まさに奇跡!横浜・ドンドン川護岸跡がドンドン商店街に姿を現す!
ココがキニナル!
ドンドン商店街内のお宅が取り壊され更地になった場所に「ドンドン商店街」の由来になったドンドン川の護岸跡が見られます。新しいお家が建ったら見られなくなってしまうので取材してほしいです(おこのみやきさん)
はまれぽ調査結果!
ドンドン川護岸跡の前の更地には、いずれ賃貸アパートが建つらしい(時期は未定)。偶然にも束の間姿を現した貴重な遺構は、下町人情商店街の盛衰史を教えてくれた。
ライター:結城靖博
南区のドンドン商店街の名前の由来が、そばを流れる小川が降雨のたびにドンドンと激しい音を立てて流れ「ドンドン川」と呼ばれていたから――これはわりとよく知られた逸話だ。
しかし、そのドンドン川は、とうの昔に地下に消えているはず。
その川の護岸跡だって? それを今見ることができるのか? いつまた見られなくなるかもしれないその場所を目指して、息せき切ってドンドン商店街へ向かった。
更地を求めてドンドン歩く
平戸桜木道路に面したドンドン商店街のアーチ看板の前に立つ。大通りに面しているだけに目立つ。
ドンドン商店街入口のアーチ看板
いざ商店街の中に足を踏み入れてみると、正直なところ「ここが商店街?」と戸惑ってしまった。メイン通りに並ぶ家屋は、むしろ商店よりも戸建て住宅、マンション、そして企業の入るビルなどのほうが多い。
ドンドン商店街に一歩足を踏み入れるとこんな感じ
気を取り直して投稿に書かれている「更地」を求め、メイン通りをドンドン歩いていく。
すると上り坂が二股に分かれる辺りに、更地発見。
もしかして、ここか?と隣りの青果店に訊いてみたが、残念ながらそこは全然関係なかった。
左がその更地、右がお尋ねした青果店
しかし、「向こうのお米屋さんなら古くから住んでいるから知っているかもしれないよ」と教えてくれた。
さっそくきびすを返して教えられた通り坂道を下り、角にセブンイレブンがある路地を左に折れると、すぐ右手に米穀店「前川商店」があった。
店の奥にご夫婦らしきお二人。事情を話すと、奥様のほうが「ああ、そこなら多分うちの隣りだわ」と言って、店を出て案内してくれた。
親切だ。そしてラッキーだ。
前川商店さんの奥に更地がチラッと覗く。ドキドキ
姿を現したドンドン川護岸壁
現場はココ。メイン通りから少し脇にそれた場所だった
確かにそこは更地。その奥の地面に、なにやら横に連なる石らしきものを発見。
誰かのチャリがダラリとロープに繋がっている更地
前川商店の奥様に導かれるまま、前川さん宅の敷地の縁を伝い歩くようにして、その石の連なりのそばに近づいてみた。するとそこには・・・
ジャーン!
まさしくこれは、川の護岸跡ではないか。サイズはすご~く小さいけれど、まるでローマの遺跡のようだ。せっかくだから、いろいろな角度から写真に収める。
前川さん宅側から撮った様子
その反対側から撮った様子
側面から見た護岸跡。地面を覆う分厚いコンクリートがわかる
護岸跡から更地と路地を臨む
「前川商店」店主が語るドンドン川の記憶
写真を撮った後、「前川商店」に戻り、ご主人から昔語りを聞かせてもらった。
親切に取材に応じてくれた前川さんご夫婦
お店はこの地に三代続く米穀店。当然、ご主人・前川政治(まえかわ・まさはる)さんはこの地で生まれ育ち、齢80を超える。また、ドンドン商店会協同組合の前理事長でもある。つまりこの商店街の貴重な生き字引のお一人だった。
ドンドン川は大正末期~昭和初期ごろから徐々に道路・上下水道整備により暗渠化(地下に川を埋設し下水道化すること)が進んできた。でも、前川さんが子どものころは、まだ家の裏を川が流れていたという。
「だから野球ボールには事欠かなかったよ」と唐突におっしゃる。なんのことかと思えば、商店街の先の高台にあった横浜国大(現在、横浜清陵高校があるところ)から、よく野球部のボールが川に落ちて家の前まで流れてきたそうだ。
しかし、大雨が降ると大変だった。川にあった2ヶ所の段差に落ち込む激流がドンドンと大きな音を響かせ、あふれ出した雨水による水害に見舞われることもたびたびだったという。