京浜急行杉田駅の駅ビルに、東急ストアが入っているのはどうして?
ココがキニナル!
京浜急行杉田駅に隣接する駅ビルはなぜか東急ぷららで入っているのが東急ストア。ずっと疑問だったのですが、なぜ京急ストアじゃないの?(こさくさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
再開発にあたり、地元からの要望と東急側の出店計画が合致し、東急ストアが建設されることに。必ずしも電鉄と同系列の施設が入るとは限らない。
ライター:河野 哲弥
東急ストアの誘致は、地元からの要望でもあった
対応いただいたのは、同社常務取締役の齋藤さん。
お会いすると開口一番、「はまれぽっておもしろいね、昨日、一時間ぐらい見ていた」とおっしゃっていた。
ざっくばらんにお話をうかがうことができた、齋藤取締役
今回の投稿の件を齋藤さんに尋ねてみると、その理由は、昭和50年代から始まった杉田周辺の再開発と、深く関係しているとのこと。そこで、経緯をまとめた冊子『杉田のまちづくり(前編・後編)』と照らし合わせながら、歴史をひもといてもらうことになった。
「プララSUGITA」内にある、杉田地区センター所蔵の同書
杉田駅近辺の再開発は、1979(昭和54)年、当時衆議院議員であった佐藤一郎氏の提案によって、動きはじめたようだ。2年後の1981(昭和56)年には、地元の代表や有識者による、「杉田駅東口再開発準備組合」が発足した。
計画段階の、駅ビル完成予想図
(出展、『杉田のまちづくり』、以下同)
齋藤さんによれば、このときの課題は、いかに集客力のあるキーテナントを誘致できるかにあったそうだ。そのためには、単なる食品スーパーではなく、大型の量販店が好ましいと判断されたらしい。そこで、逆に同準備組合の方から、誘致したい企業をリストアップしたのだという。
10番目に「東急ストア」の名前が確認できる
このとき、食品の取り扱いが主だった京急ストアは、候補にはあがらなかったそうだ。
また、当時京浜急行電鉄は、上大岡の開発に力を入れ、「横浜に流れる客を上大岡で食い止める」という戦略を立てていたらしい。このため、杉田の再開発へ参入すると、2極化による顧客の分散が起こってしまい、京急側としても消極的だったのではないかと、齋藤さんは話す。
こうした地元要望と、チェーンストア各社の出店計画に基づき、最終的に「東急ストア」がテナントとして入ることになった。
総工費約288億円、総面積約7600平方メートルの駅ビルは、こうして1990(平成2)年、着工を迎えることになった。
着工当時の駅ビルの様子
1993(平成5)年、完成直後の「プララSUGITA」の様子
そんな「プララSUGITA」だが、改めてどんな施設なのか、齋藤さんに説明していただいた。