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緑区の「泣き坂」、罪人の泣き声が絶えなかったって本当?

ココがキニナル!

緑区の「泣き坂」は昔、処刑場に向かう罪人の泣き声が絶えなかったことから名づけられたって聞いたけど本当なんでしょうか?(はまんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

文献などは残されていないが、地元には昔から人にはそう伝わっていた。現地にある石碑などから考えると、処刑場は実際にあったようだ。

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ライター:田中 大輔

鎮魂のため!?石碑の建つ塚

(続き)

この石碑に関して詳しい話を聞こうと、この土地を管理している横浜市建築局の住宅管理課に問い合わせてみた。対応してくれた吉田さんによると、「土地はこちらで管理してるんですが、石碑自体は市の管理ではないんです」という回答。
 


碑の周りには木が立ち、ここだけ涼しさを感じた


市には、1955(昭和30)年以前には小さなほこらが建てられていて、そのほこらが朽ちてきたので1985(昭和60)年に地元の有志がこの石碑を建てたという記録が残っているそうだ。
だが、誰が建てたか、誰が管理しているかは市の方でも把握していないということだった。



地元の中学生からの新情報で事態急転!



暗礁に乗りあげてしまったので、再び坂の周辺で地元の人にヒアリングをしてみた。
次に話を聞いたのは、地元の中学生二人組。
 


坂の下の道で話を聞かせてくれた黒川くん(左)と白石くん


坂の名前について聞いてみると、「小学校で習いました」と急展開! 二人は地元の十日市場小学校の卒業生だそうで、地元の歴史を学んだ際にこの坂についても教わったらしい。

その説は、ほかの人たちからも聞いたように、処刑場と罪人にまつわるもの。学校では本を使って授業を受けたそうで、「その本は図書館にもあったと思います」。

学校で習ったとなれば、信憑性も高まるというもの。二人にお礼を告げて、さっそく図書館へ。



謎を解くカギは“餅塚”



向かった先は、十日市場駅から歩いて5分ほどのところにある緑図書館。
 


駅から泣坂と反対方向にある緑図書館


ここで、十日市場小学校が作った『十日市場の歴史』という本を見つけることができた。その本では「伝説や民話」という項目で泣坂の由来についても解説されている。

それによると、児童に配慮してか“お仕置き場”という表現を使って、処刑場が鎌倉時代にあったと説明している。さらに、そのお仕置き場を“餅塚”と呼んでいたとも書いてあった。

実は、前出の吉田さんからも、確実ではないという前置き付きながら「あの塚は“餅塚”と呼ばれていたそうです」という話を聞いていた。
そして、石碑本体の側面にも“餅塚”という文字が刻まれていたのだ。
 


石碑にも“餅塚”の文字が!!


これらの情報をまとめると、石碑の建つ塚が餅塚で、そこに処刑場があったと考えるのが自然。ただし、「伝説や民話」として紹介されていることや、吉田さんの話しぶりからも分かるように、ハッキリとした文献などは残されていないようだ。



取材を終えて

確定的な史料は見つかっていないため、命名時期など不明なことは少なくない。それでも、地元では大人も子どもも泣坂の由来を知っていた。細かいところが微妙に違っていたりするが、どれも処刑場と罪人の関係にまつわる話で、キニナルの内容はある程度の信憑性があるようだ。

それにしても、鎌倉時代から現在までこの話が語り継がれてきたというのは驚き。
あまり気持ちのいい由来ではないが、この話は石碑とともにずっと地元に残っていくことだろう。


―終わり―
 

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  • 私、この塚の隣の団地が実家で、40年前~親が住んでます。子供のころに聞いた話だと、ここに昔、茶屋があって娘さんとお母さん(おばあちゃん?)が切り盛りしていましたが、ある日、山賊に襲われ殺されてしまったと聞きました。餅塚は皆さんと同じお話を聞きました。泣坂と餅塚は別の話みたいですよ。

  • 青葉台の特集のところに、こんなコメントありました。むか~し、この地域におよそ数百年以上前より土着している一族の末裔の方にお話を聞いたことがあります。むかしむかしのお話のようですが、現在の青葉台駅前は周辺と比較しても澄んだ小川のある豊かな土地で、周辺の恩田村とこちらの村のものだとか、いやいやこちらの村のものだとか、争いが絶えなかったそうです。結果的にこのあたりの方々が勝ったそうで、将来にわたってもう二度とこの様なことがないようにと、昔よりその地を「処刑場」として流布していったのだと聞きました。その方は同じようなところが緑区長津田の旧いぶき野(現みなみ台)にもあるとも言われていましたが、そこは大山街道が近く、旅の途中の弱った牛馬の捨て場だったのが処刑場と流布されていたようです(はまれぽを読むと何故か小学校でも教えているようなので余計に、でしょうね)。

  • 歴史関係のレポート、特に面白いですね!気になってはいるけど、なかなか自分では調べられない。そんな横浜の歴史を、はまれぽで調べてもらえたら、もっともっと横浜が好きになる気がします。頑張って下さい。

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