ喫茶ちぐさ)


「ROCCO」! そう、この作品もGOKURAKUと同じ作者、ロコ・サトシさんのものだった。「さぼてんさん」、大当たりです!!

制作年の「2012」とは、二代目ちぐさが野毛に復活したまさにその年だ。

過去記事でも触れたように、初代ちぐさが閉店したのち、2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が起きた。この時ちぐさの関係者たちは被災地への支援に力を注ぎ、震災で閉店した岩手県陸前高田市のジャズ喫茶「h.イマジン」と一緒に、翌年の3月11日「ちぐさ」も復活することを誓う。「2012」には、そういう背景が込められている。

それにしても、なぜ店舗再開にあたりロコさんに壁画の制作を依頼したのか?
「それはもう、ロコ・サトシさんと横浜のジャズは深い関係にありましたから、新しいちぐさをそれに相応しい外観にするとしたら、ロコさんの絵しか考えられなかったんです」
そう藤澤さんは言う。

実はロコさんは、1993(平成5)年からスタートした国内最大級のジャズ・フェスティバル「横濱ジャズプロムナード」に当初からかかわっていた。しかもポスターなどのイメージだけではなく、イベントに関連するすべてのビジュアルを担当するアーティストとして。


「横濱ジャズプロムナード」でステージの背景を飾るロコさんの作品(photo© Rocco)


また彼は「ジャズプロ」だけではなく、もっと古くからある野外フェス「YOKOHAMA本牧ジャズ祭」でも、1980年代からライブ・ペインティングを行っている。


「YOKOHAMA本牧ジャズ祭」でのライブ・ペインティングの様子(photo© Rocco)


「きっとロコさんは、ジャズと自分の表現とに相通じるものを感じているんでしょうね。ちぐさの壁画をお願いしたら、『実費だけでいいから』と喜んで引き受けてくれました」
そう藤澤さんは振り返る。



さあ、いよいよご本人に突撃取材だ!





というのは大げさで、もちろん事前にアポイントを取って、ロコ・サトシさんご本人にお会いすることになった。

お訪ねしたのは山手地区にある岩崎ミュージアム(正式名称は「岩崎博物館(ゲーテ座記念)」)。


© OpenStreetMap contributors)



外国人墓地と「港の見える丘公園」にはさまれた岩崎ミュージアムはとってもおしゃれだ


この建物は明治時代に日本初の本格的な演劇場として建てられ関東大震災で崩壊した「ゲーテ座」を1980(昭和55)年に復元したものだ。


同館1階のカフェコーナーでロコ・サトシさんとご対面


浅黒く陽に焼けていらしたのは、ついこの間まで日本最南端の有人島・宝島に3ヶ月間滞在し壁画制作に打ち込んでいたからだろうか。


© OpenStreetMap contributors)


ロコさんは、この68世帯131人(2018年3月末現在)が暮らす小島で、昨年(2022年)10月から12月まで、子どもも含む島民たちと一緒に、島の歴史や生活を織り込んだ巨大な壁画を制作していた。


制作風景。大型重機の上に乗って描く姿が壁画の大きさを物語っている(photo© Rocco)


鹿児島県のアートプロジェクトとして依頼されたこの壁画は今、島の玄関口である前籠(まえごもり)港の岸壁で、両手を広げて来島者を出迎えるかのように存在している。


壁画完成後に作られたポストカード(photo© Rocco)


ポストカードには「H/15m×W/120m」とある。壁画のスケールは、一人の作家によるものとしては国内最大級だという。

以上の通り、ロコさんは今なおバリバリで創作を続けているわけだが、そんな彼の作家活動を、このあと原点からたどってみたい。たどればたどるほど、驚きの事実が見えてくる。

なお取材には、ロコさんいわく「私のディレクターであり、プロデューサー」と篤く信頼を寄せる岩崎ミュージアム館長代理の小池成樹(こいけ・まさき)さんも同席され、きめ細かいフォローをしていただいた。

ロコさんは、「ここ(岩崎ミュージアム)は私の拠点です」という。

ロコさんと岩崎ミュージアムは長い付き合いだ。ロコさんが初めて画廊で行った個展が、この場所だった。それは1983(昭和58)年のこと。以来同館では多くの個展やワークショップを開催し、現在、館内の各所で常時ロコさんの作品を見ることができる。


カフェコーナーに飾られたロコさんの作品



1階ホールの壁に飾られた作品と作者のツーショット


ホールの絵は油絵だ。ご自身によれば「80年代以降油絵は描いていないので、70年代の作品だと思う」とのこと。初期の貴重な作品ということになる。



作家活動の原点は桜木町駅高架下




1970年代後半、東横線桜木町駅高架下に、突如不思議なグラフィティが現れた。高架下の長さは約1.2km。その壁面に延々とつながれるように描かれた絵。

それは人々の話題を呼び、マスコミが作者の正体明かしに現場に張り込む。そして判明した人物が、ロコ・サトシさんだった。


1977(昭和52)年に描かれた高架下グラフィティ(photo© Rocco)


