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全国からお宝を求め「寂しい場所」へ? 都筑区「滝口模型店」に突撃!

ココがキニナル!

港北区新羽の少し寂しい場所に昔からある滝口模型。店内は掘り出し物やお宝を予感させる高く積まれたプラモデルで、男心をくすぐること間違い無し。どうしてこんな場所で模型屋さんを?(アソビンさん)

はまれぽ調査結果!

新羽駅からバス、徒歩含め10分ほどの「滝口模型店」にはマニア垂涎の品々が多数。店主の滝口綾子さんは明るい女性

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ライター:細野 誠治

都筑の老舗模型店は遊び心の分だけ、きっちり宙に浮いている



ありますね、模型店。
細野の地元・横浜北部では、ちょっとした有名店です、はい。投稿の通り、寂しい場所に昔からあって、すごく不思議でした。

(子どものころ、夜道<山!>を歩いていると模型店の灯りがボンヤリと浮かんでいてキツネに化かされてるみたいで摩訶不思議な光景だったんですって!)

懐かしい、そして個人的にもキニナル! さっそく行ってみよう。


最寄りは横浜市営地下鉄ブルーライン・新羽駅


新羽駅から横浜市営バス41系統で7~8分、大竹バス停のすぐ近く



車の場合は港北インターを降りて、産業道路を川崎方面へ。


港北区と都筑区の境界である大熊川そば


鮮やかな青! こちらが滝口模型


立地的には少々大変ですが、地元(それ以外も)では大変有名なお店


お子さま&大きいお友だちがワクワクの入口


機動戦士的なものや戦闘機などがお出迎えするショーウインドー


ドアを開けると正面に鉄道模型のジオラマが。そして来訪者を圧倒するように大量の模型(プラモデル)たちが積み上げられている。
横長の店内は広さが20畳くらい。特に男子は、ふっと郷愁に包まれると思います。



店内の中央に鎮座するジオラマ


天井には飛行機のラジコン!


ラジコンにガンダム、車・・・


懐かしいモノからミニ四駆も!


ジオラマを、ぐるりと囲むかたちでプラモデルぎっしり


入口から向かって右側にレジ。塗料や工具類が充実


レジ近くには飛行機や戦車などミリタリーものが山積み状態


そろそろお店の方に話を聞いてみよう。


店主の滝口綾子(たきぐち・あやこ)さん(年齢は非公表!)


入荷したばかりのプラモデルを仕分けしている綾子さんに、インタビューを開始。


入荷ホヤホヤの「あぶ刑事・レパード」。横浜らしく(?)よく売れるそう


まずはお店の成り立ちから。

いつ、どうしてこの場所で模型店を始めたのか? 
昔はこの辺、本当に寂しくて魔界村(ファミコン)の1面みたいだったんだから!

「私、本当はね、プラモデル屋じゃなくて手芸のお店をやりたかったのよ」

えぇっ・・・!?


手芸から模型へ・・・


今年、2016年夏で、ちょうど40周年だという滝口模型さん。一体、なぜ「手芸店」!?

綾子さん「昔から手芸が好きでね、いつか手芸の店を持ちたいなって思ってて。それで結婚してここに住んで、主人に相談したの」
オレ「手芸の店がしたい、と?」
綾子さん「そう。そうしたらウチの飛行機バカ(原文ママ)の主人が『駅前ならともかく、こんな寂しい場所に女性客が来るわけないじゃないか。飛行機だったら僕は、少しは分かるから。模型屋がいいんじゃないか?』って言うのよ」



写真右が夫の一博さん。某航空会社のパイロットだったそう


オレ「はぁ・・・」
綾子さん「で、模型屋なの」
オレ「ちょっと待ってください! 子どものころから手芸の店がしたかったけど、旦那さんが『模型屋がいい』って言ったから模型屋なんですかっ!?」
綾子さん「そうよ。それでね・・・」
オレ「ちょっと待って!」


この疑問、オレの感覚がオカシイんだろうか・・・


オレ「・・・夢、だったんですよね?」
綾子さん「そう。でも当時、この辺は何もなくて。言うことに一理あるなって」


フワフワした物から、飛行機とか戦車とか・・・


オレ「いきなりプラモデルって、その辺、分かるモンなんですか?」
綾子さん「全っ然! 分からないわよ、分からないでやってたの。でもそのうち、段々と分かるようになったから」
 


細野は今年一番、驚きました


お店のオープンは今からちょうど40年前の1976(昭和51)年。

当時、スーパーカーブームが起こった時代。ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニ。ミニカーやプラモデルが飛ぶように売れたという。細野にも何となく記憶がある。

そしてガンプラブーム。ガンダムのプラモデルが一躍して大ブームに。社会現象にまでなった。


当時、入荷されれば即完売状態だったガンプラ


その後、さまざまなパーツを組み合わせて作るミニ四駆が。


懐かしい人、多いのでは?


分からないまま始めた模型店だったが、ヒットの時代に乗ったのではなかろうか?

(ひょっとして夫の一博さん、トンデモなく先見の明があったんじゃ・・・)
「自分はタマに店を手伝って、後は外で飛行機の操縦して・・・」



7年前に亡くなられた一博さん。晩年はセスナ機を購入し家族とともに空へ


好きなことを全部、思い切りやった方なんだな、と思う。そして何より飛行機が大好きで。
「昔は天井にね、たくさんの飛行機の模型が吊るしてあったの。本当にもう、たくさん。屋根が飛んでいくんじゃないかってくらい(笑)」


ふっと見えたような気がしました