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ベイブリッジ下にあるナゾの看板に込められた意味は?

ココがキニナル!

ベイブリッジ下の国道357入り口の「汗と努力の357 大事にします 感謝で運転」という看板。道路を建設する際に苦労したのでしょうか?(jbさん)

はまれぽ調査結果!

標語は貨物運搬関係者の悲願であった国道357号線の完成を祝って心の中にあった素直な気持ちから作られた!道路建設自体はスムーズだったようだ

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ライター:ムカイカツヲ

本牧ふ頭と大黒ふ頭とを結ぶ横浜ベイブリッジは、誰もが疑うことのない横浜のシンボルの一つだ。一方でその横浜ベイブリッジの下層部を走る一般道・国道357号線の存在については知らない人も多いかもしれない。2004(平成16)年に開通したこの道路の誕生の経緯を、道路脇に貼り出された一枚の標語から逆流して読み解いてみた。
 


投稿にあった看板

 


かつて、横浜が抱えていた苦悩



キニナル投稿にあった標語について調べたところ、2004(平成16)年頃に大黒ふ頭連絡協議会が中心となって募集されたものであることがわかった。そこで、標語募集当時のことを知っている人に話を伺うため、山下ふ頭港湾厚生センターを訪れた。残念ながら担当の方のお名前と写真を出すことはNGとのことだったが、当時の話を聞くことができた。

当時の本牧・大黒という巨大ふ頭には大型船から積み出された大量のコンテナや輸出を待つ自動車等が所狭しと並んでおり、両ふ頭間では貨物の移動も頻繁に行われていたそう。
 


ふ頭間の物流はトラックが中心

 
1989(平成元)年横浜ベイブリッジ完成前夜の横浜において、両ふ頭間の物流は横浜中心地を通る一般道を経由するものが主だった。港湾業者にとって、この移動にかかる労力は大きな負担で、渋滞に捕まると、半日〜一日仕事となってしまう場合もあったとのこと。

問題はそれだけではなく、当時、港湾業者の大型車両が通る国道133号は、「コンテナ街道」と揶揄(やゆ)されるほどだった。横浜が観光地としてその存在を国内外にアピールするにあたり、山下公園や横浜中華街といった観光スポットの前を大型トラックやコンテナ車が排気ガスを出しながら往来する、という好ましくない光景があった。
 


当時は山下公園近くの道路もトラックであふれかえっていたそうだ(同乗者が撮影)

 
1989(平成元)年に横浜ベイブリッジが開通しても、この問題は解決しなかった。いくら便利だからといって、一日に何回も有料道路を通る事は輸送コストの増加に繋がり現実的には難しかったのだ。

ベイブリッジの下部に一般道を通して欲しいという声は、港湾業者のみならず地元住民からもわき起こってきた。そこで、地元港湾業界をあげて、横浜ベイブリッジの下層部に一般道を設けることについて、建設省等へ働きかけが行われた。
 


ついにカーナビの画面に357が姿を表した!(同乗者が撮影)

 
この運動が功を奏して、横浜ベイブリッジ一般部(国道357号)は2000(平成12)年3月に着工され、2004(平成16)年4月24日に国道357号に接続する本牧・大黒港湾道路とともに暫定供用される。横浜ベイブリッジは、そもそも首都高速湾岸線の下部に道路を追加設置可能な形で設計されていたため、施工自体はスムーズだった。

国道357号開通の効果はてきめんで、これによって両ふ頭間の物流が大きく効率化・促進化された。加えて、開通3ヶ月後の調査では、国道15号では82%、国道133号では66%の大型車両の通行減少が確認され、観光地横浜の景観を守るだけでなく大気汚染を低減させ、さらには人身事故の発生件数までもが低下したとのこと。
 


2層構造がはっきりとわかる
 

一本の道路が通ることで多くの人が利益を享受することができる。横浜ベイブリッジ下の一般道・国道357号線はそんな道路だったのだ。