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綱島に幻の桃があるらしい!?

ココがキニナル!

綱島で生産されている「日月桃」ってどんな桃なんですか?(ペニーニさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「日月桃」は明治時代後期に綱島で作られた桃の品種。甘酸っぱく、香りの強い桃で6月下旬に実る極早生であることから初物の桃として喜ばれた!

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ライター:吉澤 由美子

日月桃の特徴と歴史



日月桃という品種を作られたのは、池谷さんのお祖父さまにあたる池谷道太郎(みちたろう)さん。
 


池谷さん宅の玄関前には、日月桃の由来を記した石碑がある


道太郎さんは、晴れがましいことが嫌いで、どこに行くより畑にいた方がいいという人だったらしい。

鶴見川は昔、たびたび氾濫を起こしており、畑や田んぼの作物が大きな被害を受けた。果樹であれば、多少の水害なら被害は少なくてすむ。道太郎さんは、西洋桃の研究をはじめ、病害虫や水害に強い品種、日月桃を作りだした。
 


池谷邸を囲むように桃畑が広がっている


普通の桃は夏が旬。日月桃は6月後半に旬を迎える極早生。「初物を食べると75日長生きする」という言葉があるように、日本人は初物好きだ。ビニールハウスなどもない時代、6月に完熟する日月桃は大きな人気を博した。
 


細い枝が桃の重みでしなっている


銀座の千疋屋、新宿の高野、こうした名店がこぞって日月桃を扱い、各地の品評会で数多くの受賞を果たした。

元々、綱島の名主だった池谷家。村全体が潤うようにと桃の苗をわけ、綱島を中心に桃を作る農家が爆発的に増えていった。一時は、お寺さんや酒屋さんまでこぞって桃を作った。
 


開港の4年前に建った池谷邸。玄関脇に日月桃の看板がかけられている


綱島は近隣に比べ特に蔵が多く残っている。これも、桃の生産で生活に余裕があったからだと言われている。
 


大きな蔵が庭の片隅にあった


最盛期には池谷さんのお宅だけで1日千箱を出荷したこともあった。昭和の初めには神奈川県が桃の生産で全国一位に輝いたが、これも日月桃人気によるもの。
 


5月にうかがった時には、袋かけ作業が行われていた
 

袋かけされる前の実は梅ほどの大きさ


ところが、1938(昭和13)年の鶴見川氾濫により桃畑が壊滅的な被害を受け、さらに戦中戦後の食糧難などが重なって桃畑は農地へと変わり、綱島の桃はいつしか幻と呼ばれるようになっていった。

一時期、姿を消してしまった綱島での日月桃栽培を、1998年に池谷さんが復活させたのは、綱島のシンボルである桃を守り続けることで、綱島の町おこしにつながればという思いから。

近年、桃の花開く3月に行われる「綱島桃まつり」では、日月桃のジャムを入れたパンやお菓子が提供され好評を博しており、これを楽しみにしている人も多い。池谷さんの思いは、地域に伝わってきているのだ。
 


玄関脇に消火ポンプ。池谷家には古い民具が今もたくさん残っている




日月桃のデザート ビール

現在はお店に卸せるほど数ができないため、桃は池谷さんが経営する「綱島ピーチゴルフセンター」で販売されている。日月桃の今年の収穫は28日頃に終了。
 


ピーチゴルフセンターに「桃直売所」のノボリ
 

小振りの日月桃が5つで500円。大きさにより値段は多少変わる


今年は収穫直前に台風が来て、かなりの数の桃が落ちてしまった。とはいえ、傷んでいないものは、ジャムなどの材料として使われる。酸味のある日月桃は加工しても美味しいのだ。