横須賀市の山中で京急線と横須賀線が立体交差する理由は?
ココがキニナル!
京急線は京急田浦-安針塚間で横須賀線を跨ぐように立体交差します。逸見ー汐入間は京急も横須賀線も山の中でどう交差しているの?京急が上? 下? 両線のトンネルはどのくらい離れている(横濱マリーさん)
はまれぽ調査結果!
いずれも京急が上。保安上の問題から位置を詳細に公表できないが、立体交差の成立には軍都として発展してきた横須賀の歴史が大きく関係していた
ライター:やまだ ひさえ
交差する京急とJR
横浜から三崎口方面へ京急線を利用したことがある人の中には、京急とJR横須賀線が地上で立体交差をしていることを見たことがある人もいるかもしれない。
立体交差の場所
まずは投稿にある京急線が安針塚(あんじんづか)―京急田浦、横須賀線が田浦―東逗子の間。住所は横須賀市田浦町で、地図の(1)の場所だ。
横須賀市田浦町にある立体交差
京急線が上、横須賀線が下を走っている。
近くに変電所前踏切がある
立体交差としては分かりやすい。ダイヤの関係か、京急と横須賀線の車両自体が交差するのを見るのは難しい。
遠くに横須賀線の車両が見える
京急線通過直後に横須賀線が通過
そして、調べていくうちに投稿以外に、京急逗子線にもう一つの立体交差があることが判明。地図(2)の京急逗子線の新逗子駅―六浦駅、横須賀線の逗子駅―東逗子駅の間だ。住宅街にあり、上を京急線が、下を横須賀線の路線が走っている。
フェンスでしっかりガードされている
京急線がまたぐ形で通っている
京急線の下を横須賀線が走り抜けていく
いずれの立体交差も、横須賀線をまたぐ形で京急線が走っているのは、横須賀線のほうが早くに開通しているためだ。
横須賀線が大船―横須賀間で開通したのは、1889(明治22)年6月16日のこと。
当時、横須賀には最新鋭の設備を誇った「横須賀造船所」があり、軍事的に重要な位置を占めていた。そのため人員や物資を早く、確実に運ぶ必要性があり、陸軍の要請によって開通したのが横須賀線だった。
明治時代初期の横須賀造船所(提供:横須賀市)
横須賀駅は、横須賀線の終着駅として開業
軍港に直結した最高の立地にある
一方、京急線が開通したのは、1930(昭和5)年4月1日。開通当時は「湘南電気鉄道」と呼ばれており、黄金町―浦賀間の29.9㎞、金沢八景―逗子間の5.7㎞が同時に開通した。
三浦半島は、海岸線に沿った平地が少なく、中央が隆起しているのが特徴。京急線の横須賀市内の路線には、いくつものトンネルと陸橋が造られた。
1933(昭和8)年の横須賀中央駅付近(『横須賀案内記』より)
写真の左側に横須賀中央の駅が、右にすぐトンネルがある。
さらに1942(昭和17)年には、1931(昭和6)年に開業した堀ノ内駅を分岐点とした久里浜線が開通。現在の京急久里浜駅までつながった。京急より41年も先に横須賀線が開通していたことが、逗子、田浦の立体交差で京急線が上を走っている理由だ。