子安にある「八重地蔵」。事故現場周辺の実態、そして交通事故の現況は?
ココがキニナル!
子安通り1丁目児童公園という、道路にそって作られた公園があります。そこに祀られたお地蔵さんの名前は八重地蔵・・悲しい出来事があったそうですが、風化させぬよう、取材をお願いいたします。(三浦虎次郎さん)
はまれぽ調査結果!
八重地蔵のある場所は公園ではなく「子どもの遊び場」。事故のあった昭和39年と比べて、現在は幼児の交通事故は減ってきている
ライター:松崎 辰彦
公園ではなく「子どもの遊び場」
八重地蔵のある場所には遊具施設があるが、法律上は「都市公園法」の定めるところの「公園施設」ではない。「子どもの遊び場」という、やや微妙な位置づけである。
遊具がある
八重ちゃんが残した児童遊園地を管理しているのは東浜町内会である。現在の会長は近所で板金業を営む鈴木儀雄(よしお)さん。子どものころから子安で生活している。
鈴木儀雄さん
児童遊園地には遊具もあり、当然のように公園に見えるが、
「実はこの場所は、法律上は公園ではありません。八重地蔵の掲示にあるような特殊なきっかけでできたものですから、暫定的に子どもの遊び場として利用させていただいています。ですから5年ごとに使用する権利を更新しています」
土地利用の事情を説明してくれた。ここが「子安通り一丁目児童遊園地」であり、“公園”ではないのは、そのような事情によるものであった。
「児童遊園地」とある
「この場所は餅つきや、シニアの『歩け歩け(運動)』のときの集合場所として利用されています」
この「児童遊園地」は法的には道路であり、現在の子どもの遊び場としての利用は、形式上はあくまで期間限定的なものなのだ。やはり八重ちゃんの事故という特異な事態をきっかけとして成立した道路使用が、その後50年にわたり慣例化されたもののようである。
「子安通り一丁目児童遊園地」での餅つき大会
(画像提供:横浜市神奈川区社会福祉協議会)
このあたりの事情に関して、神奈川区役所総務部地域振興課の佐藤雅一さんと畑裕己さんに伺ってみた。
佐藤雅一さん(左)と畑裕己さん
佐藤さんいわく、
「現在、八重地蔵のある場所は、法律的には公園ではなく、『子どもの遊び場』という位置づけになっています」
こう説明して、東浜町内会会長の鈴木さんの言葉を裏付ける。
たしかに「子供の遊び場」の表記がある
「この場所は道路局が所有する土地であって、現在は暫定的に使用を認めているという状態です。もし市当局に利用計画ができれば、返還願うことになります」
しかし、現在のところそのような計画はないとのこと。
ちなみに、神奈川区内に「子どもの遊び場」が12ヶ所あるが、本来は道路にもかかわらず「子どもの遊び場」とされているのは子安通り1丁目だけであるという。
50年で幼児の交通事故死は激減した
八重ちゃんの命を奪った交通事故。決して他人事ではなく、誰でも当事者になり得る実生活上の脅威である。八重ちゃんが亡くなったころと現代では、交通事情に違いはあるだろうか。
お話を伺ったのは神奈川県警察本部交通部交通総務課課長補佐の柳田彰警部。1964(昭和39)年当時から現在に至るまでの交通事故の推移を説明していただいた。
神奈川県警察本部
柳田彰警部
「1964(昭和39)年の横浜市全体の交通事故死者数は263人です。年齢別に見ると、同年の0~5歳の交通事故死者数は神奈川県全体で44人でした。昨年2012(平成24)年の0~5歳の交通事故死者は3人です」
44人だった死者が3人へ。この約50年間で大きな変化である。
子どもが昔のように外に出なくなったこと、公園の整備が進み、道路で遊ばなくなったことなどが理由として考えられるという。
八重ちゃん(右) 家の前の道で