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横浜に炭鉱があったって本当?(後編)

ココがキニナル!

横浜に「炭鉱」があった話を詳しく聞きたいです。第二次大戦中まで上大岡や野庭で「亜炭」が多く採掘されたそうで、現在千住院がある山の下も炭鉱だったそうです。(katsuya30jpさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

港南区最戸、日野、野庭町、戸塚区下倉田町といったところに亜炭の炭鉱があった。採算の関係で横浜市内で消費したとされている。

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ライター:松崎 辰彦

迎陽(げいよう)トンネルは亜炭を運ぶために作られた



野庭町をさらに歩くと、迎陽トンネルの上に出た。
「この階段から左が武蔵国(むさしのくに)、右が相模国(さがみのくに)でした」
 


武相国境。階段をはさんで左手が武蔵国、右手が相模国

茅野さんに言われて自分が武相国境に立っていることを知った。
「迎陽トンネルは昔は岩山だったんです。中にツルハシの跡があったことなんかを覚えていますよ」と茅野さんは回想する。

「迎陽トンネルは野庭で掘り出した亜炭を鎌倉街道まで降ろして運ぶために掘られたと考えられます。迎陽トンネルのみならず、この境にはほかにもトンネルが4つありました。その中で、関東大震災で岩山だった迎陽トンネルだけが残り、あとはすべて潰れました」
 


現在の迎陽トンネル


そんな迎陽トンネルも、1978(昭和53)年に改修工事がほどこされ、コンクリート張りのトンネルになった。それまでは幅3メートル、牛車が通れるだけだったという狭い道幅も8メートルに拡張された。
 


改修前の迎陽トンネル(画像提供:港南歴史協議会)


このトンネルができるまでは、野庭や日野の住人は隣の地域に行くにも急坂を上り下りしなければならず、相当に危険だったことが察せられる。

その後、茅野さんに上大岡に案内された。



これが実際の亜炭



茅野さんについて入った上大岡のビルの一室には港南歴史協議会のメンバーが集合していた。今回、はまれぽの取材を受けるにあたり、茅野さんの呼び掛けで、皆さんが集ってくださったのである。
 


港南歴史協議会の皆さん


ここで驚くことが。メンバーの一人、長谷川敏雄さんが野庭でとれたという亜炭を見せてくれたのだ。
 


野庭でとれたという亜炭


これが亜炭か・・・炭というより若干硬めの土塊と表現したほうが近い。
注意して触れないと、ボロボロ崩れ落ちてしまう。

もう一人のメンバーである田代哲さんが、有力情報を提供してくれた。亜炭の炭鉱で遊んだ記憶のある高齢者を見つけたという。

「もし時間があるならば、これから話を聴きに私たちと行きましょう」
もちろん鞄を肩にかけ、長谷川さん、田代さんとともに外に出た。