川崎駅前の銀柳街にあるステンドグラスのモチーフは?
ココがキニナル!
川崎駅前の商店街「銀柳街」のステンドグラスにピカソの「ゲルニカ」をモチーフにしたようなものがあるのが気になります。ぜひ調べてみてください。(麻衣さん。さんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
ステンドグラスは「花」をイメージした作品。「ゲルニカ」とは直接は関係ないが、「花に対する鎮魂歌」という思いはある種、通じるものがあった。
ライター:はまれぽ編集部
川崎駅東口から歩いてすぐ、新川橋通りと市役所通りに挟まれた商店街が、投稿にあった「銀柳街(ぎんりゅうがい)」だ。
50軒以上の店舗が軒を連ねるおよそ250メートルの商店街の上には、アーケードが設置されている。アーケードは開閉式で、晴れた日には太陽の下で買い物ができる仕組みだ。
新川橋通りから見た銀柳街の入り口
アーケードを見上げてみると、確かにステンドグラスがはめられている。
その中にパブロ・ピカソの代表的な絵画「ゲルニカ」をモチーフにしたような柄のものも確認できた。
悲しげな人物の横顔の表現や、手足の形など、どことなく通じるものがある。
開閉式のアーケードにはステンドグラスが
ゲルニカっぽい模様を発見!
実際のところ、あの柄は「ゲルニカ」をモチーフにしたものなのだろうか。
アーケードを管理する、川崎銀柳街商業協同組合の星野雄一さんに話を伺った。
取材に応じてくださった星野さん
ずばり「ステンドグラスは『ゲルニカ』がモチーフなんですか?」と尋ねると「いやぁ、それはちょっとわからないけど・・・」と困ったような笑顔を浮かべる星野さん。
「ステンドグラスは『花』をテーマにしているんですよ」と教えてくれた。
たしかに、左下の部分に花をイメージさせる柄が
(写真提供:川崎銀柳街商業協同組合)
銀柳街ではこれまで、明るさや心の豊かさをテーマに、アーケードや店舗の装飾に力を入れてきた。そのシンボルとして、多くの店舗で「花」柄の装飾を取り入れている。
コンセプトは「花とステンドグラスのある街」だ。
アーケードの歴史
そもそも、銀柳街のアーケードはいつごろ誕生したのだろうか。
銀柳街がある場所にはもともと、古川と呼ばれた川が流れていた。1935(昭和10)年ごろ、古川を埋め立て、そこに失業者が再就職するための商店街が作られた。しかし、戦争によってあたりは焼け野原になってしまう。
荒涼とした土地になってしまった商店街だったが、復興を願う地元の人々が再建に着手する。その際、復興のシンボルとして、風や雪にも耐え忍ぶ柳が植えられた。その「柳」という文字に、深く美しい輝きを放つ「銀」の名を合わせ、「銀柳街」という名が付けられた。
1950(昭和25)年ごろの銀柳街の様子
(写真提供:川崎銀柳街商業協同組合)
やがて銀柳街は、川崎を代表する商店街にまで発展。
より新しく、明るいイメージのアーケードを作るべく、また川崎駅東口一体の再開発・まちづくりの一環として、1979(昭和54)年に新アーケードの建設がはじまった。
アーケードの下でも明るく買い物ができ、雰囲気も明るくなるよう、強化プラスチックで作られた25枚のステンドグラスがあしらわれた。デザイン性と機能性を兼ね備えたアーケードの誕生は、川崎の活性化に大きく貢献した。
「ウィロード」と名付けられた銀柳街の新アーケード
(写真提供:川崎銀柳街商業協同組合)