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天王町駅近く、かつて街の娯楽の発信地だった映画館「ライオン座」について教えて!

ココがキニナル!

相鉄天王町駅近くに昔「ライオン座」ともう一つ(ポルノ映画館で名前が出てきません)の映画館があり、子供のころよくライオン座に通って楽しかったっす。ライオン座の思い出を探して(じぇじぇさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

街の人々の記憶から新聞の映画館案内欄をたどって、ライオン座が1954年4月に開館し、1990年11月30日に閉館ということは分かったが、今後も情報求む

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ライター:永田 ミナミ

ライオンはいつその口を開けたのか



後日、もう一度資料からライオン座に迫ることはできないかと、過去の映画館の資料を集めている「シネマジャック&ベティ」副支配人の小林さんに問い合わせてみた。

資料を調べてくださった結果、1952(昭和27)年の映画館一覧に「ライオン座」は載っていないが、1958(昭和33)年の映画館一覧には「西区浅間町5/木造2階建/260席/3本立」という情報と、支配人の名前が掲載されていることが分かった。

「木造」という記述は寺尾塗料店で見た写真の側壁と合致する。また「260席」という席数は、シネマジャック&ベティ(114席/132席)と比べてもなかなかの規模である。
  


ジャックの114席でも充分広く感じられたがライオン座はその倍以上だった
  

小林さんからの情報をメモしながら「そうなると、マイクロフィルム(本や書類などを縮小して保存する不燃性の35ミリのフィルム『新明解国語辞典』)か」と考えていると、電話の向こうの小林さんも「あとはこの期間の過去の神奈川新聞の映画欄を調べていくしかないですかね」と言う。やはりその方法しかないようだ。「そうですね」と答え感謝を伝えると、横浜市中央図書館に向かった。

そしてマイクロフィルムで、1953(昭和28)年1月1日から神奈川新聞の「映画案内」を探していった。
ちなみに途中でメモした1953年7月1日の神奈川新聞の映画欄に掲載されていた映画館はこんな感じである。
 


ライオン座はまだないが横浜のいろいろな街に映画館があったことがわかる※クリックして拡大


さて、1巻が3ヶ月分のマイクロフィルムの最初と最後をチェックするという方法で1953(昭和28)年の1年分と1954(昭和29)年の1~3月分を確認したが、まだライオン座の名前は出てこない。

ライオン座は出てこないが、1954年3月7日のマックアーサー劇場の広告が印象的だったので紹介しておく。
 


濃艶!奔放!銀幕を圧倒するリタ・ヘイワースの強烈な性的魅力!※クリックして拡大


本作品の原作はサマセット・モームの短編『雨(The Rain)』で、原題『Miss Sadie Thompson』に対して『雨に濡れた欲情』という奔放な邦題も目を引くが、放埓な女性サディの改心と理想主義的な男の衝動的な倫理の崩壊を描いた作品の内面性とは乖離している感もある広告の熱量にも目を見張る。「南海の自然美の中に汚れた女の肉体が燃え立たせた官能の情火!」とは当時、世の中を見る視点が完全に男性目線だったことがうかがえるものの、なかなかの名文句である。

閑話休題、続いて4~6月分を見ていった。1958(昭和33)年まではまだまだあるし、当分ライオン座は現れないのではと思いながら巻末の6月を確認しようと早送りしている途中で、何となく一度止めてその付近の「映画案内」を探した。

すると、1954(昭和29)年6月9日土曜日の紙面に「洪福寺ライオン座」という映画館があるのを発見。ついに目の前に「ライオン座」が現れた。
 


上映作品は『世界を彼の腕に/遠い太鼓』の2本※クリックして拡大


静かな図書館で声を出さない歓声をあげながら、6月8日以前へマイクロフィルムを巻き戻していった。この日からさかのぼって4月1日までのある日に、「ライオン座」は開館しているのだ。