公共の場に勝手に描かれた絵はいわば落書きだが、当時、ロコさんはチョークで描いており雨風にさらされれば簡単に消えてしまうので、当局のおとがめはなかったという。

今では東横線横浜~桜木町間が廃線になりすっかり面影は消えてしまったが、このグラフィティ出現以降高架下にロコさんに続くように多くの若者が派手な色彩で絵を描き、その様子が街の点景のひとつにさえ感じられた時代があった。そのことを記憶する方々からすれば、白いチョークで描かれた初期のロコさんのグラフィティはなんとも素朴に感じられるかもしれない。

もちろんこれは筆者の勝手な邪推だが、もしかしたらそこにはロコさんの自制心(?)が働いていたのかもしれない。だがそれは、80年代以降、さまざまな他者とのつながりの中で爆発的にほどけていく感がある。



横浜の街中にロコさんの作品があふれ始める





おとがめどころか、高架下グラフィティで注目されたロコさんは、80年代になると自治体や市民とのつながりを深め、活動の場を広げていく。
岩崎ミュージアムでの個展や本牧ジャズ祭への参加もその例に挙げられるが、特筆すべきは1989(昭和64)年5月に開催された横浜博覧会の最大級のパビリオンでのペイントだろう。

その後、みなとみらい21地区など横浜再開発のシンボル的な空間に、ロコさんの作品が次々と姿を現す。


「横浜ポートサイド地区 地下駐車場工事フェンス」1994年(photo© Rocco)



「MM21地区 ROCCO’S LIVE, MOONLIGHT PAINTING」1995年(photo© Rocco)



そしてついに横浜市営バスの車体にまでロコさんのペイントが(photo© Rocco)


こうした活動が評価され、1999(平成11)年には横浜市文化賞奨励賞芸術部門賞を受賞する。
さらに2004(平成16)年には、横浜市都市計画局からの依頼で、活動の原点ともいえる東横線桜木町駅高架下での再生実験「ART-16」を主宰した。


(photo© Rocco)


この時期から、こうした公共の場やモノばかりではなく、民間の企業や店舗などからも、壁画の依頼が増えていく。


伝説のライブハウス「横浜シェルガーデン」外壁(photo© Rocco)



「若葉台商店街クリスマスイルミネーション」2003年(photo© Rocco)



「日ノ出薬局シャッター」(photo© Rocco)


以上はロコさんの作品のほんの一部の紹介に過ぎないが、こうした活動の流れの中に今回のキニナル投稿の「GARAKUTA」や「ちぐさ」の壁画も含まれるわけだ。

取材に同席された小池さんは言う。

「その後の街の変容とともに今では姿を消した作品もありますが、かつて横浜の街中にロコさんの作品があふれていた時代があったんです。横浜に帰ってくると、日常の風景の中にロコさんの作品があった。それを目にして『ああ、横浜に帰ってきたな』と感じたものです」

ちなみに、京急・日ノ出町駅近くにある日ノ出薬局のシャッター画は、店が閉まっている夜間か日曜日だけ今も鑑賞できる。
また、横浜のジャズライブハウスの聖地「関内エアジン」店内のピアノやステージに描かれた絵も、今鑑賞可能な作品としておすすめだ。

いっぽう、ロコさんへの壁画依頼は横浜だけにとどまるわけではない。詳細はきりがないので省くが、全国各地にその作品が増殖していったという事実だけは記しておく。



というか、海外へも増殖していった!




1990年代に入ると、ロコさんは海外へも活動の幅を広げる。

まずは1990年から、横浜の姉妹都市、アメリカ西海岸のサンディエゴを拠点に旺盛な制作活動を始める。そして、その活動に対して同市長から謝意宣言書が授与された。


1990年、サンディエゴ・コロナドブリッジのウォール・ペイント(photo© Rocco)


また、1992年には同地で開催されたボブ・マーリー生誕50周年記念コンサートで平和賞を受賞し、その年の「アートオブザイヤー・ベスト10」に選出された。

ロコさんと海外とのつながりはサンディエゴにとどまらず、ニューヨークでライブ・ペインティングをしたり、20世紀の壁画芸術の聖地ともいえるメキシコ各地でも壁画を制作。


1990年、メキシコ・モレロス公園内のウォール・ペイント(photo© Rocco)


そして、なんといっても記憶にとどめておきたいのが、次の1枚の写真だ。


2018年、トランプ政権下のアメリカとメキシコの国境の壁に壁画を描くロコさん(photo© Rocco)


「描いていると、壁の向こうにいる銃を構えた兵士がだんだん近づいてきて、同行者に『これ以上は撃たれるかもしれないからやめたほうがいい』と言われた」とロコさんは振り返る。



