横浜駅近くにある、働く人の心強い味方「港町診療所」に突撃!
ココがキニナル!
港町診療所が気になります。どんな診療所なのでしょうか?(ymyさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
港町診療所は横浜の港で働く人や一般市民の職業病の診療を目的とし、1979年に設立。港や横浜駅近辺で働く人、外国人まで幅広く来院する医療機関!
ライター:松宮 史佳
横浜駅からも徒歩圏内の京急・神奈川駅。その近くに今回投稿のあった「港町診療所」があるらしい! ご担当者に取材を申込むと、「OK」との答え。診療時間の合間に取材をさせていただけることに。“港町”という響きに心ひかれながら、「港町診療所」へ!
「港町診療所」に突撃!
神奈川駅から代々木ゼミナール方面へ
歩道橋を上り・・・
徒歩数分で「港町診療所」に到着!
受付で取材の旨を告げて・・・
専務理事の早川寛さんに設立の経緯を伺う
「港町診療所」は1979(昭和54)年港湾労働者の腰痛や職業病(職業に携わることで発生する病)の診察を目的とし、有志により桜木町に設立された。かつて横浜の港は浅く、大型船は岸壁まで辿り着けなかった。そのため、1970年代ごろまでは大きな船から岸壁まで「艀(はしけ)を使用し、荷役作業を行っていた」と説明してくれる早川さん。
昔は艀(はしけ)を使って荷物を運んでいたのだ!
(画像提供:日本水上学園)
現在のようにオートメーション化されていなかったため、人力で荷物を運んでいた。そのため、事故も多かったそうだ。重い荷物を運ぶことで腰痛や背骨の変形を起こす港湾労働者も多数いた。しかし、当時は労働者の立場は弱く、企業が職業病を認めることはなかった。
大岡川の分流である掘割川(ほりわりがわ)には荷揚げ場の跡が残っている
なので、「診療所を設立しよう」という医療関係者や港の労働組合などの有志が集まったものの、企業などから反対されたため予定していた施設が使えなかった。そこで、桜木町のビルの一室を借り、「港町診療所」が設立された。
現在地には1982(昭和57)年に移転
ちなみに建物は横浜港湾労働者福祉協会が建てた。土地は横浜市が所有している。
「港町診療所」設立の経緯
ここで早川さんに「港町診療所」に関わったきっかけを伺う。すると、早川さんはもともと造船所で勤務しており、(ケガをしたり、事故で亡くなる人は)「下請けの人が多いと気づいた」とのこと。また、亡くなっても遺族が見つからないこともあった。当時はまだ職業病という認識が浸透していない時代。労働者の立場は弱く、企業は事故などの補償も十分行っていなかったそうだ。
労働者の人権を守るために立ち上がった早川さん
そこで、早川さんは1978(昭和53)年に「神奈川労災職業病センター」を設立。翌年の1979年(昭和54)年に「港町診療所」の立ち上げに携わった。つまり、創立以来35年もの間、同診療所を見守ってきたのだ。
早川さんの仕事について尋ねると、「橋渡しかな」と答えてくれる。「港町診療所」にはアスベストによる健康被害を受け、来院する人も多い。
アスベストとは石綿とも呼ばれ、天然の繊維性けい酸塩鉱物の総称。耐火性や吸音などにすぐれており、建築材料などに使用されていた。
しかし、肺に吸入されても分解されず、重度の呼吸器疾患を引き起こす。発がん性があるので、肺がんや中皮腫(ちゅうひしゅ)になることも。潜伏期間が長く、「20年~30年経って病気を発症する人も多い」そうだ。
こちらがアスベスト
そのため、建築や解体業、配管工事などに携わっていた人が退職後に「呼吸が苦しい」と来院するケースも多い。アスベストの健康被害者は高度成長期を支えた60代から70代の方が多いという。
早川さんは資料を収集し、かつて患者さんが勤務していた企業でのアスベストの健康被害を立証する。アスベストによる健康被害者だけではなく、すべての患者と地域の専門機関を結びつけるのが早川さんの仕事。今後も「橋渡しをしてきたい」と語ってくれた。
続いて「港町診療所」の所長にお話を伺うことに!
「港町診療所」の所長にインタビュー!
お話を伺うため、診察室へ。
・・・なんだか診療されているようでドキドキ
「港町診療所」の所長である沢田貴志先生にインタビューを行う。
「港町診療所」の所長・沢田貴志先生は内科医
沢田先生は物静かでやさしく、なんでも話しやすい
同診療所のことは「医学生時代から知っていた」という沢田先生。都内の病院で5年ほど勤務し、20年以上前の1991(平成3)年より港町診療所に着任。
「患者さんを緊張させないように」と診察中も白衣は着用しない。「港町診療所」には入院施設はなく、外来のみの診察。内科・整形外科・産婦人科を中心に外科・心療内科がある。ちなみに沢田先生を含め、整形外科と産婦人科の先生も20年以上、同診療所に勤務するベテランだ。