まさに奇跡!横浜・ドンドン川護岸跡がドンドン商店街に姿を現す!
ココがキニナル!
ドンドン商店街内のお宅が取り壊され更地になった場所に「ドンドン商店街」の由来になったドンドン川の護岸跡が見られます。新しいお家が建ったら見られなくなってしまうので取材してほしいです(おこのみやきさん)
はまれぽ調査結果!
ドンドン川護岸跡の前の更地には、いずれ賃貸アパートが建つらしい(時期は未定)。偶然にも束の間姿を現した貴重な遺構は、下町人情商店街の盛衰史を教えてくれた。
ライター:結城靖博
更地の持ち主は誰? その行く末は?
前川さんのお隣り、つまり更地の持ち主についてお尋ねすると、やはり前川さん同様古くから店を営んでいた納豆の製造販売店だったそうだ。ただその店は何十年も前に閉め、納豆業を営んでいたご夫婦もとうに亡くなっていた。次の代の家族が長く住居としていたが、昨年、ついに別の土地に移り、12月ごろ家の解体工事が行われ、今の姿になったという。
「お隣りの裏手があんなふうになっているのは、更地になって初めて知った」と前川さん。
護岸跡は見つかった。だがその跡は今後どうなるのだろう。
前川さんは何も聞いていないし、隣りの方の現在の連絡先もわからないという。
更地の向かいの生花店と、その右隣りの中華料理店のご主人にも訊いてみた。
向かいの生花店「カドヤ花店」
花屋さんのご主人によると「なんでも3階建てのビルが建つらしいよ」。
その右隣りの「中華園」
中華料理屋さんのご主人曰く「ワンルームマンションになるんじゃないかな」。
で、その情報の出どころは?と尋ねると、「噂に聞いた」。
どうやらご近所でいろいろな噂が飛び交っているらしく、真実は藪の中・・・。
さて困ったな、と思っていると、前川さんが「そういえば、解体業者があいさつに来たとき名刺を置いていったな」という。
それだ!
そこから工事の依頼主(=土地の所有者)を教えてもらえるかもしれない。さっそく連絡先をメモらせてもらい前川商店を後にした。
解体業者に連絡すると、依頼主は横浜市内の不動産屋さんだった。それを聞いて「なんだ仲介業者か」とがっかりしたかといえば、むしろ逆。胸が高鳴った。なぜならその社名には、前川さんから聞いたお隣りの苗字がついていたからだ。
さっそく依頼主の会社に電話すると、依頼主当人が出た。その声のトーンから前川さんと同世代だとすぐにわかった。
お話を伺うと、今は亡き納豆作りのご夫婦のご子息で、あの場所で生まれ育った方だという。「今でもあの下には川が流れているんですよ」と、懐かしむように繰り返し話してくれた。
あの土地の今後についても尋ねてみると、更地にした後、すでに他者(某会社)に譲渡したということだった。さすがにその譲渡先までは教えてもらえなかったが、「いずれ賃貸アパートにすると聞いている」とのこと。工事がいつになるのかは、まだ決まっていないらしい。
建物が建つまでしか見られない貴重な「ドンドン川護岸跡」
とにもかくにも、あの護岸跡の前の土地は、花屋さんと中華屋さんと前所有者の話を総合すれば、「いずれ3階建てのワンルームの賃貸アパートになる」ということか。その時がくれば、あのドンドン川の名残り、護岸跡はその背後に隠れ、ふたたび姿が見えなくなる。
それにしてもあの護岸跡は、いつからあの状態になったのだろう。もしかしたら解体する前から家の裏手でずっとあの状態だったということもありうる。
いろいろ想像してみたが、その答えは、解体工事を請け負った業者があっさり教えてくれた。
「今回の解体工事の過程で、古い基礎を取り除くときに、一緒に暗渠のうえを覆っていたコンクリートも剥がれたんですよ」
なるほど。
ということはやはり今回の解体工事があったからこそ、あの護岸跡は姿を現したというわけか。
よみがえるドンドン川の川筋
護岸跡の事情はだいぶわかった。だが、なにか物足りない。そもそもドンドン川は、商店街の中をどのように流れていたのか。
それを知るために、前川さんなど複数の方から名前の挙がった商店街の最長老格、元商店会理事長の精肉店「若山商店」店主、若山清(わかやま・きよし)さんを訪ねることにした。
その日は日曜日で店が休みだったため、隣りの喫茶店「茶房みき」で、じっくり話を伺うことができた。
お隣りは昔懐かしい雰囲気の喫茶店
若山さんは、筆者が持参した地図を前に、丁寧にドンドン川がまだ暗渠になっていなかったころの川筋を説明してくれた。
「この辺りに段差が二つあってね」と教えてくれる若山さん
意外なことに、商店街の上方の二股から左に上る坂、今の清陵高校に行き着く道がドンドン川の上流かと思っていたが、若山さんの記憶によるとそうではなく、右手の少し下り坂になっている保土ヶ谷駅方面へ向かう道筋に、川の上流が続いていたという。
左手の上り坂の先に清陵高校、でも川の上流は右手の道
ということは、前川さんの証言にあった横国大野球部のボールは、坂道をコロコロ転がって、上の写真の辺りでポチャンと川に落ちたということか。
また、若山商店の目の前、下流に続く川が左に折れる手前辺りに、橋が架かっていたそうだ。その名もロンドン橋ならぬドンドン橋。
時計の建物が「若山商店」。手前の三つのマンホールの辺りに橋があった
で、若山さんからの聴取をもとに、筆者が手描きで作ってみたドンドン川の川筋が以下である。青色部分が川筋だ。
筆者作成の超アナログな手描き地図
ちなみに、下の写真が地図の中にある水天宮。水天宮のご利益の一つが「水難除け」であることを思えば、川が右に折れる角地にある意味がよくわかる。
う~ん、なかなか渋い!