壁画制作のほかにも多彩な活動を続けるロコさん




そのひとつが、絵本の出版。ご自身が飼っていた猫を主人公に、2001(平成13)年から「ネコのマイティ」シリーズ(ナナコーポレートコミュニケーション発行)の刊行を始める。


『たまごのマイティ』表紙(photo© Rocco)


そして、翌年からマイティをイメージキャラクターにしたワークショップ「Mytee Summit」が岩崎ミュージアムで開催され、昨年(2022年)、このイベントは20周年を迎えた。


20周年記念Tシャツ。同館で販売されている



同じく20周年記念のステッカーと缶バッジ


また、「Mytee Summit」以外にもロコさんは、さまざまなワークショップを行ってきた。その多くは、子どもたちが主人公だ。


2000年に岩崎ミュージアムで開催された「ワークショップ with KIDS」(photo© Rocco)


大きな紙を前に、子どもたちが思いのままに絵を描いていく。

だが、実はこの1枚1枚は、もともとロコさんが長くつながった紙に途切れなく線を描き、その紙を切り分けたものだ。子供たちが絵を描き終えた後、もう一度下絵の線をつなげていくと、ロコさんと子どもたちとで共同制作した延大な作品が出来上がる。

少しわかりづらいかもしれないが、次の写真を見るともう少し納得がいくかも。


2020年の野庭小学校でのワークショップ風景(photo© Rocco)


切り離された紙が一列に並べられ、その紙面にロコさんの描いた途切れない線が見える。子どもたちはこの上に自由に絵を描いていく。

この「つなぐ線」。実はこれが、ロコさんの表現を理解するうえでとても重要なキーワードなのだ。



ロコさんが今伝えたいメッセージとは?




ロコさんに、今この時代に伝えたいメッセージがあれば伺いたいと尋ねた。

すると、当初から現在に至るまで、自分のメッセージは一貫しているという。
それを一言で言えば、「つなぐ」ということ。

思えば、初期に東横線の高架下に描かれた白いチョークのグラフィティも、綿々と約1.2kmをつないでいた。そして、そのつながりに惹かれた人々によって、ロコさんと横浜の街、人々とのつながりが生まれていった。

国境の「トランプの壁」に、いつ銃で撃たれるかもしれない状況下で描いた壁画も、黒い線のつながりだった。それと同じような線のつながりをベースに、子どもたちがワークショップで自由な表現を開花させる。

そして宝島の巨大壁画も、制作過程の写真を見ると、同様の黒い線が下絵に描かれている。


2011年赤レンガ倉庫で発表された「KAWARAアート100」(photo© Rocco)


100年前につくられた瓦が、やっぱりロコさんの「線」でつながっている。

今、コロナ禍で人々の日常的関係が分断され、世界中の国々が国内で思想信条によって分断され、国家・民族間が戦争によって分断されようとしている。
ロコさんの「つなぐ」というメッセージは、今こそ見直されていいのではないだろうか。




取材を終えて




「ロコさんは横浜のアーバンアート(都市芸術)の代表的な存在ですよ」と、岩崎ミュージアムの小池さんはキッパリと言った。
東横線桜木町駅高架下から発信を開始した白いチョークのグラフィティが、半世紀近い画業を経てここまでスケールの大きな軌跡を描いていくとは。

キニナル投稿の「この作家、誰?」的なノリから始まった取材だったが、進めていくほどに、ロコ・サトシという表現者のエネルギーの凄さに圧倒されていった感がある。


―終わり―

取材協力

ロコ・サトシ
https://www.rocco-zoo.com/

岩崎博物館(ゲーテ座記念)
住所/横浜市中区山手町254
電話/045-623-2111
開館時間/9:40~18:00
休館日/月 (月曜日が祝祭日の場合は翌日・年末年始は当館が別に定める日・特別展等の際、若干の変更がある場合もあります。ご来館の前にお電話にてご確認ください。)
https://www.iwasaki.ac.jp/museum/index.html

GOKURAKU RECORD
住所/横浜市神奈川区白楽100
電話/045-431-4167
営業時間/12:00~20:00
定休日/月曜(祝日は営業) ※臨時休業あり
https://gokurakurecord.wixsite.com/gokuraku

一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館
住所/横浜市中区野毛町2-94
電話/045-315-2006


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  • 小さい頃、急に桜木町ガード下に現れた可愛くて楽しいチョークイラストが大好きで、親戚の家に訪問する車の中から楽しく眺めていたのを思い出します
    そばで見てみたかったんだけど車を止めてもらうわけにもいかず、叶いませんでした
    そのうち他のグラフィックに上書きされちゃったりするようになって、気づいたら全面的に塗りつぶされて落書き禁止になってて残念だったなぁ
    すごい長さの壁にずーーーっと描いておられましたよね

  • これはすごい。たしかによく目にする絵だった。素晴らしいと思います。
    この感じのTシャツとかバッグとかどこかで売ってないかなー。探してみよう。

  • 久々の新着記事ですが、とても面白かったです。次のキニナルも期待してます♪

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