世界遺産になれなかった「鎌倉」は今後どうするのか?
ココがキニナル!
世界遺産になれなかった「鎌倉」今後はどうなるんですか?鎌倉の世界遺産登録に向けた取り組みを知りたい。(にゃんさん、タイサンさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
物的証拠不足という結果をふまえ調査、研究のうえ数年中に再度コンセプトの提案をする予定。研究結果が不十分であれば申請できないとのこと
ライター:はまれぽ編集部
世界遺産―――。
そう聞いてみなさんはどんな景色をイメージするだろうか。
アフリカ最高峰の「キリマンジャロ」、海に浮かぶ修道院「モン・サン・ミシェル」などそれは雄大で堂々たる景観、さらに歴史的なエピソードをもった土地建物などを思い浮かべることだと思う。
タンザニアのキリマンジャロ。壮大だ(C)Fruzsi-Gergo /Shutterstock.com
歴史的価値のある遺跡や建築物を開発から守るための国際機関であるユネスコのHPでは、その定義を「有形の不動産で文化、自然、またその両方に対して顕著な普遍的価値のあるもの」としており、2014(平成26)年時点で191ヶ国、1007ヶ所が登録されているとある。
登録数の多さと登録地域のアンバランスさが問題視されているが、それはさておき日本に目を移してみると富士山や白川郷(岐阜県)、記憶に新しいところだと富岡製糸場(群馬県)など18ヶ所が登録されている。
富岡製糸場を設計したバスチャンは山手にて永眠
さて、そんななか鎌倉も「武家の古都・鎌倉」として世界遺産「登録」に向けた活動が開始され、2012(平成24)年前後に話題になったことは記憶に新しい。はまれぽでも源頼朝が建てた三大寺社のひとつ「永福寺(ようふくじ)跡」の世界遺産登録を意識した復元計画の様子を取材した。
1983(昭和58)年から15年かけた発掘調査の末、往時の姿が浮かび上がった
しかしながら、2013(平成25)年4月、「世界遺産にはならなかった」という報道が。そんな「落選」みたいなことが起こりうるのも意外だが、いったい「鎌倉」に何が足りなかったのだろう。
はまれぽの大仏はハイキングをした後に必ずにぎわう小町通りに寄る
そもそも、なぜ今(さら)あえてこの話題について調査するのか。それは「鎌倉」がその後「スッパリ世界遺産登録はあきらめているのか? それともまだ登録に向けて粘っているのか?」ということを知るためだ。さらに、その調査にかこつけて知っているようで知らない「世界遺産の詳しい選定基準」という前提知識も伺うことにする。
そして、すでに全国屈指の観光名所でもある「鎌倉」で暮らす方々にも率直なご意見を伺ってみたい。
まずは、ことの経緯を伺うため「世界遺産登録推進」の拠点、JR鎌倉駅から徒歩約5分の鎌倉市役所へ。
鎌倉市だけじゃない「武家の古都・鎌倉」
かつて取材した「プール付き」のスターバックスコーヒーの向かい
師走だなあ。4階の「歴史まちづくり推進課」へ
偶然なのか、必然なのか、びっくり仰天、取材に応じてくださったのは、あの爆食ヒロイン、桝渕祥与(ますぶち・さちよ)さんのお父様だった。
父が写真を待ち受け画面にしていたことがきっかけで「ミス鎌倉」になった娘
さておき、あらためて鎌倉市教育委員会文化財部長兼鎌倉市歴史まちづくり推進担当担当部長、桝渕規彰(ますぶち・のりあき)さんにお話を伺った。
よろしくお願いします
「まず、ことの発端はこちらです」と資料を見せてくださった。
過去に発行されたパンフレット
「1992(平成4)年、日本政府により“ユネスコ世界文化遺産暫定リスト”というものに記載されました。ノミネートされた理由はおそらく京都・奈良と同様 “歴史上の政権所在地”であったことだと思います」
「でも、ひとくちに“鎌倉”といってもどこにするのか、さらに当時は“どうやったら世界遺産に登録されるのか”具体的なことが全く分からない。まずは鎌倉の“どこ”で“どんなこと”に価値があるのか、4年間協議しました」
法隆寺(奈良)を含む建造物48棟は1992(平成4)年に文化遺産に登録された
「協議をおこなったあとは、1996(平成8)年から本格的に学術的な調査をし、同時にどういった価値を認めてもらって登録されるか、という考え方のまとめ。それにも8年かかっています。ようやく“武家の古都・鎌倉”というコンセプトが決まったのが2004(平成16)年で、そこから場所の選出に移りました」
選ばれた側がこんなに考える仕組みだったのか・・・。ユネスコが勝手に「ここにしまーす」と選んでいくものではないのね。
ではでは “武家の古都・鎌倉”って具体的にどこのことなのでしょうか? すると、桝渕さんはさらにパンフレットをめくりながら紹介してくれた。
に、21ヶ所もある・・・!