緑区の「泣き坂」、罪人の泣き声が絶えなかったって本当?
ココがキニナル!
緑区の「泣き坂」は昔、処刑場に向かう罪人の泣き声が絶えなかったことから名づけられたって聞いたけど本当なんでしょうか?(はまんさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
文献などは残されていないが、地元には昔から人にはそう伝わっていた。現地にある石碑などから考えると、処刑場は実際にあったようだ。
ライター:田中 大輔
今回のテーマは緑区にある坂。その名も「泣坂(なきざか)」。
さびしい感じもするし、ちょっとホラーな感じもする。しかも、その由来は処刑場にまつわるものだというから、なお気味が悪い。果たしてこの話、本当なんだろうか。
まずは泣坂へ
JR横浜線の十日市場駅から15分ほど歩いた場所に問題の坂はある。
坂の勾配はたいしたことがなく、わりと緩やか。上っていくと、途中から大きく左に曲がって“く”の字型を描いている。
グイっと曲がっている。ここが泣坂
坂の途中には坂名を示す表示板もあり、ハッキリと「泣坂」と書かれている。
正確には送り仮名なしのようだ。読みは“なきざか”
辺りは住宅街になっていて、一軒家も集合住宅も混在して建てられている。
現地に行く前はその名前と由来のウワサから、なんとなく陰鬱な雰囲気を思い浮かべていたが、カーブの角度が急なことを除けば普通の坂だ。
地元の人から新情報が!
その曰く付きの名前の謂われを探るため、地元の人たちに声をかけて話を聞かせてもらった。
自宅前で取材に応じてくれた庄山さん
泣坂近くに10年以上住んでいるという庄山さんに、泣坂の名前の由来を知ってますか? と訪ねてみると「昔、坂の上に処刑場があって、そこに連れて行かれる罪人があの辺で泣いたかららしいよ」と、キニナルとほとんど一致するお答え。
近隣に住むほかの方々に質問してみても、みなさんほぼ同じ答え。
罪人が泣いた説のほか、罪人の家族が泣いたから、処刑場から泣き叫ぶ声が坂まで聞こえたからなどの説も聞くことができた。どの説も、処刑場とそこに連れて行かれる罪人が登場するという点で共通している。
庄山さんは地元に長く住んでいる人から聞いたそうで、「あそこの団地の中に公園があって、そこに塚がある。その上に碑が建ってますよ。そこに処刑場があったと聞きました」とさらなる情報まで教えてくれた。
鎮魂のため!? 石碑の建つ塚
教えてもらった団地は、泣坂を上ったところにある交差点の向こう側にある市営団地。
その交差点の名前はズバリ「泣坂上(なきざかうえ)」
交差点を渡り、さっそく石碑を探してみた
団地の一番奥に公園を発見し中に入ってみると、広場の一角にこんもりとした場所を発見。
階段が備え付けられた塚。ここに上ってみると…
階段を上ってみると、塚の上には立派な石碑が。
石碑というよりは、お墓のような形をした供養塔といった感じ
高さ2メートルくらいの碑の正面には「十日市場地区土地関係萬霊大供養」と書かれている。裏側に回ってみると「昭和六十年 九月 二十日 有志建之」と刻まれていた。