ドンドン商店街の栄枯盛衰
その後、「茶房みき」のご夫婦も交え、ドンドン川の話からドンドン商店街の現状について、話が移っていった。
若山さんと喫茶店のご夫婦
ドンドン商店街の盛衰については「はまれぽ」でもすでに2010年12月に取材している。
詳しくはその記事をご覧いただきたいが(上記の記事には若山さんや「茶房みき」の奥様も登場している)、現状は当時と全く変わっていないどころか、さらに悪化しているようだ。
一番驚いたのは、50本近くあった商店街の中の街路灯が、数年前に全部なくなったことだ。老朽化が進み、倒れる街路灯も現れ、安全のために商店会の決断で断腸の思いで撤去したという。結果として商店街の中は、夜になると暗い。市の支援金を頼りに街路灯を復活させたい思いはあるが、具体的な計画はないという。
「茶房みき」の奥様の一言も印象的だった。
「次から次へと商店がマンションや戸建ての家に変わってしまって、住宅だらけじゃ商店街とは言えないじゃない・・・」
取材を終えて
そこは、知らなければ気にも留めないごく普通の建て替え工事現場の一角に過ぎなかった。だが取材を進めていくうちに、そこから横浜の世相史に欠くことのできない「ドンドン商店街」の歴史が見えてきた。
確かに今、昔ながらの商店街は大型店舗の進出や地域の住民構成の変化などから、どこも危機に立たされている。
しかし、ここドンドン商店街でも、3月には「餅つき大会」、8月には「夏の縁日」、そして昨秋には「ハロウィーンスタンプラリー」を催すなど、盛期50軒ほどあった商店が十数軒に減った今も、商店会協同組合の皆さんが力を合わせて、街の活性化のために知恵を絞っている。そんなお祭りやイベントのときには、往時をしのばせる賑わいがあるという。
ドンドン川の激流のような時代の変化に翻弄されながらも、なお生き続ける下町人情商店街の人々のたくましくも優しい姿に出会えた取材だった。投稿者のおこのみやきさん、ありがとう。
―終わり―
取材協力
前川商店
住所/横浜市南区南太田1-32-37
電話/045-731-1782
営業時間/9:00~18:00
定休日/日曜日
若山商店
住所/横浜市南区南太田1-33-1
電話/045-731-5996
営業時間/8:30~20:00
定休日/日曜日
公式サイト/http://www.niku-wakayama.com
茶房みき
住所/横浜市南区南太田1-33-2
電話/045-731-3652
営業時間/9:00~18:00
定休日/月曜日
三日坊主さん
2019年02月11日 21時40分
3月に餅つき……
ご加勢に参りましょうかね……?
南南西西さん
2019年02月10日 23時10分
清水ヶ丘で生まれ育ちました。ドンドン商店街という名前の由来が「ドンドン川」であったことは知っていましたが、僕が子供の頃にはもう商店街の中に川の名残は見られなかったので、今回の記事をとても興味深く読むことができました。ドンドンから保土ヶ谷に向かう道、庚台のバス停のあたりに、もう水はほとんど無かったですが、川(というかドブというか・・・)の跡があったので、それがドンドン川の源流(?)だったのかなと。とはいえ、それももう20年以上前のことなんで、今どうなってるかはわかりませんが。。。その頃はまだ、今のまいばすけっとあたりに「ニューママセンター」という市場+小さいフジスーパーが、水天宮の方にも市場が、前里町寄りにそうてつローゼンがあって、よく親と買い物に行きました。今回の記事を見て、懐かしい気持ちになったので、久しぶりにドンドンに行ってみようと思います。ありがとうございました。
快調さん
2019年02月10日 13時09分
僕が生まれた清水ヶ丘、最近まで生家にいた叔父さんはよく昔の事を教えてくれた。清水が湧いてくるので清水ヶ丘なんだよと。今でも地面の下を清水が流れているとか? ドンドンも昔は活気あふれる商店街だった。若山さんのコロッケがごちそうで、三吉野の串団子がおやつ、ママセンターで買い物して帰る。川の記憶はないが、とても興味深い話でした。ドンドンよ永遠なれ!