そして・・・
 


※クリックして拡大
  

とさかのぼっていくと、4月13日の「映画案内」で「洪福寺ライオン座」は消えた。

「洪福寺ライオン座」は、1954(昭和29)年4月14日に開館したのである。
 


4月14日の「映画案内」
 

拡大したものがこちらである※クリックして拡大
 

4月13日の映画広告の上にはライオン座の開館を知らせる広告を発見
 

拡大したものがこちら。まばゆい「新築開館御挨拶」の文字


3時間に渡るマイクロフィルムチェックで開館の時期は特定できて感無量だったが、時刻は午後8時25分。ライオン座閉館の時期についても調べたいところだが、図書館の閉館が迫っていたのでこの日は退館した。
 


ちなみに1954(昭和29)年4月といえば、26日に『七人の侍』が公開され
 

5月3日には『ローマの休日』が公開された映画史上的にも華々しい年だ




ライオンはいつその目を閉じたのか



次のマイクロフィルム探索までの間に、少しでも情報を得られないかといろいろ探していると、インターネット上で、天王町に「天王町シネパック」という映画館があったという情報を見つけることができた。どうやらこれが衣料品店の方が話していた「別の映画館」のようである。

そこで今度は「天王町シネパック」をもとにいろいろ探していくと、それに付随して新たなライオン座情報がいくつか見つかり、そのなかに「最後の上映作品は『稲村ジェーン』だったような」というものがあった。

『稲村ジェーン』といえば、1990(平成2)年9月公開の桑田佳祐監督作品である。
 


自宅にあったサウンドトラックCDとパンフレット


1990(平成2)年といえば、ライオン座周辺で聞いた「閉館は20~30年前(1985~95年ごろ)」と時期が重なるどころかそのど真ん中だ。というわけで、ひとまずこの情報をもとにマイクロフィルムを探してみることにした。

1990年の1月から、早送りしながらマイクロフィルムを見ていくと、止めるたびに目に入る「きょうの映画案内」のライオン座の上映作品が胸の奥の甘酸っぱいところを刺戟(しげき)するのでメモしておいた。参考までに紹介しておく。
 


※クリックして拡大
 

はっ、来た。『稲村ジェーン』の文字にごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと1日ずつ追っていった。すると、11月30日まであった『稲村ジェーン/ロボコップ2/3-4x10月』と「ライオン座」の文字が、12月1日の紙面で忽然と消えていた。

閉館を知らせる広告やメッセージはないまま、ライオン座は、1990(平成2)年11月30日をもって静かに目を閉じたのである。
 


11月30日の映画欄にはいつものように上映作品だけが載っていた(当時の紙面を再現)


ちなみに、投稿に「『ライオン座」ともう一つ(ポルノ映画館で、名前が出てきません)」とあった映画館は「すばる座」だったことも分かった。

開館日時は調べていないが、1990(平成2)年3月16日まで『異常昂奮/白衣の天使むさぼる太股/芦屋令嬢いけにえ』の3本を上映していた「すばる座」は、翌17日から31日まで作品名が書かれるところに「ビル改装工事に付休館」となっていて、4月1日の紙面で名前が消えていた。どうやら再開館することなく、ライオン座の8ヶ月前に閉館したようである。
  


1970年代の『ぴあ』などから「すばる座」の場所はここのようだ
 

さらに、「天王町シネパック」は1991(平成3)年10月15日に『戦争と青春』の上映でオープンしたことがわかった。その後、1996(平成8年4月12日に『ドラゴンボール/ご近所物語』上映したのを最後に、13日、14日の「きょうの映画案内」では「休館」となっていて、15日の新聞休刊日をはさんだ4月16日には名前が消えていた。

わずか4年半の営業で閉館したことになるが、新たに見つけた資料である横浜市立図書館情報第24号『特集横浜映画館物語」の「私の想い出の映画館と作品」に「保土ヶ谷区天王町の『永楽館」。典型的な下町の活動小屋。戦前は『土』『大菩薩峠』を見た。現在は「シネ・パック」(原文ママ)」とあることから、ライオン座が移転したわけではなく、ビルに建て替えられる以前も映画館だったようだ。